フランス専門の留学支援サービス「France et moi(フランス・エ・モワ」を運営する梶谷双葉さんは、自分の「好き」を仕事につなげた起業家です。
人生の転機になったのは、定年まで働くつもりだったという保険業界を辞めて行ったフランス留学。この国に魅了された彼女は、今後もフランスに関わる仕事がしたい、留学を志す人たちの力になりたいと自ら会社を立ち上げました。
「自分のキャリアはこのままで良いのか」と就職後に思い悩む若者は多いですが、梶谷さんはどのように留学を決断し、起業するに至ったのか。その軌跡を聞きました。(全2回中1回目)
相談から語学レッスンまで幅広く留学をサポート
――まずは、現在の仕事内容について教えて下さい。
現在は主にオンラインでの留学相談やカウンセリング、申し込み手続きの代行、フランス語のレッスンなど、個人・団体を問わず、留学サポートを幅広く行っています。
事業を開始したのは2018年なので今年で7年目。最初は1人でしたが、今は私の他に2人のスタッフとともに働いています。利用者の年代は幅広く、中高生から社会人経験者、定年後にフランスへ行く方などさまざまです。
元々は日本を拠点に、年2回程フランスへ行くかたちをとっていました。しかしながら、新型コロナウイルスが広がった年に、予期せず帰国できなくなり、フランスで半年間過ごすことになりました。そこから、日本とフランスの生活が半々ぐらいになって、昨年からは本格的に拠点をフランスに移して活動しています。
定年まで働くつもりで選んだ金融業界
――社会に出た当時のお話を聞かせてください。
大学時代にアルバイトで4年間、人材派遣会社で経理の仕事をしていました。それがきっかけで、世の中のお金の流れをもっと知りたいと思い、就職先に金融業界を志しました。
それに加えて、定年まで働きたい、結婚や出産などのライフイベントがあっても手に職でずっと働ける会社と考えて最終的には保険会社のシステムエンジニアとしてキャリアをスタートしました。
そこで8年間働きましたが、自動車保険や火災保険、ローンを組む人の所得の保険などひと通りのことはやりました。そのなかでも相手のニーズをベストな形で設計・計画したことや海外旅行保険を担当していたことは、今の仕事にも生きています。
――フランスへ留学したいという思いはいつ頃からあったのでしょうか?
保険会社は制度がとても充実していて、年2回、1週間の休暇が取れるのです。その休みを利用して社会人7年目の時、フランスに1週間1人で行ったことが大きかったです。
当時フランス語はできなかったけれど、日本語を使わず、全て英語で現地の人とコミュニケーションを取って1週間暮らしてみて、コミュニケーションの楽しさを肌で感じました。そして、今度はフランス語を使って現地で暮らしてみたいと思うようになりました。
フランスでのコミュニケーションは挨拶がとても大事。パン屋さんでも「いらっしゃいませ」ではなく、お互いに「ボンジュール」と挨拶します。私にとっては、この風通しの良さや人間味溢れる雰囲気がとても心地よかった。これが今も変わらないフランスの好きなところです。
30歳目前での葛藤と決断
――そこから保険会社を辞める決断をされたのは、どのような思いで?
まず、この1週間のフランス旅行に行く前までは、「3カ月ぐらい滞在できればいいや」と考えていました。でも、この滞在時に「3カ月では足りない!実際に住んで四季を体験してみたい!」という思いが強くなって、会社を辞めるという選択肢を考え始めていました。
さらに、30歳を前に「この会社でずっと働いていいのかな?」と悩んでいたことも大きかったです。
当時は、海外旅行保険のリニューアルのプロジェクトを担当していて、エンジニアとしてシステムの入れ替え状況を確認するために、夜通し空港で働くという体力的にもハードな業務がありました。体調を崩すこともあり、今のペースで本当にこの先も仕事ができるか不安でした。
とくに女性にとって30歳は、結婚や出産などを考える大きな節目。人生をいろいろと考える時期だったように思います。
そんななかで調べていたら、ワーキングホリデービザでフランスに行く道を見つけたのです。要項を読んでみると、ワーキングホリデービザに申請できるのは30歳まで。当時の私は30歳でギリギリ間に合う年齢でした。
これを逃したらズルズルと先延ばしにしてしまう気がして申し込むことを決めました。そして、31歳になってから思い切って会社を辞めて、念願のフランス留学が始まりました。
「落ち着くタイミング」は絶対にやって来ない
――仕事を辞めるのは勇気がいりますよね?
仕事自体はとても好きでした。好きな業務を担当させてもらっていたし、給料も悪くなかった。さらに休暇や産休育休など福利厚生の制度も整っていました。上司も同僚も好きだったので、とても満足していました。
父にも「あんなに条件の良い会社で長く働けるのに本当に辞めるの?」と驚かれました。でも、その時に思ったのは「今行かなかったら、定年後に行くのかな」ということです。
60歳や65歳で行くのと、今行くのとどちらが良いかと自分のなかで天秤にかけました。その時に思ったのは、「自分がやりたいと思ったことは、やっぱり今やるから意味がある」ということでした。
もちろん、定年時点で留学したくなったのなら、その時がタイミングです。でも、私は30歳で留学したいという思いが芽生えました。やらない理由なんて、探せばいくらでも出てくる。
「仕事が落ち着いたら」や「もう少しお金が貯まったら」……などなど人はやらない理由を見つけてはやらないことを正当化して、先延ばしにしがち。仕事を手放すのは勇気のいることだと思いますが、それ以上の価値をフランスに行くということに自分は置いていたなと思います。
【後編へ】
後半では、梶谷さんがフランスでどのような生活を送り、どのような経緯で起業に至ったのかを聞きます。
インタビュイープロフィール
France et moi代表 梶谷双葉さん
株式会社エパヌイール代表取締役。保険会社グループのシステム会社に入社し、エンジニアとして損害保険の契約システムを担当。8年間務めた会社を退職し、ワーキングホリデービザを利用しフランスへ語学留学。2018年フランス専門留学エージェント「France et moi」を開業。NPO留学協会認定・海外留学アドバイザーの資格を取得。2022年に法人化し、株式会社エパヌイールを設立。
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