by Christopher.Michel
140文字で投稿する画期的なSNS、Twitter。Twitter公式によると、現在Twitterには3億1,000万人の月間アクティブユーザーがいる(2016年6月30日時点の概算値)。
そんな、今世界を牛耳るコミュニティー型SNSの1つであるTwitterを共同創設したのが、エヴァン・ウィリアムズ氏である。2017年5月、彼が中退したネブラスカ大学リンカーン校(以下UNL)の卒業式で行ったスピ―チを見てみよう。
彼は、「自身のキャリアと失敗」「技術発明の根幹にあること」「自分が持つコンセプト」「若者たちへのアドバイス」を語る。
「何か壮大なことの一部になって跡を残したいと思っていたけれど、何をすればいいかわからなかった」
(会場拍手)
大学のみなさん、その家族、友人たち、そして卒業生たちをここまで導いた人々たちよ、おはようございます。あなた方と2017年卒業生のみなさんに賛辞を述べたい。
(会場拍手)
この機会、名誉博士号をとても恐縮な気持ちで受け取っています。本当にありがとうございます。名誉博士号は僕の子どもたちを困惑させるかもしれない。
なぜかって?「ネブラスカ州のおじいちゃんの家に行った時、パパが医者に?」ってなるから。(子どもたちに向かって)そうだよな?
(会場笑)
家ではそう呼ばせてみよう。そのうち慣れるはずだ。
(会場笑)
「(スピーチを)10分以内におさめてください」と言われているから、そんなに長くはならないけど、(10分以内のスピーチは)僕からしたら50文字のツイートみたいなもんだから、まあいいかな。少し過ぎちゃうかも。
(会場笑)
ご紹介していただきとてもありがたいけど、僕は自分自身のことをシリコンバレーの人間だとは思っていない。ここに戻ってきた時は特にそうだ。なぜなら僕は心から、コーンハスカー(ネブラスカ州人の俗称)なのだから。
(会場拍手)
そして、僕は文字通りコーンハスカーだった。ここから北西90マイル行ったところのクラークス付近の農場で育ったわけだし、僕の夏休みのアルバイトといえば、夜食のためにトウモロコシの皮をむくことだったからね。ここにいる何人かはそれを経験済みかもしれない。
そして、ここにはいい思い出がある。僕はネブラスカ州出身ということをとても誇りに思っているよ。
しかし当時、僕は自分のことをクラークスの人間だとは感じなかった。周りの人たちとは、少し違う気がしていたんだ。
この地を出て、何か壮大なことの一部になって、跡を残したいという気持ちを認めていたけれども、その「壮大なこと」が何なのかはわからなかった。
そこで、君たちがそうしたようにUNLに入学したんだ。「大学にまったく行かないこと」を考えてはいたが、「他の場所に行くこと」を考えてはいなかった。
総長がおっしゃったように、両親は在学中にここで出会ったんだ。兄も姉もここを卒業。
そして、農家育ちの観点から言えば、ここにいることはすごく壮大だな。恐れすら感じる。
(会場笑)
ここが本当に男女両者が公明正大な大学であるなら、僕はなじめただけではなく、未来を楽しみにしていただろう。
(会場笑)
だから、ここでの1年半はすごくよかったんだけど、求めていたものは見つからなかった。そして、「別のことをしなければ」と焦っていたんだ。
探し続け、ある日ヒントを見つけることになる。よりにもよって、グランドアイランド都市のコネスト―ガ・モールで。
(会場拍手)
WIRED誌との出会い
本当の話さ。そこで、WIRED誌(テクノロジーによって未来はどうなるのか、がテーマのメディア)を1冊手に取ったんだ。多くの人同様、その雑誌を見たのは初めてだった。創刊から、第2号目だったからね。
「これはコンピュータ関連のことであるに違いない」と思い(コンピュータには多少興味があったから)手に取ったんだ。でも、結局はアイデアについてだった。
例えば「地球上の全人類(の脳)を繋げる」みたいなアイデア。あるエッセイには「もはや言語は紙から切り離されていて、500年前に印刷機が世界を激変させたように」と書いてあった。
もちろんそれはインターネットのこと。当時はインターネットについてあまり知らなかったけどね。90年代初旬と言えども、ここUNLにはインターネットが設備されていた。
でも、インターネットはまだ生活の一部ではなかった。
もしかしたら僕が農場育ちで、頭の中にたくさんのアイデアが浮かんでいたけど、誰にも言えなかったからかもしれない。
でも、「地球上全人類(の脳)を繋げる潜在能力を持つインターネット」ほど魅力を感じたものはなかった。
アイデアを共有する巨大なマシン。僕はインターネットをそう見ていたんだ。
それからずっと、インターネットに取り組んできた。人を繋げることや、アイデアを共有することをより簡単に、ベターにできるようにね。
「テクノロジーは人々がしたいことを簡単にする」
その「取り組み」は幸先の良いスタートはしていない。ここリンカーン市で最初の会社を起業したよ。
オフィスはバーに行くには最適の場所にあった。何度も行ったさ。
(会場笑)
会社そのものは完全なる大惨事だった。自分が何をしているかまったくわからなかったし、苦い経験から多くの教訓を学んだよ。でもそれは意味があることだった。
というのは、僕のインターネットへの興味を煽ったのと、カリフォルニア州への転出の決定打となる。農場育ちからUNLに入るよりも恐ろしい考えだったけどね。
当時カリフォルニア州の漠然とした印象というのは、ベイウォッチ(米テレビドラマ)、地震、ヒッピー。そして何よりも、シリコンバレ―について読んだことだった。超天才たちが人々の脳を繋げ、アイデア共有し、金儲けのマシン(インターネット)を実際に作っているすばらしい場所。
そして僕はそれに加わりたかったんだ。でも、怖かった。まだ最初のビジネスの失敗が鮮明に残っており、君たちと違って、教養やトレーニングを受けたわけではなかったから。
シリコンバレーで競争できる自信がなかったんだ。それでもなお、先祖代々のパイオニア精神を身に着け、西部へ向かった。
シリコンバレーの印象
最初はサンフランシスコがベイウォッチからかけ離れていて、悲しくなったよ。生徒たちのために補足すると、これは90年代のテレビ番組だ。
(会場笑)
だけど、そこに恐れることは何もなかったから安心した――ヒッピーたちを除いてね。
(会場笑)
すぐに気が付いたのは、シリコンバレーにいる人々と比べて僕の知能は劣らないということ。彼らは得意なことをするに最適の場所にいただけ。
おっと。ちょっとウソ。何人かは僕より数段と頭がよかった。
価値を加えることに焦点を当てれば、シリコンバレーの人々は競争よりも協力することを次第に気付く。我々が一緒になって考えて、よりすばらしい発想ができるというね。
Blogger
そのようにして、僕が一番最初に成功をおさめたのはBlogger社。Blogger社は、同じくUNL出身のメグとポールという友人らと作った。
僕たちはブログを創案したわけでなければ、完璧にしたわけでもない。でも、その必要性と他人が必要だと感じるだろうという直感にかられ、ブログを簡易化した。
結局、それで十分なんだ。それは実際テクノロジーがするすべてのこと。テクノロジーは人々がしたいことを簡単にする。
多くの場合それはいいことだ。絶対ではないけどね。でも、物事を簡単にするというのが鍵だ。
もう1つの鍵は、「アイディアのみではそう先へは行けない」というのに気が付くこと。成功というのは常に、長時間の努力を要する。
Bogger社創業から4年後――その4年間は破産、全従業員の解雇、何夜もオフィスのソファでの寝泊りを含む――僕はこの会社をGoogleに売却した。
シリコンバレーのスケールで考えると些細なことだったが、僕にとっては一大事。特にそれは僕がGoogle社に加わり、今までで一番賢い人たちと働くことを意味していたから。
その成功をもってしても、多くの人は僕が深く信じるようになってきたコンセプトに未だ懐疑的だった。
そのコンセプトは「一般人にも、世界に(少なくとも違う土地に住んでいるかもしれない世界の誰かに)共有だけの価値があるアイデアを持っている」というもの。
「初めてWIRED誌を手に取った時のワクワク感を今でも持っている」
Twitterで、僕と友人たちは直感に従いアイデアの共有を更に簡単にした。
コンピュータから解放され、人々は140文字以内ならいつでも、どこでもアイデアを共有できるようになる。
最初、人々はTwitterをブログ以上に疑っていた。「140文字だって?」とね。認めよう、Twitterは変なコンセプトだったということを。
インターネットに抱く理想――情報の自由化――の実現、いいことをしていると確信していた。それどころか、「Twitterは世界をよりよくする鍵である」とさえ思ったよ。
自由な意見交換は、さらにいいアイデアを意味しているし、社会を悪くするバカな考えを根絶やしにする。
意見交換に邪魔なものを取り除き、人々が話せれば、すべてがよくなると思っていた。
シリコンバレーの人々は時々こう考える。「我々は身勝手で邪魔な神々から火を盗んで、それを人類に与えるプロメーテウスだ」と。
シリコンバレーのものたちが忘れがちなのが、ゼウスがキレてプロメーテウスを岩に縛った挙句、鷹が彼の肝臓を永遠につつき続ける生き地獄を処したことだ。
ある人々は、「ドナルド・トランプ氏にTwitterを与えた罪としてその刑に処されるべきだ」と言う。ある人々……がね。そう言っていたんだ。ネブラスカでこのジョークを言うのは不安で仕方なかったよ(ネブラスカ州はトランプ派が多いため)。
(会場爆笑)
今は多くの人々がアイデアを発信するのは、世界を自動的に賢くするわけではないことを知っている。
インターネットの善悪
Twitterからすばらしい結果はたくさんあったけど、ゼウスがパンドラと彼女の箱を世界に送ったように、我々はいいアイディアだけではなく悪いアイデアも解放してしまった。
そして、そのノイズ(悪いアイデア)を嗅ぎ分けるのは非常に難しい。
物語は言語ほど古いかもしれないが、口喧嘩、悪口、フェイクニュース――ネブラスカではこれをブルシット(たわ言)と言う――も同時に生まれた。
(会場笑)
結局、インターネットは銀の弾丸(万能な解決策)などではなく、ただのツールなんだ。昔農場で使っていた無線機にみたいなね。より広範囲なだけだ。
インターネットというツールは、我々自身を映す鏡。我々の扱い次第では善にも悪にもなりうる。
それにも関わらず、というよりもだからこそ、僕は楽観的だ。楽観的な人は、悲観的な人よりも快いので、君たちにもそうなることを勧める。
でも、楽観的であるということは、より大変だということを知っておくべきだ。問題は解決可能だと信じるなら、それを試さなければと感じざるえないから。
だから僕はこの“アイデア共有マシン”に取り組み続けるよ。初めてWIRED誌を手に取った時のワクワク感を今でも持っている。未だによい結果のために、人々(の脳)を繋げることは可能だと思っているんだ。
必要なのはシステムの“よじれ”やバグを解消することだけ。
同じことが我々の政府、教育制度、医療制度、経済や他多くの分野――君らのアイデアや努力を必要としている――に言える。それについてはよく考えたことを知っている。君たちは今日卒業して次のステージに行こうとしているのだから。
君たちにも解決が必要な“よじれ”があるかもしれない。みんなが持っているからね。
学位に加えて、君らには際限なき柔軟性と潜在能力がある。
こちらの方に向かってくる人の帽子の上に「不可能などない」と書いてあるのを見た。まったくもってその通りだ。問題は、際限なき力を何に使うか。
今日、僕は多くの教訓を学んだ経験を君たちに伝えようとした。若いネブラスカ人として、自分がためになると思っていたであろう教訓、をね。
でも、これは卒業式スピーチであり――君たちの多くは恐らく二日酔いだろうから――簡潔にまとめてスピーチを終えようと思う。
(会場笑)
4つのアドバイス
まず、天才的な計画やひらめきというのは過大評価されている。自分の直感に従いなさい。色々試してみて、自分の直感が次行こうとしている道を進んで受け入れよう。
世界を変えようとする必要はない。物事を他の人々にとって価値のあるもの、簡易なもにする方法を探そう。その過程で世界を変えられるかもしれないんだ。
次に、どこにいようと、自分が何か大きなことに加担できて、影響を及ぼせるということに疑念を抱いてはいけない。
今やフライオーバーの州(飛行機でただ通過するだけの州)などは存在しないんだ。他の人たち同様世界と繋がっているんだ。
君たちはネブラスカ州外の人たちに劣らず賢く、君たちはネブラスカ人として有利な点がいくつかある。リアルさ、復活力、公平性は僕たち全員が受けて育った価値観。そして経験上、それは現実世界で役立つものだ。
3つ目に、長時間努力を続けること。そして、ステータスではなく、自己の成長に焦点を当てよう。これは決まり文句のようなアドバイスだが、多くの人は実際にやろうとしないことだ。だから利点になりうる。
最後に、楽観的になろう。それは君が問題解決しようと努力することを強いるが、やる価値はある。
卒業式演説者は、卒業生たちを理想的な救世主として語りがちだ。
しかし、君たちの何人かと会い、何人かを雇用し共に働いたことがある身から言わせてもらうと、君たちに大きな希望を抱かざるえない。
世界は君たちのアイデアと努力を必要としているんだ。よかれあしかれ、僕たちはすごい時代に生きている。君たちは進んで問題に取り組むことを知っている。君たちがすることが楽しみで仕方ない。
おめでとうございます。そしてご武運を。
ご清聴ありがとうございました。
(会場拍手)
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