HOMEインタビュー 「キル フェ ボン」がアートのようなタルトやケーキを生み出し続けられる訳 商品の企画・開発のリーダーに聞いた舞台裏とキャリアの歩み方【前編】

「キル フェ ボン」がアートのようなタルトやケーキを生み出し続けられる訳 商品の企画・開発のリーダーに聞いた舞台裏とキャリアの歩み方【前編】

足立照三

2023/12/04(最終更新日:2023/12/06)


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色とりどりのフルーツが盛り付けられ、まるでアート作品のようなタルトやケーキを世の中に発信し続けていることで知られる「キル フェ ボン」。それらのクリエイティブはどのように生み出され、また、ビジネスとしても多くの顧客に支持されるためにどのような工夫に取り組んでいるのでしょうか。

同ブランドを運営するキルフェボン株式会社で、商品の企画・開発で中心的な役割を果たす営業企画管理本部副本部長の柿畑江里さんにキル フェ ボンのタルトやケーキ作りの舞台裏、自身のキャリアの歩みを聞きました。

転機は22歳、自ら店長に立候補

―――現在、キル フェ ボンのタルトやケーキの企画・開発をリードするポジションにありますが、会社に入社されるまでどのような経緯があったのでしょうか。

キル フェ ボンは静岡県に本社を置き、1991年に1号店がオープンし、現在、全国に11店舗を構える洋菓子店です。私は短大卒業後、まだ1号店の1店舗しかなかった時代にアルバイトで働き始めました。    

1年後には社員として入社することになりますが、アルバイトからでも働きたいと思ったのは、自分が一番好きだったお菓子づくりを自分の職業にしようと考えたからでした。

そう考えたのは、学生時代、バレンタイン・デーにチョコレート菓子を手作りした原体験が影響しています。自分で手作りすることも楽しかったのですが、さらに贈った相手に喜んでもらえた経験が自分には特別なものになりました。

そこから、やりがいを見出し、職業にしようと考えました。

―――社員となってからは、どのような変化があったのでしょうか。

アルバイトで働き始めて1年ほどが経ち、2店舗目のオープンと同じ頃、正社員になりました。

まだ規模の小さい会社だったので、レシピをもとにしながらタルトを作る日もあれば、接客で店頭に立つ日もあるというように、いろんなことを任せてもらえました。マネジメントという言葉もよく分からないまま、アルバイトの方の指導なども担当しました。

転機があったのは、22歳の時のことです。当時、東京初出店として現在の青山店がオープンすることが決まった際、「店長をやらせてください」と立候補しました。

「キル フェ ボンが誰よりも好きなのは自分だ」という思いがあったので、大きい舞台で先頭に立ち、お客さまにキル フェ ボンの魅力を伝えていきたいと考えました。

結果、店長に選んでもらえ、大きな転機にもなりました。チャンスをつかんで好きなことをやるためには、恐れず声を上げたことがよかったのかもしれません。

上司からの助言、とにかくメモ

―――大消費地の東京進出の足がかりとなる青山店で20代前半で店長となり、重責に押しつぶされるような気持ちにはならなかったのですか。

好きなことを仕事としてやっていくという感覚で、自分から声を上げたことなので、店長を任せてもらえた感謝の気持ちとともに 、後は与えられた店長の役割をしっかりと全うしようという思いだけでした。

ただ、青山店の開店後、当時の経営者からは「今日はどうだった」と毎日、電話がかかってきました。

後から聞いた話ですが、経営者としては社の今後を左右する出店だったので毎晩、眠れなかったそうです。

―――タルトやケーキ作りは、どのように取り組んでこられたのでしょうか。

社としては、タルトやケーキの開発自体は、いつでも誰でも各店舗で取り組んでいいよという体制でスタートしており、今でもそうした社内文化は残っています。

ただ、店舗で開発となると、接客や販売などの営業もありますので、今から15年ほど前に、企画づくりに専念できる開発担当者を集めた部署がつくられました。

当時、10店舗ほどになっており、私はそれらの店舗をまとめる統轄店長だったのですが、店舗運営の現場の声を生かしていくかたちで、その開発部署にも関わっていくことになりました。

―――自身の製菓技術自体はどのように身に付けられたのでしょうか。

お菓子作り自体は入社前から趣味で行っていましたが、本格的には入社後からです。

キル フェ ボンにはタルトやケーキのレシピがあり、きちんと計量しながら、決められた通りにつくるということが基本になります。なので開発側としても活躍するには、製造でしっかりと多くの現場を経験することが重要でした。

ただ、レシピがあるといっても、扱うのは生ものですので、当時の上司からの助言をメモできるときはとにかくメモし、できない時は作業が終わった後に一生懸命、思い出して書き留めたりして、復習するみたいな時代がありました。

新作が出るたび「特別な気持ち」に

―――キル フェ ボンの肝となるタルトやケーキ作りのレシピ作りはどのように関わっていくようになったのでしょうか。

先ほど申し上げた開発部署ができたころから、レシピにも関わっていくようになりました。

当社では、タルトやケーキの土台となるキャンバスにさまざまなフルーツや食材を盛り付けていくのですが、味はもちろん、ビジュアルも同じぐらい、大事にしています。

1人で完結することもありますが、そうした場合だけでなく、複数の開発メンバーでアイデアを合わせてつくっていくこともあり、そうした時には私もサポートにまわるかたちです。

―――自身がかかわったタルトやケーキで印象に残るものはありますか。

特選タルトというシリーズを立ち上げたころに関わったことが印象深いです。

高級なフルーツを使ってみようという試みだったのですが、例えば高級イチゴで知られる「紅ほっぺ」を使おうとすると、通常の3~4倍の大きさがあります。それをどのようにカットして美しく見せるのか、みたいなところにすごく悩みました。まな板の上のフルーツと向き合い、試作を重ねていきます。

―――苦労して試作した分、タルトやケーキが実際に世の中に出ていく瞬間の喜びは大きいのではないでしょうか。

入社して30年になりますが、開発に関わったタルトやケーキが発売される時には、いとしい我が子が世の中に出ていくような気持ちになります。

例えば、イチゴのタルトをとっても、70種類ぐらいあるのですが、それぞれに個性やスタッフの込めた思いがあり、同じものは1つもありません。なので、今なお毎回、新しいタルトが出ていく時は、特別な気持ちになります。

そうした感覚を多く味わえるのも、仕事と向き合うやりがいになっています。

12月5日(火)掲載の後編「クリエイティブとビジネス、どう両立させる?キル フェ ボンの商品企画・開発リーダーに聞くセンスの磨き方 農業や地方活性化への思いも【後編】」に続く

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