「自信がないから」という理由でやりたいことをあきらめたり、せっかくのチャンスやタスクを断ってしまうのは珍しいことではない。自信を失ってしまった経験は誰にでもあるだろう。
また、部下の教育に悩んでいる人も多いと思う。業務上の注意をしているうちに、部下がすっかり自信を失ってしまったなんて、よく聞く話である。
「自信はあるかないかだから、今更手に入れることなんて不可能だ」と思っているかもしれない。しかし、カナダのトロントにあるライアソン大学に勤め、サッカーチームを全国優勝に導いた名コーチ、アイヴァン・ジョーゼフ教授によると、「自信は能力だから、習得可能」だという。
彼はTEDで「自信を持つ方法」と「自信を与える方法」を伝授した。
『自信という能力』
ジョーゼフ教授:サッカーコーチが一度全国大会で優勝させたとたん、誰しもがそのチームでプレーしたがるようになる――それは嘘。
実際は、選手に年間25,000ドルの奨学金を与えるようになれば、誰しもがあなたのもとでプレーしたがるようになる、だ。
ご両親が僕にこぞって聞く。「息子/娘が教授のチームで選手をしたいと言っているのですが、何をすればよろしいでしょうか? あなたは選手に何を求めていますか?」と。
ソクラテス的な教授である僕は「お子さんはどんな能力をお持ちですか? 我々が欲しがるような、お子さんが得意とするスキルについてお話しください」とお願いする。
通常、彼らの口から出るのは「かなり視力がよく、フィールド全体を見渡すことができます」や「足が速い娘で、誰にも負けません」とか「息子はすばらしい左足を持っていて、高くジャンプできて、どんな球でも蹴り返します」など。
それに対して僕は「悪くはないですが、はっきり言って、私が求めているスキルとはほど遠いです。ではなにが一番重要なスキルか、って? それは自信です」と答えている。
自信の定義
そのスキルなしでは――あえて“スキル”って言わせてもらうけど――サッカー選手としては使い物にならない。なぜなら自分自身を信じられなくなってしまったら、終わりだから。
僕は“自信”を「どんなに見込みがなく、困難な状況であっても、何事も達成できる、と自分を信じ抜く能力」と定義している。成し遂げられると信じること――これが私の自信の定義。
皆さんの中に「あーあ。僕にはそんなのないや。僕はシャイで、そんなことはできない」と思い、ネガティブのふちに陥る人がいるだろう。
でも、僕は“能力”という言葉を使ったよね? 自信は修練可能であると思っているからだ。どうしたらいいか、いくつかの方法を紹介しよう。
時間オーバーしないといいけど。僕のスピーチはあちらこちら行くからスライドは使わないことにしているんだ。どの方向に行くかはお楽しみだよ。
自信を培う方法
反復練習
ジョーゼフ教授:まずは一番簡単な方法から説明しようか。魔法のボタンなんてないんだ。「飛行機が墜落している。誰か操縦できる人は? 手を挙げて」「できます! 自信があるので!」なんてことはできない。
(会場笑)
反復、反復、反復だ。そうでしょ? マルコム・グラッドウェル氏は「1万時間の法則」と言ってたかな。
ある年、南アメリカのコロンビアからキーパーをスカウトしたことがある。彼は身長が190センチの巨漢だった。
彼の手は岩のように固く、ボールを投げると、彼は必ず地面に落とすんだ。
簡単な解決方法。それは壁に向かってボールを蹴り、跳ね返ってくるボールをキャッチすること。彼の目標は、これを8ヵ月間、毎日350回することだった。
達成した彼の手にはタコができ、湿気は消え去った。そんな彼は今ヨーロッパで選手をしている。
これは魔法か? いいや違う。反復、反復、反復だ。
問題は自信を持ちたいのに、そのスキルやタスクをやりつくさない限り、自信を持てないこと。理想は「これはもう何千回もやったよ」と思えるような状況。
鏡の前でスピーチを練習していた。少し自信がついたら、子供、妻の前で披露。少しだけ緊張する。グレン・クールド氏(カナダのミュージシャン)の前でしたときは、もっと緊張したさ!
2,500人の前でスピーチをするときには、もう微塵も緊張しなくなっているだろう。それは練習の賜物だ。何度も、何度もね。
諦めない大切さ
反復練習の肝となるのが、最初のうちの失敗で諦めないこと。どれほどの人が最初に直面した壁を乗り越えられるだろうか。
エジソンは電球を発明するのに1,000から10,000の試行をした。J・K・ローリングにしてもそうだよ。彼女が何件の出版社にハリーポッターを持ち込んだか、知ってる? たしか12、13社だったと思う。
僕も自信家な方だけど、2、3社から断られたら「くそっ!」ってなる。6、7社ダメだったら「ダメなのかもな」って思うだろう。9、10社に断られたときには、もう小説家以外の仕事――サッカーコーチとか――を探すに違いない。だって12回もだよ?
(会場笑)
でも練習、練習、練習。失敗は受け入れないこと。
“反復練習”ではなく、答えは“忍耐”だったかもしれない。僕たちは反復することは多かれど、耐え抜くことは少ない。
これが自信を培う1つの方法。実行し、成功以外は受け入れないことだ。
セルフトーク
ジョーゼフ教授:次はセルフトーク。脳内で再生されるセルフトークテープは誰もが持っている。
今週ショッピングに行って、試着する予定の人はいるかい? 女性であれば、いつも「やだ、わたしってこのズボン着ると太って見えるなあ」がくる。男性なら「貧相な体だなあ。たるんでみえる」だろう。
僕たちは皆、脳内で再生されるこのようなテープを持っている。
(中略)
自己肯定
いいかい、「お前にはできない」や「無理だよ」と言う人は既に大勢いるというのに、ことさら自分に言わなければならないと思う?
思考が行動に影響を及ぼすことは知っているというのに、ネガティブなセルフトークをするのはなんでだろう。
僕たちは自己肯定を得なければならない。モハメド・アリの自己肯定を思い出して。「俺が最強だ!」自分以外に、いったい誰が自分を肯定してくれるというんだい。
寝室にいたり、歯を磨いているときなどの静寂のひと時にそれを再確認しよう。「船の船長は僕で、運命の操縦士も僕だ!」これが僕の自己肯定。
生徒が1,000人いる学校出身で、住人が1,000人いる町で15年間過ごしてきたが、僕が体育学部の責任者になり、メープルリーフ・ガーデンズ(カナダの競技場)の再建に携わらなければならない理由はどこにもないんだ。
でも、僕は自分の船の船長であり、運命の支配者は僕。僕自身が信じていなければ、誰も信じちゃくれない。
では、どう自信をつけるのか。それは自分を否定してくる人から離れること。否定はもう十分だ。
先ほども述べたように、モハメド・アリは「俺が最強だ!」と言った。これは、思い上がりやエゴでも、根拠のない自信でもない。ただ静寂のひと時に再確認しているだけだよ。
僕は自分を形成していることをリストにして、鏡の横に貼っている。
僕自身うんざりするほどの過ちを犯していて、それは新聞に伝わり、周りの人々にも伝わる。そして彼らは僕を攻撃しようとして、次第に批判を信じるようになってしまう。
自分宛の手紙
自信を失っていた時期は僕にもあった。アイオワ州を発ってこの職に就いたとき、自信がなかったんだ。
そんなときは、「自信の手紙」を持ち出さなければならない。それは気分のいいときに書いた手紙。
中身は「アイヴァン、40になる前に博士号習得おめでとう」「全国大会優勝、おめでとう」「3人の優しい子どもたちを育て、最高の女性と結婚して、お前はよくやった」など。自分宛の手紙で、これは自慢集だよ。僕が誇りに思っていることを集めた手紙。
仕事や就活、恋愛などですっかり自信を失ってしまうことは誰にだってあるからね。嵐に負けないように時折この手紙を取り出して、読むんだ。とても大事なことだよ。
ネガティブなセルフトークはやめなさい。
(中略)
自信を与える方法
ジョーゼフ教授:自信をつけるための方法を2つ紹介してきた。次は人に自信を植え付ける方法を紹介しよう。
僕たちはコーチ、教育者、教師。世界に価値があることをしている者たちだ。そのような職業柄、僕たちは批判的になりがち。
僕はコーチで、選手から得点することを求めている。選手がボールを高く蹴り上げすぎたとしよう。「おい! 高く蹴りすぎだ!」と言う。「ありがとうございますコーチ。自分がダメダメなのはもう重々承知です」と選手。
では教育者はここでなにをする? 「いいかい、ここに肘を置き、膝はボールの上。その後はフォロースルーだ。蹴って、着地。すばらしい」と間違いを直すんだ。「ジョニー、酷い出来だな。膝を曲げて、こうするんだ」とね。
ここでジョニーの自信はどうなっただろう? ああしろこうしろと言われているうちに、彼の自信はすっかり砕けてしまう。
ジョニーの間違いは無視して、ボブやサリー、フレーダに注目してみよう。「フレーダ、すばらしいよ。膝を上げすぎず、フォロースルーをし、このように着地したのがすばらしかった。グッドジョブ!」と言ってみる。
「おやおや」とジョニーは学ぶ。この方法で、ジョニーは自信を失わなかったどころか、フリーダの自信を増やすことに成功した。
子育ての方針が変わった世界を想像してみて。従来の「グラスをカウンターから下げなさい! なにをしているんだ!」ではなくね。
母親のいい行動を見たら、「すばらしいよ、アリス! グラスを下げてくれてありがとう」と言ってみよう。とても簡単なことなのに、僕たちは忘れがちだ。
教育者やチームのメンバーは、強化したいようなよい行動を褒めることができればいいのに、我々はそれを忘れてしまう。
いい行動に注目するんだ。簡単なこと。
カンザス州のチーム
これを実行したカンザス州の実験があった。僕らコーチはよくプレーを撮影し、選手にその内容を見せるんだ。「ここで失点したのは、バスケットが守られていなかったからだ。ちゃんと戻って、隙間をカバーしなければならない」と言いつつね。
元のレベルがこれだったら、カンザス州チームの成長はゆるやかだった。そのあと、以前のやり方をやめて、正しいことができたときのビデオのみを見せるようにした。完璧だったときのを、ね。
ゴールは見せずに、同じ内容について話したのにもかかわらず、チームは一気に成長したんだ。
この実験結果は、僕たちコーチの選手との接し方に革命を起こした。この方針はビジネスの世界、生徒のグループワーク、マネジメントチームにも通用する。簡単だ。「いいところを指摘する」
独自の解釈
ジョーゼフ教授:最後に――僕の息子はすごくこれを得意としているのだが――自信家は自分が望むように意見を解釈するんだ。父親の運動音痴を引き継いでいるアスリートの息子に「試合はどうだった?」と聞くと、「最高だったよ! 3回ゴールして、2回アシストしたんだ」と息子は答える。
でも試合を見ていて、彼は(アイスホッケーの)パックに触れてすらいない。しかし、自身の成果について、独自の認識を持っているんだ! すばらしいだろ!
(会場笑)
僕もそうだった。妻に出会ったときのことを思い出すよ。「ポーリー、映画に行かないかい?」と僕が誘い、妻は「遠慮するわ」と言う。こりずに2回目誘った。日光の当たり具合が悪かったり、シャツがいけなかったかもしれないからね。
(会場笑)
自分に都合がいいように解釈したよ。そして次に誘ったとき、彼女は友人を介して1つのコメントを僕におくった。当時は友人を介するのが普通だったからね。
「私たちが地球最後の人間になり、地獄が凍りついて、地球を救える可能性がそれしかない場合でない限り、あなたとデートをすることはない」と彼女の友人は告げた。多くの人は、チャンスがないと言うだろう。
僕は「つまり、チャンスがあるってことだね?」と。
(会場爆笑)
それが僕の解釈だからね。
まとめ
この話から君たちに与えられる教訓は、「自分を信じない限り、誰も信じてはくれない」だ。
『Think Different』の言葉に耳を貸して。「クレイジーと呼ばれる人々、不適合者、反逆者、トラブルメイカー、四角い穴の円型の釘たちに告ぐ」と言っているよね。
僕たちは違っていていいんだ。他人から奇異の目で見られた時は、自分を信じよう。
ありがとうございました。
(会場拍手)
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