HOMECareer Runners 地方での芸能活動、続ける秘訣は「好き」の気持ち オーディション “全敗” も地元で輝く「ほやドル」萌江さんの信念【前編】

地方での芸能活動、続ける秘訣は「好き」の気持ち オーディション “全敗” も地元で輝く「ほやドル」萌江さんの信念【前編】

Kotaro Kawanami

2024/11/12(最終更新日:2024/11/12)


このエントリーをはてなブックマークに追加

俳優、モデル、歌手、アイドル、芸人......。「芸能活動」と呼ばれる仕事のジャンルは幅広いですが、いずれも成功するのは簡単なことではありません。

そんななか、地域に根差した活動を続け絶対的な地位を確立したアイドル兼シンガーソングライターが、宮城県石巻市にいます。宮城県が生産量日本一を誇る特産品「ほや」のアイドル、「ほやドル」を名乗る萌江さんです。

芸能界を志した10代の頃は上京を考えたという萌江さん。しかし、最終的に地元に残ることを決断し、2017年から「ほやドル」としての活動を始めました。

今やテレビやラジオ、イベントに引っ張りだこの萌江さんは、「東京も地方も関係なく、続けないと結果は出ない。続けるためには『好き』という気持ちが一番」と話します。

「ほやドル」になった経緯や地方での芸能活動の苦労、醍醐味など、インタビューで詳しくお話を聞きました。

東日本大震災を機に知った、大好きなほやの”ピンチ”

ーーーほやのアイドル「ほやドル」として、どんな活動をされているのでしょうか?

萌江:ほやをPRするアイドルを名乗って活動しています。ほやの歌を歌ってライブでパフォーマンスをしたり、テレビやラジオに出演してレポーターなどを務めたりするのが主な活動です。

ーーー「ほやドル」になった経緯を教えてください。

萌江:ほやの養殖が盛んな宮城県石巻市の牡鹿半島谷川浜出身で、幼少期からほやがすごく好きでした。母によると、幼稚園生の頃から蒸しほやを食べていたそうです。

ですが、仙台市の大学に進学して石巻以外の人と出会うようになってから、ほやを知らない人や食べたことのない人が多いということを実感し、衝撃を受けました。それで「ほやを広めたい」という思いでほやの歌を作ったのが始まりです。

また、東日本大震災で谷川浜も壊滅的な被害を受け、ほやの漁港はすべて流されてしまいました。漁師さんたちが立ち上がって漁を再開したのですが、震災前の主要な輸出先だった韓国が輸入を禁止し、国内では今ほどほやの消費量が多くない状況でした。

ほやのピンチを知って「ほやのために何かできることはないか」、「ほやを救いたい」という思いも強まり、大学卒業後すぐに就職せず、「ほやドル」になりました。

ーーーそもそも、芸能界には以前から興味があったのですか?

萌江:もともと人前で何かすることが好きで、小学生の頃はお笑い芸人になりたかったんです。中学生になってからは音楽に目覚め、歌手を目指してギターを弾いたりするようになりました。

気になる周囲の目……”窮屈さ”感じながらもブレイク

ーーー当初は上京も考えたのですか?

萌江:高校生、大学生の頃は上京しようと芸能事務所のオーディションをたくさん受けたんですけど、全敗でした。気づいたら大学卒業間際。そのタイミングでほやの歌を出したら、今までにないくらいの反響をもらえたんです。

海産物に特化したアイドルはなかなかいなかったので賛否両論あり、「なんだこの変な歌」、「ほやって若い子が食べるものじゃないでしょ」など否定的な声もありました。

でも反響があること自体うれしくて、自分の好きなものを伝えてこれだけリアクションがあることに楽しさを覚えました。それからはほやを石巻から全国にPRしようと、石巻を拠点にしています。

ーーー地元で芸能活動をする上で苦労したことはありますか?

萌江:最初の3、4年はスポーツジムでのアルバイトをしながらの生活でした。地元だからこそ知っている人もたくさんいて周りの目もあるし、いろいろ言われることもあるので、窮屈さを感じていました。

両親も心配していて、弟には「恥ずかしい」と思われていた時期もあったようです。それでも、家族がライブを見に来て応援してくれるうちに地元のテレビやラジオでも取り上げてくれて、お仕事をいただけるようになりました。

地方も東京も関係なし......「続ける」ために必要なこと

ーーー地方で芸能活動を成功させるために必要なことは何でしょうか。

萌江:地方も東京も関係なく、続けないと結果は出ないと思います。私の場合、続けるためには「好き」という気持ちが一番大きかったです。

例えば、あまり好きではないイチゴのアイドルになっていたら、1、2年で否定的な声に心を痛めてやめていたと思う。好きなことをしているからそういう声も苦ではなかった。東京に出ていても好きではないことを無理矢理やっても続かなかったはずなので、「好き」という気持ちがあれば場所は関係ありません。

ライブでパフォーマンスする萌江さん(株式会社ほやいろ提供)

後編では、昨年末に芸能事務所「株式会社ほやいろ」を設立した経緯や、今後の展望についてお話をお聞きしています。

インタビュイープロフィール

萌江

1994年、ほやの名産地である宮城県石巻市に生まれる。

2017年、大学卒業と同時にほやをテーマにした楽曲「ほやのマーチ」をリリース。その後、「ほやドル」としての活動を始める。

現在はライブでのパフォーマンスやテレビ、ラジオへの出演などを通してほやをPRしている。失恋ソングを歌う「直球怨念型シンガーソングライター」の顔も持つ。

2023年12月には芸能事務所「株式会社ほやいろ」を設立し、タレント発掘やほやの消費拡大に向けた事業を手がけている。

【関連記事】


hatenaはてブ


この記事の関連キーワード