HOMECareer Runners 「無理だという感覚に何度も襲われた」 帰国子女でも難しい通訳業界、なるにはどうする?:通訳者・橋本美穂さんインタビュー(1)【Professional Report】

「無理だという感覚に何度も襲われた」 帰国子女でも難しい通訳業界、なるにはどうする?:通訳者・橋本美穂さんインタビュー(1)【Professional Report】

菓子翔太

2023/05/16(最終更新日:2023/06/05)


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商談や記者会見などの場で、リアルタイムに外国語を日本語訳して伝える逐次・同時通訳(※1)のお仕事。

※1 逐次通訳は、話し手の話を合間合間で止めながら訳す仕事。同時通訳は、話し手の話と同時進行で訳す仕事。

橋本美穂さんは、これまでに英語の通訳として6000件以上の案件を担当。ふなっしーやピコ太郎が外国特派員向けに行った記者会見で通訳も務めました。

通訳の仕事に就くまでの大変さや仕事の魅力、AIによる翻訳技術が進歩する中で今後の通訳業界に対してどう考えているのかといった点などについて、U-NOTE編集部の菓子が業界のプロである​橋本さんにインタビューしました(全3回中第1回)。

(Professional Report)

安請け合いした初通訳、失敗

―――通訳のお仕事に就かれた経緯を教えて下さい。

実は私、“通訳になりたい”って当初から思っていたわけではなかったんです。帰国子女なので、もともとある程度英語を話せていたんです。でも、もっと広い世界で、とりあえず大企業で仕事をしてみたかったのでキヤノンに就職して、本社で総合職として仕事をしていました。

ある時、社内の国際会議での通訳を上司に頼まれたんです。「英語が話せるから、きっと通訳ができるだろう」と思って安請け合いをしてしまったんですが、本番になると全然できなくて。何で英語が話せるのに、こんなに通訳できなかったんだろうと思って、すごく悔しかったんですね。

その理由がとにかく知りたくて。(通訳の)技術を知ってみれば、なぜできなかったのか分かるんじゃないかと思い、都内の通訳者養成学校に通い始めたんです。卒業までに3年半かかりましたね。

通訳は“スプリット・アテンション”

―――橋本さんご自身は、通訳者になるにあたってどのように勉強されたのでしょうか?

通訳学校では、ものすごく基本的な通訳技能を教えられます。私が訳せなかった理由って、英語が話せても通訳技能がなかったからなんです。聞いたことを記憶する力や聞いた話を一言で要約する力を鍛え、自分が全く知らない業界の話を通訳する際の準備方法や専門用語の調べ方を教わりました。

逐次通訳の上に同時通訳のクラスがあります。これは(話し手の話を)聞きながら訳すスタイルであるため、同時性を身につける訓練がありました。1つのスピーチを聞きながら全然関係ないものを読み、読んだものと聞いだものの両方を理解できているか、100からカウントダウンしていきながら1つのスピーチを聞いて理解できているか。脳を2~3つに分けて使う方法を訓練しました。

橋本さんがお客さんのもとに向かう際に持っていく同時通訳レシーバー。いつも荷物がいっぱいとのこと

のちに私が通訳学校の講師を務めていた時期、生徒さんに対して「スプリット・アテンション」という言葉を使いました。これは100ある集中力をいくつかに分けるという考え方です。この感覚を身につけてほしいと説明していました。例えば「聞く」に30%、「読む」に20%、「話す」に30%、「話した結果を観察すること」に残りの20%の集中力を使うというマルチタスクですね。

―――それに慣れることはものすごく大変でしたか?

はい、人にもよるとは思うんですけど難しかったです。クラスで10人中1~2人位しか進級できないんですよね。難しい専門用語がいっぱい含まれている文章を聞きながら話すことは、相当な技術がないとできないんですよ。何回か私もくじけて。私は逐次通訳のクラスでも1回くじけて、進級テストに落ちて。もうどうしよう、やめようかなと何度も思いましたね。

挫折感でいっぱいだった

―――あきらめる方もいらっしゃるんですか。

多いです。その学校を卒業したら終わりでもなくて、卒業後も仕事が取れないと意味がないじゃないですか。だから、その難しさを学校で教わると、「この先これを仕事にしていくのは無理だ」という感覚に何度も襲われます。

(学校には)現場で活躍している通訳者が教えに来てくれるんです。だから本当に厳しい現場の話も聞けますし、通訳者養成学校という安全な環境の中でトレーニングを受けているだけなのに、「こんなにできなくてボロボロになるのか」という感覚も味わうので、挫折感でいっぱいの学校生活でした。

―――英語圏ご出身でも、難しさをものすごく感じてしまうものなんですね。

歴史・政治・経済・文化、それぞれのフィールドがありますよね。私は帰国子女なので日本史がものすごく苦手。この苦手意識が芽生えると、もう訳せないんです。英語はまだ大丈夫だったんですけども、その英語力もものすごく注意されるんですよ。「『s』が付いている、付いていない」といったことやちょっとした時制の違いでも指摘されます。

ただ、それは重要な指摘で、たとえば投資家と企業との間のIR、インベスターリレーションズ関係のミーティングをしているときに「これから景気が良くなる」と断言したのか「良くなると思います」と言ったのか、その微妙なニュアンスを間違えただけで大問題。過去形と現在形の使い分けについても、ものすごく正確にやらないといけないので、学校にいる段階で、ちょっと英語がまずいだけでボコボコに指摘される。自分が自信を持っていたはずの英語力でさえボコボコにされるという。

―――帰国子女じゃない方がなるのには、相当ハードルが高いでしょうか?

帰国子女は有利だとは言われていましたが、日本にずっといて一生懸命勉強されてきた方の英語力もかなり高いです。だから、どっちのルートで極めたかという違いでしかないと思います。帰国子女は子供時代にちょっと海外に行っていただけであって、海外の大学まで出ていないかもしれないじゃないですか。そうすると意外と子どもが話すような英語になっちゃっているところもあって、ビジネス通訳で使うには未熟すぎるんです。だから、帰国子女は発音の部分で少し優位な面もあるかもしれませんが、同じようにちゃんと勉強しないといけないと思いました。

成果に対してもらえる報酬に喜び

卒業したころ、ちょうど景気がすごく悪くなって大企業もコスト削減やノー残業デーをやり始めたんですよ。遅くまで働くことにも、すごくやりがいを感じてハッピーだったのに、早く帰されるって納得いかなかったんです。もっと働きたいのに18時ぐらいになると「はいパソコン消しますよ」って上司が現れて。

18時半とかに帰宅して何しようかと考えたとき、翻訳をちょっとやってみようと。翻訳コンテストに応募してみて、少量の日本語を英語に訳したんですよ。そしたら優勝しちゃって報酬として5万円もらいました。やった分だけ報酬がもらえるという感覚は初めて。会社でしっかりとお給料はいただいていますけども、自分の余ってるエネルギーを何かに注ぎ込むと、その分成果が出て報酬をもらえることにすごく喜びを覚えました。

橋本さんが同時通訳ブース内にいつも持ち込んでいるアイテム。鉄板のパイロットのTIMELINE(ペン)、耳掛け式のイヤホン、ジャック、タイマー、リップ保湿アイテム

それで味をしめて今度は通訳・翻訳のエージェンシーに行ったんですね。内職になっちゃうけど「空いた時間で翻訳したい」とエージェンシーの社長にメールで伝えたら、履歴書を見て「通訳者養成学校出てますよね、なんで翻訳なんですか」と突っ込まれました。「会社辞める気ないし、ちょっとお小遣い稼ぎができたらなっていうノリで来たんで」と返したら、「いや、これ通訳者でしょ。あなたは絶対通訳に向いてる」って言ってくださったんです。

その言葉をきっかけにビビリながら会社を辞めることにしました。ただ、モーレツ社員(※2)っぽい体質が抜けなくて有給も全然消化せずに金曜日まで勤めて、月曜日から通訳者になりました。

※2 モーレツ社員:会社への忠誠心が非常に高く、自分や家庭などを犠牲にしてまでがむしゃらに働くサラリーマンのこと

厳しい道のりを乗り越えてビジネス通訳として活躍していた橋本さんが、どうしてふなっしーやピコ太郎の通訳を務めることになったのか、インタビュー(2)に続く

 

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