「人権」というと、かつては差別問題や従業員に対する各種ハラスメントといった狭い範疇で捉えられていました。しかしここ数年で、ビジネスの論理で人権対応を考えることが必須になっています。
小売業向け在庫分析システム『FULL KAITEN』を開発・提供するフルカイテン株式会社代表取締役CEO瀬川直寛氏による第3回の寄稿では、「ビジネスと人権」について解説していただきます。
なぜ今「ビジネスと人権」なのか
弊社フルカイテンが開発している在庫分析クラウド『FULL KAITEN』は小売企業向けですが、特に利用が多い業種はアパレルです。
アパレルを含む繊維産業というのは、サプライチェーン(バリューチェーン)が細分化されているのが特徴です。また、国内で流通する衣料品の輸入浸透率は97%に達しており、私たちが手にする衣服のほぼ全てが国境を何回もまたぐ複雑なサプライチェーンを経ています。
こうした複雑なサプライチェーンの中では、不公正取引や児童労働などの人権問題が起き得る場面が多くなります。そのため、国内の各業界団体の連合体である日本繊維産業連盟は2022年夏、ILO(国際労働機関)とともに、企業が遵守すべき人権ガイドラインを策定しました。これは日本の産業界で初めてのことです。
弊社は2022年11月、このガイドライン策定に携わった日本繊維産業連盟副会長の富吉賢一氏を講師に招いてウェビナーを開催しました。
本稿では、ウェビナーの要約を引用する形で「ビジネスと人権」の最前線を紹介したいと思います。
ラナプラザ事故が世界中の企業を動かした
まず、企業活動と人権に関する歴史を俯瞰してみます。
第2次世界大戦の後、1948年に世界人権宣言が採択され、76年に条約化しました。これが人権対応の基本になります。
同年にはOECD(経済協力開発機構)が多国籍企業行動指針を制定し、翌1977年にはILO(国際労働機関)が多国籍企業宣言を採択しました。
この2つの背景には「先進国(および先進国に本拠を置く多国籍企業)が発展途上国で好き勝手に経済活動をしている」という途上国からの苦言があった、と富吉氏は指摘しています。
その後、1990年代まで地球環境問題を含め長期間におよぶ議論がなされました。その結果、国連が2011年に「ビジネスと人権に関する指導原則」を制定するという成果に結実しました。
ただ、このような原則ができたからといって、多くの企業が動き出すものでもありませんでした。2013年にバングラデシュでラナプラザ崩落事故(*1)が起きたことで、ようやく社会が動き出したのでした。
ラナプラザの事故では多くの縫製企業の従業員が犠牲になりましたが、その縫製企業が多くの世界的なアパレル企業と取引していたため、ファッション業界が世界的な非難の的となったことは記憶に新しいと思います。
*1…2013年4月24日にバングラデシュのサバールで、縫製工場・銀行・商店を含む8階建ての商業ビル「ラナ・プラザ」が崩落した事故
「ビジネスと人権に関する指導原則」のポイント
国連のビジネスと人権に関する指導原則には、主に次の3つのことが書かれています。
- 人権を守るのは国家の義務である
- 企業には人権を尊重する責任がある
- 被害者が救済措置を得るメカニズム
富吉氏は「この3つが人権対応のポイントになる」と解説します。この中で特に企業にとって重要な2つ目(企業には人権を尊重する責任がある)については、次章で述べるデュー・ディリジェンスという手法を使って実践するよう規定されており、OECD(経済協力開発機構)がそのためのガイダンスをつくっています。
重要性を増す人権デュー・ディリジェンス
企業の人権対応において欠かせない手続きが「人権デュー・ディリジェンス」です。
デュー・ディリジェンス(DD)は、金融業界では投資や融資をする際に対象のリスクや収益性について詳細に調査・分析する手続きを指す言葉として広く使われています。
これを人権に当てはめると、企業活動を詳細に調査・分析することによって人権上の課題をあぶり出し、それを解決するという意味になります。
国内外では昨今、社会が責任ある企業行動を要求する動きが急速に拡大していることは読者の皆さんもお気づきかと思います。ここで言う「社会」には、株主だけでなく従業員、消費者、取引先、金融機関など全てのステークホルダーが含まれます。
つまり、人権対応をしないと、社会がその企業を許さないようになっているということです。そして、産業界で最も人権DDを重視しているのが金融機関であり、人権DDをおろそかにしている企業は投融資を受けられなくなるという状態がすぐそこまで迫っていると言えます。
富吉氏は「人権DDは経営方針そのものだ」と説きます。経営トップが「人権を守ります」という経営方針を示して経営システムに組み込むこと(コミットメント)をしなければ、中間管理職をはじめとした従業員は行動を開始できないからです。
出典:経済産業省「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」
社内だけではなくサプライチェーンの管理においても、このコミットメントは重要です。「経営トップが指示をしない限り、調達担当をはじめとする役職員がきちんと動ける保証はなく、トップが知らないうちに人権侵害が起こる可能性があることにも留意すべき」(富吉氏)とのことです。
ステークホルダー・エンゲージメント
次に重要なのがステークホルダー・エンゲージメントです。エンゲージメントは「建設的な対話」と訳されることが多いのですが、ここで言うエンゲージメントは「経営者と従業員との間で事実関係がきちんと伝わる関係を築くためのコミュニケーション」と言い換えることができるでしょう。
この「従業員」には自社の従業員だけでなく、取引先の従業員も含まれます。取引先企業が従業員とのエンゲージメントを実践できるよう、自社と取引先との間でもエンゲージメントを行うことがポイントになります。
また、人権侵害などの問題が起きる場合は往々にして様々なところから複数の問題が発生します。その場合、人材リソースが限られる中小企業において複数の問題に一度に対応するのは恐らく無理でしょう。
ただ、これを気に病む必要はありません。「人権DDの世界では、優先順位をつけて一つひとつ順番に取り組むことが肝要」(富吉氏)だからです。
ただ、この優先順位付けは、やりやすい問題から取り組むのでなく、人権侵害の深刻度が高い問題から取り組むことが鉄則です。深刻度の考え方は様々ですが、人の生命・身体に影響が起こりうる人権侵害であれば、それを最優先することになります。
取引先の人権侵害にも責任を負う
取引先に対する自社の責任も見逃せないポイントです。人権侵害のパターンは次の3つに分類されます。
(1)自社の企業行動が社内の人権侵害の原因になる(cause)
(2)自社の企業行動が取引先の人権侵害を助長する(contribute)
(3)自社の役務提供に当たり取引先の部門などで人権侵害がある(directly linked)
(1)は自社内で何らかの人権侵害が起きてしまうケースであり、事業活動に関わる全ての従業員(正社員、非正規社印、アルバイト)に対するハラスメントを防止することが重要になります。
代表的なものはパワハラ(パワーハラスメント)でしょう。厚生労働省の委託事業として運営されているサイト「あかるい職場応援団」によれば、パワハラは大きく6つに分類されます。
- 身体的な攻撃
- 精神的な攻撃
- 人間関係からの切り離し
- 過大な要求
- 過小な要求
- 個の侵害
これらに対して具体的に取り組むことが必要です。
(2)の例として、短納期発注が取引先における違法労働を助長するケースが挙げられます。発注元が発注先の労働者の強制労働を助長したということで、人権ガイドライン的にはNGです。この場合、短納期発注をやめるしかありません。
(3)のような人権侵害を防ぐためには、取引先の行為をチェックすることが必要です。縫製を委託している事業者において人権侵害が発生すると、結局は自社の製品に結びつくからです。富吉氏は「結びついている以上は対応が必須であるというのが人権DDの考え方」と指摘します。
ちなみに弊社フルカイテンでは、些細なハラスメントも許さず、「強い会社 = 良い会社 × 誇れる会社」という姿を実現するため、普段から実施している1on1に工夫をこらしています。
具体的には、次のような質問を組み込んだドキュメントを用意して、1on1の前に記入してもらっています。
1. 自分に起きた小さな変化・進化は何?
2. チームに起きた小さな変化・進化は何?
3. 最近「自己肯定感が高まったなぁ」と思ったエピソードは何?
4. 最近「あの人のここはすごいなぁ」と思ったエピソードは何?
5. 求められている成果を妨げているものは何?
6. 最近働きづらさを感じたのはどんなとき?
etc.
特に1や2は重要です。なぜなら、これらの質問に答えると、従業員それぞれの自己肯定感が高まるとともに、他者への信頼感も醸成されるので、それぞれの可能性がさらに引き出されるようになるからです。
つまり、従業員一人ひとりの人権をお互いに守っている状態とも言えます。
こうして一人ひとりの強みが発揮されるチームは強く、強いチームが集合した会社も「強い会社」になります。
※詳細はこちらのnoteを参照
コストも人権意識も「外部化」をやめよ
私はかねてより、日本ではSDGsやESG経営が環境問題に偏っていると感じてきました。それに対し、EU(欧州連合)は人権と環境を同列に扱い、両方大切にしている印象です。
「どうして彼らは人権と環境を同列に見ることができているのだろうか」「企業が人権問題に一所懸命に取り組んでも、どう収益につながるのか経営者は疑問に思わないのか」こうした疑問が私の頭から離れませんでした。
この疑問を氷解してくれたのが富吉氏の解説でした。それは、SDGsはあくまで持続可能な「開発」目標であり、その根幹にあるのは「人」だということです。
SDGs17項目で謳われているのは貧困や女性差別をなくすこと、子どもを大切にすることなどです。SDGsの第1目標は貧困をなくすことであり、人が生きていく上で必要な環境保全も入っているという優先度の高さなのです。
だからこそラナプラザの事故後「人権侵害をした上でつくられた製品は買いたくない」という方向へ、欧米の消費者が急速に変わったのではないでしょうか。
日本企業はこの10年間コスト削減しかやってこなかった
今後、日本では「人権対応」が企業として投資する分野になると私は予想します。
経済産業省が法人企業統計を基にまとめたデータによれば、2009年から2019年にかけて、日本の全産業の売上高(海外法人を除く。金融保険業を含まない)は1.1倍にしかなっていないにもかかわらず、当期純利益は4.9倍に増えています(下グラフ)。
日本ではこの10年間、全産業全企業の国内売上高の増加は1.1倍だったのに対し、当期純利益は4.9倍になっています。この間、企業は生産拠点を海外に移転し、国内の賃金を全く上げませんでした。
この裏側で起こっているのが外国人技能実習制度の矛盾であり、海外における児童労働なんだろうと思います。これは生産コストを外部化した結果であり、人権意識の外部化も進行してきたことにほかなりません。
その意味では、人権デュー・ディリジェンスは一度外部化してしまったコストと人権意識を内部化する手続きと言えると思います。
富吉氏は「サプライチェーンはグローバル化しているので域外企業も対応しないといけない。企業は人権デュー・ディリジェンスによって人権侵害がないことを繰り返し証明し続けるしかない」と警鐘を鳴らしています。
コスト外部化以外の手段で生産性向上を
コストを内部化しようとすれば調達コストや製造コストは間違いなく上がります。しかし、コストの外部化によって生産性を上げていく(調達価格を下げるという形で効率化を図る)時代は終わったのではないでしょうか。
これまでは単に工程を海外に移管するだけでコストが下がっていたわけですが、これからは外部化以外の手段で生産性を上げる努力が必要になるということです。
コストの内部化には良い面もあります。コストを外部化(海外へ大量発注)した結果、売れるはずもない量が生産・納品されているのが現状ですから、財務的には効率化になっていないと言えます。
人権対応に投資することでコストを内部化すれば、製造原価は増えるものの生産量が減って残在庫による損失(償却損、廃棄損)がなくなるため、付加価値投資と捉えることができます。
富吉氏は「海外へのアウトソースはコストは下がるが人権リスクは大きく上がる。そのリスクが顕在化するとブランドイメージに傷が付き、大きな経営上のマイナスになる」と喝破しています(ラナプラザの事故はその典型例でしょう)。
その上で「情報公開は必須。Z世代はインターネットで調べ、ちゃんと取り組んでいるブランドの商品を買う。取り組み内容をウェブサイトで公開していなければ彼らの情報収集に引っ掛からないので、彼らからすれば存在しないことと同じになる。途中経過でも良いので『ここまでやりました』と宣言するだけでも大きな違いだ」と企業に対応を促します。
これに対しては私も全く同感です。私は毎年1回、関西の高校でSDGsを切り口にした特別授業の教壇に立たせていただいていますが、生徒さんたちは驚くほど企業のSDGsに関する取り組みを調べています。
「ビジネスと人権」が高校生たちの授業のタネになることが標準になる日も近いでしょう。
「人権投資」の原資を生み出す『FULL KAITEN』
出典:FULL KAITEN
在庫を効率よく利益に変える弊社フルカイテンの小売企業向けクラウドシステム『FULL KAITEN』は、不要な値引きを抑制しプロパー消化率を改善できるほか、客単価を向上させることが可能です。そのため、在庫を増やしたり在庫を余分に持ったりせずとも売上・利益・キャッシュフローを増やすことができます。
「人権対応」にかかるコストを「費用」と見てコスト削減に動くのではなく、新たな価値を生んで事業を差別化するための「投資」として捉えることが必須です。FULL KAITENは、売上・利益・キャッシュフロー改善に向けた業務負荷を低減させながら、人権対応投資の原資を稼ぐことに貢献します。
瀬川直寛
フルカイテン株式会社
代表取締役
慶應義塾大学理工学部で天然ガスの熱力学変化に関する予測モデルを研究。ベビー服ECの経営者として、在庫問題が原因で3度の倒産危機に直面。それを乗り越える過程で外的要因や予測不能な変化に強い小売経営モデルを生み出し、『FULL KAITEN』を開発。2017年11月、FULL KAITENをクラウド事業化し、SaaS型システムとして販売を開始。2018年9月にはEC事業を売却し、FULL KAITENに経営資源を集中している。小売業の「在庫」を「利益」に変えるクラウドサービスとして評価を確立。
現在、全国の大手アパレル企業やスポーツメーカーなどで導入が進んでいる。当社は2021年7月、ジャフコ グループ株式会社が運用する投資事業有限責任組合を引受先とする第三者割当増資により、5億円の資金調達を実施。累計調達額は8億円超となり、FULL KAITEN新機能のリリースも相次ぎさらに注目を浴びている。
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