1994年のリレハンメル冬期オリンピックで誰よりも注目を集めた2人の選手がいた。それより1ヵ月前、オリンピック代表選考会を兼ねたフィギュアスケート全米選手権で、競技前に何者かに膝を殴打され、欠場を余儀なくされたナンシー・ケリガンと、後に殴打事件に関わったことを認めたライバルのトーニャ・ハーディングである。
その後、アメリカ代表として共にリレハンメルにエントリーした2人が注目の的だったことは言うまでもない。荻原健二選手を始め日本のノルディック複合チームが現地入りした直後の記者会見で、海外のメディアから気になる選手は誰かと聞かれた際、思わず「ケリガンとハーディングです!」と答えたほどなのだから。
従って、映画「アイ、トーニャ」の副題“史上最大のスキャンダル”は、少なくても当時に於いては、決して大袈裟ではなかったのである。
では、なぜ、ハーディングはライバルの選手生命をも絶ちかねない殴打事件に加担してしまったか?そこを詳らかにするのが、すでに昨年度になるアカデミー作品賞にもノミネートされた実録ドラマの目的だ。
トーニャはアメリカの白人低所得者層の出身だった
そもそも、トーニャが生まれ育ったのは“ホワイト・トラッシュ”と呼ばれるオレゴン州ポートランドの白人低所得者層。
母親のラヴォナ(アカデミー助演女優賞に輝くアリソン・ジャネイ)から日常的に言葉の暴力と肉体的暴力のW攻撃を受けていたトーニャは、自らに備わったフィギュアスケートの才能をテコに貧困と暴力からの脱出を試みるも、娘を金づるとしか考えてないラヴォナの執拗な支配は半端ではなかった。
そしてアメリカ初のトリプルアクセル成功者だった
さらに、スケートの練習中に出会った恋人で、後に夫となるジェフから受ける暴力が日常化する中、トーニャはスケートに熱中することでかすかな可能性を見出そうとする。たとえ、お育ちが多少悪くても、リンクに上がる時のコスチュームがダサくても、頬紅が濃すぎようとも、それが採点に悪影響を及ぼしたとしても、氷上で舞うトーニャは光り輝いていた。
何しろ、彼女はアメリカ女子フィギュア界で初めてトリプルアクセルを着氷させたリンク上のイノベーターだったのだ。
本人にも生来の暴力体質があり、ジェフの周囲にたむろするやばい連中のバカな忖度と誤解が、結果的に、件の殴打事件を引き起こし、トーニャからフィギュア選手としての資格を奪うことになるプロセスは、実はほとんど理解不能。
少しだけ冷静に考えれば起こり得ない低次元での負の連鎖は、我々日本人の想像の範疇を軽く超えている。この映画が“ブラック・コメディ”と呼ばれる理由はそこだ。
すべてを振り払うスケートシーンの爽快感!!
それでも、スケーティングシーンは圧巻である。トーニャがその体重をスピードに乗せて氷上を滑り出す時のエッジが氷を引き裂く音、同じく体重を推進力に変えて飛び上がり、直後に回転するジャンプのダイナミズム、高速スピンの躍動感etc。
氷上すれすれにセットされたカメラが追うスポーツとしてのフィギュアスケートの醍醐味は、TVの画面からは到底伝わらないものだ。
スケーティングシーンになるべくスタントダブルを投入すべきではないという観点から、クランクイン前に特訓して撮影に臨んだという主演女優、マーゴット・ロビーの肉体表現は、アカデミー主演女優賞は逃したものの、改めて称えられていいと思う。何よりも、この映画が強くアピールする人間が重力に逆らいながら演じるフィギュア本来の楽しさは、昨今のフィギュア界を席巻するロシアの若年天才スケーターたちによるマリオネット的演技にはないもの。
貧困と暴力が引き起こした笑える悲劇を再現する「アイ、トーニャ」は、故に、シーズンオフのフィギュアファンを改めてファンとしての原点に引き戻すスポーツドラマでもあるのだ。
【作品情報】
「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」
5月4日(金・祝)より、TOHOシネマズ シャンテ他、全国ロードショー
公式ホームページ:https://tonya-movie.jp/
©2017 Al Film Entertainment LLC
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