前編で巨匠、ジョージ・ルーカス氏は「人生の転機」「生徒の頃の自身」について語った。
驚くべきことに、彼はもともと車やレースに興味があり、映画監督になる将来についてはまったく考えていなかったのだ。
様々な道のりを経て、映画監督を目指すことにした彼は、次にどのようなことを語るのだろうか。
後編では「映画監督になってからの自分」「名作『スターウォーズ』の誕生背景/秘められたメッセージ」「情熱に従うこと」「真の幸福せ」についてが語られる。
「自分の情熱に従うのであれば、金持ちになる必要はない」
※映像はCorporate Valley社による提供
僕はスタジオのセットについた――当時僕は23歳で、フランシス・コッポラは28歳。彼も長髪、ひげ面で、僕たちは映画学科の生徒のようだった。
その製作に関わっている人はほとんど60歳くらいだったから、僕たちはすぐに打ち解けて、友人になる。
僕は「この映画はつまらないし、作業も終わったからアニメーション部門の方に行って自分の映画を作るよ」と言うと彼は、「待て待て。何か作業をあげるから。君は僕のアシスタントとしてこれをしなさい」と言う。
これが僕と彼の友人関係の始まり。
フランシス・コッポラとの友人関係
『フィニアンの虹(コッポラの監督作)』を終えた後、僕たちは同じ考えを持ってた。「僕はハリウッドが好きじゃない」と彼が言い、「ハリウッドにとどまるつもりはないよ。僕はサンフランシスコへ行く」と僕は言う。
そこで彼は「僕は12人のキャストとともに路上に出て、その道のりで小規模な芸術映画を撮るよ。君もついて来てくれたら、脚本を書くチャンスをあげる」と提案された。
これは今君らが実際にいる立場の一部、「搾取される」とも言うね(笑)。
起業から破産
それに対して、僕らは「ハリウッドなんかでは映画を作らない。そもそも好きじゃないから」と反論する。
僕たちはアメリカン・ゾエトロープ社を起業し、南カリフォルニアやカリフォルニア大学から映像生を集めて、ワーナー社から融資してもらった。
初の成功は『アメリカン・グラフィティ(1973)』
今こそこれを描くチャンスが来て、過去にそのようにした理由ができたよ。僕はその分野を学問的に研究したのだから。
そこでできたのが『アメリカン・グラフィティ(1973)』。
この作品には文化人類学的な観点も盛り込んでいた。
と言うのも、アメリカで独特な配偶行動(男女が性行為にいたるまでの行動)に興味があったんだ。他の国々では、広場やベンチのあるとこで、男女がイチャイチャし始めたりして配偶行動が始まる。
だがアメリカでは、車なんだ。「なんで未成年が車を買うお金を持っているんだ」と誰も考えたことがなかった。
結果的に僕は『アメリカン・グラフィティ』を作り、フランシスはヒット作『ゴッドファーザー(1972)』を撮る。
『アメリカン・グラフィティ』は製作が始まるまで何年もかかって、撮ってくれるかもしれないスタジオをやっとの思いで見つけることに。
とてつもなく低予算だったけどね。そのスタジオは「誰か有名な監督の名前を載せられるなら作るけど」と言う。僕は「スターとかを呼べるわけないしな」となっていて、彼らは「誰でもいいよ」と言っていた。
そこで、『ゴッドファーザー』の公開がちょうど始まったとこだったから、急いでフランシスに「君の名前をこの映画に載せて、作らせてくれない?」と頼む。彼はすぐ「うん」と。
やっとの思いでこの映画が完成した時、スタジオから「観客に見せるには適していないから、映画館で公開はしない。もしかしたら、テレビ映画にするかもだけど」と告げられる。
たくさんの努力で、多くの関係者に映画を観てもらって認められ、スタジオはやっと公開することにしてくれた。
当時『アメリカン・グラフィティ』は、興行的に最も成功を収めた映画。$700,000以下で作られて$100,000,000以上の興行収入を得たわけだから。
それからが僕のキャリアのスタートさ。
名作『スターウォーズ』の誕生経由
次は『スターウォーズ』の製作。
その時僕は、子どもに影響を及ぼす映画製作に興味があったんだ。『アメリカン・グラフィティ』は子どもたちに影響を与えたからね。
神話などの勉強をして、現代神話を作ることをした。神話と言うのは社会にある、基本的なものを教える。
神話は社会を1つに――自分は誰で、社会は何で、神は誰か、価値観は何か――をつなぐために存在するんだ。元来、神話や民話はそういうことをしていた。
最後にそれを合衆国に伝えた神話/民話は西部劇。でももうなかったため、自分でそのようなのを作ろうと思う。その思いを基に製作を始めた。
『スターウォーズ』は神話の裏に描かれた、心理学的な主題を基にしている。
いまだにそれが神話として作用できるか、に興味があったんだ。結果、作用していた。
『スターウォーズ』の製作は、ガイド付きのツアーみたいなもんだった。情熱や自分が愛していることに従ったからね。僕は芸術や絵画、写真が大好きだった。ものづくり、社会学、文化人類学が大好きだったのだ。
人々に「どうしてここまで来れたのですか?」と尋ねられて、僕は「美術学校に行って、アニメーションに専攻していたら、僕はここにはいないだろう。
仮に僕が社会学を学ぶためにサンフランシス州立大学に行っていたら、ニューギニア島へ行きドキュメンタリーを作っていたろうが、僕はここにいないだろう」と答える。
最初2つの映画ではそれが起きた。そこで僕は『スターウォーズ』の成功の後、『THX 1138』と『アメリカン・グラフィティ』に戻って――スタジオのやつらが、5分ほど削ったもんだから――彼らにそれを戻させた。
VHSができて、今は全バージョンがオリジナル通りだよ。
情熱と愛情
ルーカスフィルム社の起業背景
「示された道にノリ気でいること、自分の情熱に従うことが大切。そしたら道はおのずと開けるはずだ」
だから、映画製作で誰の目を気にしなくていい。それが現在の僕の立ち位置。
それがうまくやる方法なんだ。自分が最終的に何になるなんてわからないもんだ。
でも、示された道に、ノリ気でいること、自分の情熱に従わなければならない。そしたら道はおのずと開けるはず。
そして、自分の情熱に従うのであれば、金持ちになる必要はない。僕は偶然金持ちになってしまった。そもそもお金持ちになりたくはなかったから、僕は喜んでお金を手放せる。
安定することによってすべてがうまくいくように見えるかもしれないが、名声や大金は求めようとすると、絶対に手に入れられないもの。
それを見つけたとしても、幸せになることはないんだ。
真の幸せ
最終的に自分が欲しいものは全て手に入るけど、みじめなんだ。その道が行く先には何もないのだから。
同情心を持つ道を進んで、最終地点まで行ったら、多くの人々を救ったことを考え――この壇上に立った演説者は考えたことがあるだろう――とても暖かい気持ちになる。
とにかく、時間を大幅に過ぎてしまったね。ありがとうございました。
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