Googleの創業者、セルゲイ・ブリン氏とラリー・ペイジ氏は、スタンフォード大学で出会う。当時、ペイジ氏とブリン氏は博士課程を取得中だった。のちに検索エンジンについての共著論文「The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine」を発表する。
同年にスタンフォード大学を休学し、いずれ超有名企業となるGoogle社を設立した。栄光のサクセス・ストーリーを成し遂げた創業者たちが、どのようにコンピューターに関わってきて、どのようなビジョンを持つか、ファンだったら気になるところだろう。
本稿では、創業者の1人ラリー・ペイジ氏の「きっかけ」と「将来のビジョン」が明かされる。
なお、本インタビュー映像は意欲的な起業家を応援する企業Corporate Valley社による提供。
幼少期にコンピューターに没頭したきっかけ
※0:12~5:57より抜粋
ラリー・ペイジ氏:たまたま父がコンピューターサイエンスの教授だったんだ。だから普及する以前から、家にたくさんのコンピューターが置いてあった。小学校で文書ファイルを提出したのは、僕が最初だった気がする。
コンピューターはただひたすらおもしろかった。兄も興味を持っていたよ。ほとんどの人にはない、特別な環境が僕には備わっていた。
給料のほとんどを喜んでコンピューターに使う父。1978年、僕が6歳の頃だよ? こんな幼少期、普通じゃないだろう。
同時に発明したい、という意欲を持っていた。
まずはテクノロジー、次第にビジネスに惹かれる。影響を及ぼすには、発明を世に出し、使ってもらわなければ意味がないことに気づいたんだ。
12歳には、いずれ起業することを予期していたよ。
発明者になりたい、と感じさせた要因
アイデアにあふれていた。雑誌がたくさんあったからね。いつもポピュラーサイエンス誌などの雑誌に触れていた。
雑誌を読んで興味を持ったのは、モノやテクノロジー、電子機器の仕組み。兄に分解を教わって、家中のモノをバラバラにしたよ。
どんな理由であれ、発明に興味を持ったんだ。なにを、どうつくるか。アイデアがあふれていた。例えば、電動のゴーカートとかね。
当時読んでいた雑誌
ラリー・ペイジ氏:コンピューター雑誌を読み漁った。コンピューターの仕組みにすごく惹かれていたんだ。電子機器の構造に関する雑誌はなんだって読んださ。
大学では、レゴでインクジェットプリンターを製作したり。大きな画像を印刷したかったからね。インクジェットカートリッジを使えば、安価でかなり大きなサイズのポスターを印刷できることがわかったんだ。
カートリッジを分解し、電子機器と構造をつくり変えたんだ。このように、楽しいプロジェクトが大好きだったね。
Googleの必要性を早い段階で察知
ラリー・ペイジ氏:最初から検索エンジンをつくる気はまったくなかった。1995年後半、Web上のリンク収集を始めたんだ。僕とアドバイザーで決めたプロジェクトだ。しかし、リンクの用途は曖昧だったんだ。
当時、誰もリンクに注目していなかったんだ。どのWebページが、どこへリンクするか、とかね。
(中略)
博士論文を書く際に、おもしろく、かつ実用的なことができると思ったんだ。
興味と実用性こそが、僕にモチベーションを与えてくれる。
若いCEOの苦悩
ラリー・ペイジ氏:年齢は深刻な問題だったよ。企業全体を管理する上でハンデになるのは、間違いない。必要以上に。
経験から取得するマネジメント能力が、僕に欠けていた。20年間マネジメント職についていれば、得られるような能力がね。
経験不足は絶対にあって、問題だった。
しかし、経験不足は補えていたと思う。市場動向を理解し、将来の明確なビジョンを持ち、自社について根本的に理解することによってね。
加えて、起業前の独特な立場、そして四六時中努力し、多種多様な側面を理解していた。
不足しているマネジメント能力を補っていたよ。
10~20年後のビジョン
ラリー・ペイジ氏:Googleはすばらしい。基本的に、Googleの最終形態はAIだ。
Web上のすべてを理解し、ユーザーが求めるサイトを正確に察知し、提供する。これは明らかにAIの役割だよ。ほとんどのことがネット上にあるから、どんな質問でも回答できる。
まだまだ先は長いけど、徐々に目標に近づいている。学術的観点からして、かなりおもしろいよ。
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