1. 「時の男」の陰に女傑あり! キュウクツな歴史を覆すヒロイン像:『歴史をさわがせた女たち 日本篇』

「時の男」の陰に女傑あり! キュウクツな歴史を覆すヒロイン像:『歴史をさわがせた女たち 日本篇』

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 歴史においては、主役である男性のことばかり紹介されがちだが、その陰には、個性的に生きてきた「女傑の歴史」がある。考えてみれば、人間社会は男と女で成り立ってきた。ならば「女傑の歴史」にスポットライトを当てることで、人間の歴史の知られ姿を知ることができる。そうすることで、男性目線に凝り固まった「キュウクツな歴史の解釈」を、柔軟にすることができるのだ。本書『歴史をさがわせた女たち 日本篇』は、あなたの歴史観を覆す生き生きとしたヒロイン像が収録されている。

生涯「頼朝想い」だった女傑・北条政子

結婚への一門の反対を押し切る女傑ぶり

 北条政子は、十代の頃に、早くも女傑の片鱗を見せている。それは、平氏政権下で宿敵であった源氏の御曹司・頼朝との結婚を、北条氏一門の反対を押し切って実行するという女傑ぶりである。さらにそのしたたかな女傑ぶりでもって、一門を頼朝のバックアップに回らせることに成功し、頼朝の栄光を陰で支えた。そして、その頼朝の死後の承久の乱において、御家人たちに「頼朝公の恩を忘れるな!」と激励して鎌倉幕府を勝利に導く女傑ぶりを発揮した。まさに、頼朝を想いの女傑と言っていいであろう。

女傑・政子の頼朝の愛人への凄まじい嫉妬

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 頼朝の成功を後押しする女傑ぶりの反面、政子は家臣に命じて頼朝の愛人の家を叩きこわす「嫉妬に溢れた女傑ぶり」を発揮している。頼朝も、女傑・政子の協力おかげで北条氏一門のバックアップ受けることができていたため、この女傑の嫉妬ぶりに効果的な手を打つことができなかった。

 そういった半面、反逆した義経が持つ愛人であり、当代随一の踊り子・静御前には「寛容な女傑ぶり」を見せる。ある日、頼朝と女傑・政子に命令され、彼女らの前で静御前が「義経を慕う舞」をしてしまう。その際、頼朝は激怒するが、女傑・政子は静御前の気持ちを察し、「政子もあなたを失ったら、慕って歌うだろう」となだめる。一説には、それは女傑・政子が頼朝への愛をアピールするために発したとされているが、その女傑ぶりにより、静御前の命は助かった。そしてその後、静御前が生んだ義経の男子が頼朝により処刑された際も、女傑・政子は静御前に財宝を与え、同情を示した。

東山文化のための財政を支えた女傑・日野富子

 日野富子は16才で足利義政の妻となるが、夫婦仲は早々に冷め、義政は逃げ出し、財務関係一切を女傑・富子が切り盛りすることになる。その後、財政面で女傑ぶりを発揮し、死後の資産総額は、時価総額70億円にも達するまでになったという。

 一方、女傑・富子のそういった資産は、夫・義政の銀閣寺建造に始まる東山文化構築のための資金源となっている。また、息子の教育にもその資産は注がれており、足利一家全体を支えていた女傑でもあった。

明治維新を陰で支えた女傑・篤姫

幕末期に夫の家定、養父の斉彬に先立たれる

 第13代将軍・徳川家定に嫁ぐが、僅か24歳のときにその夫を失い、そればかりか養父の斉彬も亡くなったことを転機に、「女傑」としての生涯を歩み始める。その後、28歳のとき第14代将軍徳川家茂の妻・和宮(孝明天皇の妹)と出会い、ともに江戸幕府の大奥を取りまとめる「女傑ぶり」を発揮していく。

江戸城無血開城の手助け

 やがて、鳥羽伏見の戦いに敗れた第15代将軍・徳川慶喜が、天皇側の新政府と和平を結ぶ際、島津家の養女であったこの女傑は、天皇の妹であった和宮の協力を得て、新政府と徳川家の和平を結ぶことに成功する。有名な「江戸城無血開城」の裏では、女傑・篤姫が交渉人である島津家の西郷隆盛と幕府の勝海舟を動かしていたのである。

 また、その女傑ぶりにより、幕末の徳川の重臣たちが彼女に感銘を受けている。一般的に、「明治維新は新政府側により主導された」と思われることが多いが、その裏側では女傑・篤姫と交流のあった幕府の重臣たちも協力しているので、篤姫が明治維新へ影で貢献した女傑といっても過言ではない。


 以上、女傑たちを通して歴史を振り返ってきた。これだけでも、「歴史のウラに女傑あり!」とご納得いただけたと思うが、これすらも「女傑集」である本書の一端に過ぎない。是非、本書を取っていただき、史上のヒロインたちの鮮やかな姿を目に焼き付けて欲しい。

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