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発酵ジンジャーエールでノンアル市場に革命を!ちょんまげを結った35歳起業家に聞く“行動力の源”となる考え方

長澤まき

2020/11/07(最終更新日:2020/11/07)


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「自分の可能性に挑戦したい」「起業したい」と思ってはいても、実際に行動に移すのはなかなか難しいものだ。そんな中、アジアのノンアルコール市場に革命を起こし、地元の農業を活性化させるべく、積極的に行動している起業家がいる。

株式会社しょうがのむしは、クラフトノンアルコール飲料「発酵ジンジャーエール」を日本で復活させるためのクラウドファンディングを12月6日(日)まで実施している。

「発酵ジンジャーエール」を日本で普及させ、アジアにもマーケットを形成。それによって地元(埼玉県)の「見沼田んぼ」で衰退してしまった生姜栽培を復活させ、休耕地を減らす、というプロジェクトだ。

壮大な目標に向けて、どのように気持ちを奮い立たせ、モチベーションを維持し続けているのか?周東孝一代表に取材した。

ジンジャーエールのルーツを復活へ

「発酵ジンジャーエール」は、イギリスでおよそ300年前に生まれた、ジンジャーエールのルーツとなった飲み物。日本では1869年(明治2年)、「ジンジンビア」という名称の一般向け炭酸飲料として発売された。

同飲料は、本物の生姜を使用しない安価なジンジャーエールの登場によりほぼ淘汰されていたが、近年、欧米を中心に再び流行の兆しが見え始めているという。

同社は、この発酵ジンジャーエールを日本でも復活させ、アジアのノンアル市場をつくり、その結果として衰退してしまった地元の田んぼを復活させることを目指している。

Instagram/ginger_bug_inc(しょうがのむし)

「待って時間を使うのは勿体ない」と起業

周東代表は、月代を剃り上げた本物のちょんまげに、和服を着て活動している35歳の起業家。台湾人の両親のもと日本で生まれ育ち、日本国籍を有している。

ビック酒販で酒類小売に携わった後、台湾へ渡り、和酒の利き酒師を歴任。その後、親戚の紹介がきっかけで知り合った台湾のビール会社から「日本進出を手伝ってほしい」「支社長になってほしい」というオファーが来たが、それ辞退し、翻訳会社(訳国株式会社)を設立。

2019年にさいたま市が主催する「世界を変える起業家」ビジコンinさいたまにてグランプリを受賞し、同社を設立した。

-----台湾のビール会社の日本支社長のオファーを辞退して、起業に踏み切った経緯は?

周東代表:私は支社長になるために日本に帰国していましたが、「今、中国市場が好調だから少し待ってください」「日本市場での流通のためには賞味期限の長いビールを開発しなければ」といった理由で、数ヶ月待たされることになりました。

今思えば、私の能力の無さを彼らに見透かされていた、ということでしょう。私は言われた通り、ただ待つばかりで何もしていなかったのですから。

3カ月以上も待機し、収入もなく、貯金が減っていくばかりの日々に不安を覚え、別の親しい友人に相談したという。

周東代表:すると、友人がこんなことを言いました。

「たった一度の人生なのに、人のことを待って時間を使うのはもったいない」と。

当たり前の言葉かもしれませんが、私はその言葉に非常に納得し、「本当にその通りだ!」と答えて、すぐに支社長の話を断り、自分で、自分の人生を生きることに決めました。

そうして、当時副業で行っていた翻訳を、本業レベルまで引き上げることを目標に、起業に向けて準備をスタート。それから、8カ月後に、現在も続けている多言語翻訳&通訳派遣会社を立ち上げた。

詳しそうな人に、SNSなどでコンタクト

-----起業するにあたって、どのように準備しましたか?

周東代表:翻訳を行う「訳国株式会社」を立ち上げた際は、他に食べていくための選択肢がなかったので、なんとなく、パソコン一台で起業しました。

そのための準備として行ったのは、税理士に株式会社設立を委託する・ネットや個人の人脈から翻訳者を探す・翻訳を依頼してくれるお客様を探すの3つだけ。ビジネスモデルなどは、一切考えていませんでした。

一方、発酵ジンジャーエールを製造・販売する同社の立ち上げにあたっては、設備投資が必要になることや、日本に市場のない商品を扱うこと、在庫も抱えなければいけない等々、立ち上げから費用がかかり市場も開拓しなければいけないので、失敗しないように入念な準備や分析が必要だったという。

周東代表:しかし、私にはそれを組み上げる能力も、生産に対する知識も、関連の人脈も一切ありませんでした。そこで、“近場で詳しそうな他人にコンタクトをとる”ところから始めました。

サイトやFacebookなどから連絡をすると、数人から返信があり、快く話を聞いてくださいました。全く知りもしない他人と繋がれるのですから、本当に便利な世の中です。

そして、コンタクトをとった方の一人が、さいたま市が主催するビジネスプランコンテストへの参加を勧めてくれました。それに参加したことで、ビジネスプランがブラッシュアップでき、ビジネスの組み立て方の感覚も多少養われました。

お陰で、行動開始からちょうど1年後には創業することができました。

Instagram/ginger_bug_inc(しょうがのむし)

第2次審査最下位から大逆転

そうして挑戦したさいたま市主催のビジネスコンテストで、周東代表はグランプリを受賞した。

-----ビジネスコンテストに臨むにあたって、どのような準備・工夫をしましたか?また、グランプリを受賞した決め手は何だと思いますか?

周東代表:ビジネスプランコンテストは、書類審査(1次審査)・5分間プレゼン(2次審査)・7分間プレゼン(最終審査)という、3つの審査から成っていました。

私は、1次審査をトップで通過しましたが、その後の2次審査では最下位での通過となり、「受賞に関しては絶望的…」と言われていました。

しかし、「コンテストの結果がどうあれ、自分のビジネスを進めることには変わりがない」と考え、悲観的にならず、審査員に指摘された点を全て改善しました。

ビジネスプランを練り直し、2次審査で使用したプレゼン資料は捨てて、1から資料を作り直し、最終審査に挑んだという。

周東代表:そのとき最も良かったのは、行動理念に「やれること、全部やる」という考えを据えたことだと思います。

例えば、審査員からの「販路がない、販売先もない」という指摘に対して、当初は憤慨し、妻や友人に愚痴っていました。「まだ会社も商品もないのに、販売先なんてある方がおかしい」と。

しかし、「やれること、全部やる」という理念の基、知人や友人を伝って、飲食店経営者を紹介してもらい、ビジネスプランを聞いてもらい、何軒かから仕入れてもらえる、という口約束を取りつけてきました。

こういう“やれること”の積み重ねにより、 ビジコンでも良い結果が残せました。また、壁にぶち当たっても、弱音や怒りは出るものの、すぐに切り替えてやれることは何かを考え、行動できるようになってきました。

自社で借りた休耕地(農園予定地)

和服姿は台湾時代の仕事がきっかけ

-----ちょんまげと着物姿というスタイルには、どのような理由・こだわりがあるのですか?

周東代表:高校生のとき、和服が好きになりました。ほとんど着る機会はありませんでしたが、カッコイイと思っていました。

日常から着るようになったのは、台湾で利き酒師をしているときに、台湾人のお客様と私(利き酒師)の見分けがすぐにつくように、和服を着始めたのがきっかけです。慣れてしまったので、帰国後も着るようになりました。

そうしているうちに、テレビなどで“ちょんまげ”を見るとカッコイイと思うようになり、自分でも髷を結うために1年半髪を伸ばして、頭頂部を剃髪し、今の髪型になりました。

自分にとってはただのカッコイイ髪型ですが、その珍しさから仕事にも活かせているので、どんどん好きになっています。ただの趣味ですが、この格好で世界に発酵ジンジャーエールを売りに行くと思うと、今からワクワクして仕方がないですね。

挑戦が怖いのは“不明瞭”だから

-----さまざまなことに挑戦するにあたって、怖さはありませんでしたか?どのようにして気持ちを奮い立たせましたか?

周東代表:新しいことに挑戦するのは楽しい事ばかりです。

最近よく「スピード感があって…」とお褒め頂くことが多いのですが、自分では全くそんなことはないと思っていて、色々なことが遅々として進まず、悔しい想いをする毎日です。

新しいことへの挑戦に対する恐怖ですが、結局全て自分がやりたいことですので、怖いと思ったことは一度もありません。

人は闇を恐がります。輪郭のはっきりと見えない、化け物が出てくるような暗がりです。怖いと感じる人は、新しいことが怖いのではなく、その新しいことが不明瞭だから怖いのだと思います。五里霧中だから怖いのです。

新しく成そうとすることが、はっきりとしていれば、怖いと思うはずが有りません。まずは怖くなくなるまで調べてみれば良いのではないでしょうか?

しかし、時として気持ちを振るい立たせなければいけないときも確かにあるという。

周東代表:そんなとき私は「他人に発表する」ことにしています。

SNS、特にTwitterのように気軽に投稿できるものを使って、「コレがしたい」「そのためにアレをしなければならない」「だからいついつアレをします」のような形で発信し、自分の退路を断ちます。

また、発信することにより、手伝ってくれる方が現れたり、アドバイスを頂けることもあり、一石二鳥の良い方法です。

発表することで思いが具体的になる

発酵ジンジャーエールのクラウドファンディングプロジェクトには、募集終了まで約1カ月を残して、すでに目標を大きく上回る支援が寄せられている。

同社は今後の予定として、“2020年11月 第1回見沼田んぼ内での試験栽培生姜の収穫”・“2021年1月 清涼飲料水の製造免許を取得”・“2021年4月養蜂を開始”など、とても細かくスケジュールを計画。

2024年には年間2万リットルの生産を達成させて全都道府県で発酵ジンジャーエールを飲めるようにし、2027年には酒類製造免許を取得してアルコール入りの発酵ジンジャーエール製造に着手するという。

-----目標を細かく設定する理由は?

周東代表:これも最近よく言われるのですが、自分としては全く細かいと思っていません。ただ、やりたいことがたくさんあるので、いつやろうかな、と配置したらあのようになりました。実際、あまり細かくないように思います。

私は“ゴールに向かって計画や予定を立てる”というのが大嫌いで、大の苦手です。

ですので、最近になって計画性があるようなことを言われると、不思議でなりません。しかし、よく考えてみると、“やりたいことが明確である”というのが起因して、自然とそれができるように見えている、と言うことだと思います。

このことから、周東代表は、目標設定においては「やりたいことを明確にすること」が大切だと考えているという。

周東代表:では、どうやって明確にするのか?これはとても簡単です。人に話せば良いのです。そして、まず動き始めてしまう。

人に話す、またはSNSで発表することで、抽象的な想いが具体的になります。退路が断たれ、無理やりでもやる気も出ます。動き始めれば、何かしらの結果が出ます。周りの人からも反応が返ってきます。それを参考にすれば、自分のやりたいことは派生的に増えるかもしれませんし、やりたいことの問題点の改善にもつながります。

“目標設定”と聞くと私自身、吐き気がするのですが、“やりたいことを人に話す”と聞くと、とても簡単なことのように思えます。目標なんて設定しなくて良いので、何がしたいのかを突き詰めてください。

素早く行動に移すことが大切

-----ビジネスをつくり展開するにあたって、大切にしていることを教えてください。

周東代表:まず、「そのビジネスは、自分が本当にやりたいことなのか?」を考えます。私は優秀な方ではなく、努力も嫌いなので、やりたいことや好きなことでなければやる気が出ません。

次に、「そのビジネスで、誰かの役に立つのか?」「本当に必要とされているのか?」を考えます。人の役に立たないことでは、誰にも応援されないので、自分のやる気も続きません。

最後に、 「それは本当に誰もやっていないのか?」を考え、調べます。もし既に似たようなことをやっている人や会社があれば、わざわざ自分で立ち上げなくても、そちらに協力した方が効率的だし、業界の成長も早くなります。

そちらに参加してみて、どうしても馬が合わないとか、仕事が楽しくないとか、方向性が違うとか、そこでは実現不可能な革新的なサービスを思いついたとか、そういうことが有れば、後から独立しても良いと思います。

また、素早く行動することが大切だと語る。

周東代表:立ち上げに際して、これは人からの受け売りですが、「3年後くらいに独立しようと思っている」という人は、3年後、絶対に独立しません。

3年もの間、何を待つのでしょうか?お金を貯めるための期間?お金は借りれば良いです。今の仕事やプロジェクトを終わらせてから?仕事と掃除と筋トレには終わりは有りません。

前述の通り、何かを待つのは時間がもったいないです。1年もあれば十分です。

私のこんな記事なんか読まず、早く行動すればいいと思います。調べ始めればいいと思います。コンタクトをとればいいと思います。早く。

失敗を恐れずに、スピード感を持って意欲的に活動を続ける周東代表。その力強い考え方と行動力は、自分らしいキャリアを積み上げていきたい、新しいことに挑戦したいと考えている若手ビジネスパーソンたちに勇気を与えてくれる。

出典元:しょうがのむし
出典元:FAAVO/発酵ジンジャーエールを世界に誇るさいたまの名産に!そして見沼田んぼを復活させる!

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