1. 21歳の若さで猛者達を従えた「武田信玄の豪腕マネジメント」:『信玄の戦略―組織、合戦、領国経営』

21歳の若さで猛者達を従えた「武田信玄の豪腕マネジメント」:『信玄の戦略―組織、合戦、領国経営』

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by Jackson Boyle
 武田信玄が生きた時代は、いまだ中世のレトロ派が多かった。父を追放し、武田家の当主になった21歳の武田信玄は、若々しい経営戦略が立てにくかっただろう。そんな最中、武田信玄は領国経営に成功し、猛者ばかりの重役にリスペクトされるまでに至ったのである。

 400年のときが経っても色褪せない武田信玄の豪腕マネジメントを、若いビジネスマンならば、是非とも手本として欲しい。

重役を味方につけた武田信玄の豪腕マネジメント #1

「武田信玄は、父・武田信虎をも追い出す」

 まず、21歳の武田信玄は、当時甲斐の領主であった父・武田信虎を継承ではなく、軍隊で追い出した。これは、信虎の重役たちを味方できなければ、実現不可能なことだろう。父を追放したあと、武田信玄は重役たちをそのまま率いなければならないのだから。

 実際、武田信玄は重役たちをすでに引き込んでいた。以前より武田信玄の父・武田信虎は、合戦ばかりして重役に負担をかけていた。そのため、次期当主の候補である武田信玄に期待が寄せられていたのである。武田信玄はそこに付け込むことができるほど、空気を読むことに長けていた。そんな武田信玄ならば、重役たちの不満を汲み、国を盛り立ててくれると嘱望されたのである。

重役を味方につけた武田信玄の豪腕マネジメント #2

「武田信玄は、同盟と交戦を使い分ける」

 同盟とは、本来互いにメリットがあるから行うものである。それに則して武田信玄は、メリットのある相手とのみ同盟を組み、メリットにならない相手とは手を切った。同盟を切るリストには、上杉、北条、今川と名だたる大大名、今で言ういわゆる「大企業」もあったが、武田信玄は平然と切り捨てた。武田信玄の傍にいた重役たちは、当初この大胆な行動に難色を示したが、結果として領土が潤っていくので、武田信玄の「手切り」を認めるようになったという。

 余談だが、武田信玄はこの手切りにより「人でなし」とまで言われた。メリットがなければ、すぐに同盟を切る武田信玄。損得次第で、縁故にも容赦しない武田信玄の評判が広まったのだ。

 武田信玄は、メリットがなければキッパリと同盟を切るため、周辺の戦国大名もいつ切られるかビクビクしていたという。このような武田信玄の判断は、世界と比較すると少し大人しい日本人に見習って欲しい豪腕マネジメントだ。重役たちも心の奥底では、武田信玄の戦略をわかっていたに違いない。武田信玄の生きた戦国の世は、生きるか死ぬか、結局はメリットに愚直な武田信玄の発想が優先される。

 何といっても、重役たちも潤っていたことが大きい。やがては、重役たちも喜んで武田信玄色に染まっていったので、武田信玄の領土は拡大の一途を辿った。結果は全てを潤すということだろう。

重役を味方につけた武田信玄の豪腕マネジメント #3

「武田信玄は、交通網と情報伝達網を整備した」

 武田信玄は、本領を潤わせるために新しい領土を占領していたため、そのための交通網や情報伝達網の整備は必須であった。また、武田信玄のいた山梨の主要道は、今で言う国道なので、整備・拡張が義務付けられており、名分も立つ。そういった現状と名分により、重役たちを動かした武田信玄は、整備のための裁量を存分に発揮し、領土を潤わせ、さらなる裁量権を得ていく。

 武田信玄が整備した交通網と情報伝達網は、反逆者の粛清にも役立っている。武田信玄は、整った情報伝達網で謀反を把握し、整備した交通網に戦力を即時投入し、不平分子を一掃している。整備した交通網と情報伝達網は、陰に陽に、武田信玄の思惑に適っていたのである。武田信玄は、こうしたことも最初から狙って整備していたのだろう。

武田重役を味方につけた武田信玄の豪腕マネジメント #4

「武田信玄は、打倒信長を目指して、京都へ、軍事行動」

 最後は、武田信玄のマネジメントの集大成である。このときには、武田信玄の圧倒的な実績により、重役も武田信玄の領国経営に納得してしまっていた。というよりも、事を成すためには手段を選ばない武田信玄なので、止めようもない。そして、武田信玄の経営手腕により、遠い京都まで軍事行動ができる財政・物資・人的資源が揃っていた。

 実際、京都は憧れの都会であったため、武田信玄の領国全体が沸いており、皆が武田信玄色で一色だった。戦国の世における一つのゴールを提示することで、武田信玄は皆のモチベーションを高めたのだ。

 余談だが、こういった武田信玄びいきの背景には、上杉謙信との川中島による戦いも大きく貢献した。強大なる敵の存在が、武田信玄への結束を深め、結果的に川中島で長野の大半を領有できたのである。確かに、武田信玄にとって川中島は死闘であり、人的損失も甚大であったが、謙信を退けた功績は皆の支持を武田信玄に集中させた。また、川中島以降は、謙信も武田信玄との競合を避ける動きをしている。そのことは、重役たちが武田信玄の京都への行軍の背を押した要因ともなった。武田信玄のあらゆるマネジメントが、功を奏していたのである。


 以上、武田信玄が重役たちを実績により引き込んできた歴史を綴ってきた。なよなよしていると言われがちな若手諸君も、「現代版・武田信玄」になるべく、豪腕さを学んで欲しい。黙って圧倒的な実績を出し、武田信玄ほど意図的でなくとも、後から出世と報酬を手にすればいいのである。

 武田信玄の歴史を風靡したマネジメントを網羅する本書は、あなたの天下取りをプッシュしてくれるであろう。

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