現代社会において、堂々と「わかりません」と言える人はごくわずかだろう。いつからか、我々の中では「知らない=恥ずかしい」という方程式が出来てしまった。
そして偉くなれば偉くなるほど、これが恥ずべき行為と感じてしまうのである。
しかし、TEDの名スピーカーで教育アドバイザーであるケン・ロビンソン卿によると、ダライ・ラマは違ったそうだ。彼は質疑応答にて、知らないことを「知らない」と認めたのである。
以下がロビンソン卿の話である。なお、このスピーチ映像は革新的なアイデアを世界に発信するWOBI社によるもの。
「わかりません」が持つ力
ロビンソン卿:数年前、ダライ・ラマにお会いしました。彼は見事な人物で、バンクーバー平和サミットにて彼を紹介する手筈になっていたのです。
壇上には私含め8人がいて、それはすばらしい時間でした。会場には2,000名。私は他の物事を含め、彼を紹介しなければなりませんでした。
「ザ・ダライ・ラマのことをどう紹介すればいいのだろう。彼の背景や偉業を受けて、私はなんて言えばいいのだろう」と私は不安を抱えました。そこで私は彼のことを紹介する必要がまったくないことに気がつくのです。
だって、“ザ(The)”という称号が氏名に含まれているなら、もう社会的認知度は行き着くとこまで言ってますよね?(笑)
(会場爆笑)
サミットの内容はとても興味深く、ダライ・ラマは多くの質問を受けました。そこでどなたかが彼に質問したところ、質問内容は思い出せませんが彼は少々沈黙したのです。
彼は1分間ほど静止し、次第に前のめりになり、我々も精神的に前のめりになりました。「来るぞ来るぞ。すばらしい答えが」と期待していたためです。
そして彼はこう言いました。「わかりません」と。
会場全員が「知らないってどういうことですか。あなたは“ザ”のつくダライ・ラマなのですよ。我々は知らないですが、あなたの名前には定冠詞がつくのです。驚かせてくださいよ」と思ったことでしょう。
(会場笑)
しかし、彼の答えは「わかりません。考えたことがありませんでした」。私にはそれが、すばらしいことに思えました。
リーダーシップにおいて「わかりません」の重要性
ロビンソン卿:我々は、特にリーダーの地位に就く方々は「知っていなければならない」と感じます。解を持ち合わせていなければ、自分に落ち度がある、と。
真実を言いますと、すべてを知る人などいません。単に、不可能なのです。「わからないな。君はどう思う?」と問うのは、リーダーシップにおいて、至極重大な行為です。
それは、あなたが知らないことを他の人が知っていたり、別の観点を持っていたりすることは十分にありうるから。我々は自らの“専門家信仰”からかなり苦しまされています。
そして、彼がそのような行為に至る勇気を持ち合わせていたのが、私にはすばらしいことのように思えたのです。
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