創業1966年――VANSはポール・ヴァン・ドーレン氏とジム・ヴァン・ドーレン氏の兄弟がカリフォルニア州で始めた会社。
今まで数々の名作スニーカーシリーズ「Authentic」「OLD-SKOOL」「SLIP-ON」などを生み出してきたVansは、今やスケーターのみならず若者全般から愛されている。
現在Vansの「顔」を務めるポール・ヴァン・ドーレン氏の息子、スティーブ・ヴァン・ドーレン氏が「父のモットー」「ベストを尽くすこと」「人を大切にすること」を語った。
なお今回書き起こすインタビュー動画は、ストリートファッションに特化したオンライン通販カーマループ社によるもの。
スケーターファッション、ストリートファッションを愛す人たちは是非チェックしてほしい。
「仕事と仕事仲間たちを大切に想うこと」
創業当初の父のモットーは「良い値打ちで良質な靴を作り、いいサービスを提供する」ことだった。
80年代初期にすばらしいことが起きる。それは『初体験/リッジモントハイ(1982年のコメディー映画)』で僕らのチェック柄の靴が紹介されて、世界中が僕らの靴を買い求めたこと。
しかし、70年代~80年代のスケーターたちはそれ以前に僕らのことを知ってくれていた。それは僕の父がソール(靴底)を他ブランドより2倍厚く作っていたから。
父は靴のグリップ力やナイロンスティッチングも向上させ、キャンバス生地に頑丈な素材を使うことによって、耐久性もアップ。
つまり、僕たちの靴は他ブランドよりも長持ちした。これはスケーターたちの口コミによって証明されている。「ボードへのグリップ力だけではなく、長持ちだからVANSのスニーカーは良い」と彼らは言った。
今日2012年においても、僕らのデザイナーは更に履き心地のいいものを作ろうとしている。ここ10年間でテクノロジーが弾力性を高めることを可能にしたことなどに焦点を当てたりしてね。
世界進出したVans
VANS・ワープド・ツアー(アメリカ最大級のパンクロック/エクストリームスポーツのイベント)は、僕らがスケーターだけでなく、ミュージシャンたちもサポートしたいということを人々に認知させるために始めたイベント。
また、ニューヨークでハウス・オブ・VANSを設置したりもした。アートショーや音楽イベント、スケートイベントを開くためにね。
1年半前のハウス・オブ・VANSのオープンでは、パブリックエネミーがメインを務めた。
ここ9年間、僕らの発展は上々だよ。中国でも僕らの製品が売られているんだ。
中国店舗のオープンは3年前に始まったのにもかかわらず、現在では350の店舗数を抱えている。アメリカでは46年間続けてきて280店舗なのに。
インドでの製品販売もはじまっている。ベトナム、中国での製造も今は行っているんだ。
世界中に友達ができた。飛行機に乗ると、彼らにとって特別なVANSシューズの話をしてくれるんだ。
トニー・ホークが初めて900(2回転半)を決めたのを覚えているよ。僕は他のみんな同様ワクワクしていたよ!
あれは僕にとってもビッグニュース。僕のハワイアンシャツをトニーにサインしてもらったよ。
その3週間後妻に「シャツをインクまみれにして! クリーニングに出すわ!」と怒られ、僕は「ちょっと待って! そのシャツはトニー・ホークがサインしてくれたんだ! そのままにしといてくれ!」と言ったよ(笑)。
僕みたいな年取った人間でも、そういう風に興奮できる。
スケーター・カーディエイ氏の事故
僕たちがした輝かしいことにまつわる話はたくさんあるけど、未来ではさらにすばらしい機会が待っていると思う。VANSはこれが魅力的なんだ。
僕らがスポンサーをしているジョン・カーディエイはバンから落ちたんだ。彼はたばこの火をつけてもらおうと、バンから落ちて後続車に轢かれて下半身不随になってしまった。
彼は下半身を親指1つ動かせなかった。苦境に立たされてから3ヵ月、彼はリハビリを遂げて杖をつき飛行機に乗っていったよ。すばらしい話だと思う。
彼は毎日自転車に乗って足の筋肉を動かし続けなければならないんだけど、彼はすごい人間だ。人生で会った中で一番強く意思を持つ人物だと思う。
カーディエイを愛しているし、彼のように運命に抗う人物を見ると感動する。
献身的に働く
個人個人が献身的に働くんだ。
毎日出社し献身的に働き、だらけずに仕事に集中するという具合なら、これ以上求めることはない。
10人、20人、100人がそのようにすれば、会社は上に向いていくだろう。毎日ベストを尽くそうとしているのだから。これ以上は求められないよ。
基本的に仕事と仕事仲間たちを大切に想うこと。暴君のような人の下で働いているなら、他の仕事を探したほうがいい。
でも僕らだったら暴君を探す。そもそも彼はここにいるべきではないから。
人を大切にすること
人は一般的に問題を抱えているよ。みんな色々あるしね。
イベントでもそうだけど、ただ席に座っているだけじゃ僕はつまらないんだ。僕だったらバーベキューをするよ。バーガーやホットドッグをタダで配って、何千人もの人と話す。
そうすると、他の人がどんな気分かわかる。「子供はどう?」「調子はどう?」「来てくれてありがとう」などと言って、多くの人と会うことができるんだ。
仕事でもそれは一緒。席を立って歩き回ると、色々な人と会える。暗い顔の人物が見えたとしたら、「大丈夫?」と話かけれるし、スーパーバイザーに「彼をよく見ておいて。落ち込んでいるみたいだから」と伝えられる。
そうすることにより、最終的にその人を助けようとしたことになるんだ。
これが僕の父の持っていた哲学「人を大切にする」ということ。破産したときでも、人々は彼と一緒に働きたがったよ。
破産して、3年間彼は「昇給できない。ペンを買う余裕はないから、鉛筆を各自持ってきて」とみんなに伝え続けた。そしたらどうなったと思う?
みんなが各自進んで「この会社で働き続けたいから、この窮地から脱しよう」と判断した。そしてその通り、僕らは苦境から脱すことができたんだ。
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