1. 予定なしが嫌なあなたは「空白恐怖症」。効率化の果てに失った仕事の楽しさとは:『だれのための仕事』

予定なしが嫌なあなたは「空白恐怖症」。効率化の果てに失った仕事の楽しさとは:『だれのための仕事』

by Kathleen Tyler Conklin

 世界で3億人以上が利用するビジネス系SNS「LinkedIn」が世界26カ国のユーザーを対象に実施したネットアンケートで、「今の仕事にやりがいを感じているか」と質問したところ、面白いデータが取れた。日本のユーザーで「やりがいを感じている」と答えたのは77%。この数値は実施国中では最低だった。1位~3位はインド(95%)、マレーシア(94%)、ドイツ(93%)となっている。これらの上位国と比べると、日本がいかにやりがいを感じて仕事に取り組んでいないかがわかるだろう。

 日本の哲学者である鷲田清一は、本書『だれのための仕事――労働vs余暇を超えて』の中で、労働に遊びがなくなってしまったからこのような現状が生まれてしまったと指摘している。それでは鷲田の指摘を参考にしながら、仕事と遊びの関係を見ていこう。

今がときめいていない非リア充の飽和

 鷲田は、「満ち足りた将来のため」という理由で働いている人が多いことを指摘している。そしてこれは未来の幸福のために、現在を貧しくする論理である。仕事に対して、このような姿勢で働いている人たちは空白恐怖症になってしまう。空白恐怖症とは、スケジュール帳が常に埋まっていないと安心することができない人々のことだ。鷲田は空白恐怖症にかかっていて、「今」が充実していない人間が飽和していると指摘する。なぜこのような現状になってしまったのか。

〈わたし〉探しゲーム

 空白恐怖症の原因の一つは、じぶんは未だ未来のじぶんになりきっていないという感覚であり、いわゆる「〈わたし〉探しゲーム」だ。「〈わたし〉探しゲーム」とは、「こうすればもっとじぶんらしくなれるんじゃないか」という、じぶんをつねに本来の「自己」にいたる途上にあるものとして意識する心的意識メカニズムであると鷲田は指摘する。

 この意識から人は、別のところへ行けばもっと違ったじぶんになれる、ここでは不可能な幸福に出会えるという幻想を追いはじめるのだ。19世紀から20世紀の初めにかけて、ベルギーの戯曲家であるメーテルリンクの戯曲『青い鳥』などがこうした幻想を象徴的に描き出した。青い鳥幻想を描いたフランスの詩人シャルル・ボードレールの詩の一説を引用したい。

私の魂が声を放ち、いみじくも私にむかってこう叫んだ、「どこでもいい、どこでもいい……、ただ、この世界の外でさえあるならば! 」

出典:シャルル・ボードレール(1951)『巴里の憂鬱』

効率化が「ときめき」を奪う

 よく「遊び」心があっていいと言うが、これらの場面でいう遊びとはなんなのであろうか。
 
 「だるまさんが転んだ」という遊びを思い出してみてほしい。「だるまさんが転んだ」という言葉を言い終わるまでに出来るだけ鬼に近づく、振り向いたら止まらなくてはならないという遊びだ。この遊びが面白いのは、緊張と弛緩の繰り返しであるからだ。鷲田は、現在の労働にはここでいう弛緩が足りないと指摘する。

人間の活動についていえば、〈遊び〉にこそアイデンティティを揺さぶるような、あるいはアイデンティティの根拠を賭けるような真剣さがある。

出典:鷲田清一(2014)『だれのための仕事――労働vs余暇を超えて』

 弛緩としての遊びは、仕事が組織化され、効率化されていく中でなくなっていってしまった。この効率化が進んでいってしまうと、仕事と遊びが両極化してしまい、仕事はすみずみまで組織化され、遊びがなくなってしまう。一方、遊びのほうは個人のプライベートな時間に収束させられてしまう。すると、他人との共同作業がまるで義務のように重荷に感じられるようになってしまい、仕事にも遊びにもときめきがなくってしまうのだ。

ボランティアから見えた「ときめき」のすがた

 鷲田によれば、効率化が進んでいく中、緊張と弛緩のバランスが取れたやりがいのある仕事はボランティアであるという。ボランティアとは、人々が「願わくばやりたくない」と思っている報酬のない肉体労働を、みずから志願して求めるものである。そのような矛盾を孕んだボランティアから見えてきたのは、他者の前で“だれか”としてその他者にかかわるという、ひさしく労働というものが失っている契機である。

 他の人との交換可能な職業をやっていた人々が、ボランティア活動に参加している傾向にある。このような人々は労働現場において、本質的にかぎりなく匿名的であった。これに対し、ボランティアは特定の誰かの前に、まさに特定の“だれか”として関わるという行為である。

 ボランティアは報酬がない労働だが、鷲田はお金とは違った形で報酬が支払われていると指摘する。その報酬とは他者によって無視しえない存在として認知されることだ。このような他者としての認知、行為としての賞賛が、まさに「ときめき」となっているのだ。

 被災者という他者と関わりあう弛緩、肉体労働による緊張があるからこそ多くのボランティアは「ときめき」がある仕事なのだ。


 この記事を読んでいる人の中にも、空白恐怖症にかかってしまっている人はいるだろう。一度気を緩めて、本書を読み、もう一度自分のライフスタイルを見つめなおしてみてることを勧める。

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