先日、次のようなツイートがTwitter上で話題となっていた。
“Amazon Fire TVのようなVOD用の機器は、リモコンが非常にシンプルだ。それに比べ、日本のテレビのリモコンはボタンがとにかく多く、問題が多い……”
そのツイートの写真を見ると、確かにかなり違う。ボタンの多いリモコンはいかにも不格好に見える。
しかし、「テレビのリモコン」として考えると、そう話はシンプルではない。「デジタル家電・悪の象徴」のように言われることが多いテレビのリモコンだが、あれはあれで、今の世の中に適応した上で、ああいう形に収まっているものなのだ。
ちょっと改めて、「テレビのリモコン」の歴史を語ってみたい。そこには、「便利な道具とはなにか」「人が道具を買う時にはどういう行動をとるか」ということについての知見がある。
「リモコン」はいかに生まれたか
元々リモコンは1955年にアメリカで生まれた、と言われている。だが、今のようにテレビに「リモコン」が搭載されるようになったのは、1970年代末のことだ。
テレビの場合、チャンネルの変更と音量の変更がまず重要で、これが可能になることで「ザッピング」という行為が生まれた。チャンネル変更は、アナログテレビの場合「周波数変更」だから、過去にはボリュームつまみで行っていたわけだが(だからチャンネルを「回して」いた)、そこがスイッチで制御されるようになっていくことで、リモコン制御も容易になっていった。
日本のテレビは、今も昔も地上波が中心。だから、リモコンの中心には地上波のチャンネル(1-12のキー)が来る。そこに音量ボタンと電源ボタン、くらいの時代は牧歌的だったが、衛星放送が導入され、デジタル化し、EPGや録画の機能がついたあたりで、現在のようなリモコンに変化を遂げていく。リモコンのボタン増加は、2000年代前半から本格的にスタートした、と考えていいだろう。
一方、ひとあし先に複雑化していたリモコンがある。ビデオのリモコンだ。こちらは「録画予約」という作業があったため、バーコード入力機能や液晶ディスプレイが内蔵されたものも登場した。高級機種では、コマ送り・早送り用のジョグシャトルも搭載されていたくらいだ。リモコンの複雑化という意味では、1990年代前半まで、バブル期のビデオデッキ向けのものが頂点だった。
リモコンへのニーズは意外に「多様」で「保守的」
一方、テレビメーカーもただボタンを増やしていったわけではない。シンプルなリモコンをセット販売したり、リモコンを裏返して置くと電源やボリュームだけが出てくるものにしたりと、工夫は行ってきたのだ。筆者の印象では、2010年頃の商品では、その辺のアピールが強かったようにも思う。
しかし結論からいえば、シンプルなリモコンはメジャーな存在になれていない。
もちろん、ニーズがないわけではないのだ。家電量販店の片隅にある「別売りリモコン売り場」には、同種のシンプルリモコンがあり、商品ジャンルとして定着している。とはいえ「店頭の片隅」であるということは、別売のリモコンをわざわざ買う人が少ない証でもある。また、シンプルリモコンをセットにするメーカーも減る傾向にある。
なぜテレビのリモコンのボタンが減らないのか? テレビメーカー関係者に取材などの機会に聞くと、決まって次のような答えが返ってきた。
「シンプルなものをつけるとコストがかかるし、顧客に選ばせても流通が複雑になる。両方あって高いより、片方で安い方が求められる」
「ボタンを少なくし、あまり使わないボタンを蓋の中に隠したり、メニュー操作に切り換えたりしている。だがそれでも、『なぜこのボタンがないのか』という声が出てくる。『シンプルリモコンは使いづらい、結局併用している』という話も、同じ人々から寄せられる」
そして、意外に思えるかも知れないが、「リモコンに機能を示す直接的なボタンが欲しい、という声は、比較的年齢の高い消費者から聞かれることが多い」という点で、各社の指摘は一致している。
脳裏に「ボタンが少ないリモコン」を思い描いて欲しい。そこで存在するボタンはどれとどれだろうか?
たぶん、電源とチャンネルの上下、ボリュームの上下くらいは共通だろう。十字ボタンと決定も必要だ。
では、入力切替は? BS・CSへの切替は? EPG呼び出しは? 消音は? 地デジのいわゆる「4色ボタン」は?
ここまで挙げただけで、すでに一般的なリモコンの半分以上である、ということがお気づきだろうか。
私の場合だったら、BS・CS切替や消音や4色ボタンはなくていい。だが、それらが必須だ、という人もいる。例えば「2画面」機能は、わたしにとっては1年に数回も使えばいい方なのだが、日常的に使う人には「なぜボタンにないのか」という話になる。VODをよく見る私には、Netflixでもアマゾンでもいいが「VODアプリを呼び出す」ボタンが欲しいけれど、「いらない」という人も多いはずだ。
テレビは「映像を見る」という、なかなかに一本気な家電だが、そこで何を見るのか、どう見るのかは人によって微妙に異なる。その「微妙な違い」が、使っている時の便利さに直結していて、ミニマムな状態への「切り捨て」の難しさにもなっている。
「IQが20下がる」テレビの特殊性
一方で、IT機器に搭載される「ボタン」の数はどんどん減っている。マウスを使うPCにしろ、画面を直接タッチするスマートフォンやタブレットにしろ、ゲームパッドを使うゲーム機にしろ、「機能を呼び出す直接的なボタン」は決して多くない。メニューを操作して使うことが基本だからだ。
実は、2010年頃と今とでは、シンプルリモコンのあり方が変わってきている。過去のシンプルリモコンは、「操作に不慣れな人向けに、必要なボタンだけを用意したもの」だったのだが、むしろ最近のアプローチは「IT的な操作を許容する人に向けたもの」になっている。
ゲーム機やセットトップボックスでVODを見る時には、十字キー+決定くらいしか使わない。これは実にシンプルだ。だから「テレビのリモコンはもっとシンプルにできる」と思うのも無理はない。
だが、この意見は正しいようで正しくない。
こと「テレビ」という使い方においては、メニュー操作を頻繁に行うことを良しとしない人が多い。特に高齢者は「メニュー操作だとなにをしているのかわからなくなる」という声も多い。
一般的に人は、IT機器を使う時とテレビを使う時では、「機器に向かう姿勢」が異なっている。
IT機器を使う際には、メニューの操作をするにも文字を読むにも、画面をより注視する。一方でテレビを見る時はリラックスしているので、ソファにもたれかかるような姿勢になる。
Googleは、テレビ向けのAndroidである「Android TV」を発表する際、GoogleのUI開発者であるMatias Duarte氏は、説明資料の中で次のように説明している。
「When your butt hits the sofa you lose 20 IQ point.」(ソファに尻を乗せた時、あなたはIQを20失う)」
スマホやゲーム機ではあたりまえの操作でも、テレビをリラックスして見るシーンでは、とたんにストレスの多い操作になる。そのことを、こういう例えで説明しているのである。
「小洒落たデザインの敗北」問題
そもそも、ボタンに名前が書いてあれば、メニューの構造も、どこにどの機能があるかも考える必要がない。アイコンは意味を考える必要があるが、文字ならそれもいらない。機器の操作に習熟する前には、ボタンに名前が書いてあることが「よりわかりやすいもの」に思える。
実際、高齢者向けのシンプルなリモコンには、機能を「名前」で書いたものが多い。「ボタンを減らすと高齢者ほど文句を言う」というテレビメーカーの発言は、ここに関係している。
だが、文字をたくさん載せると、デザイン上はどんどんダサくなる。小洒落たアイコンや英語表記にすると、こんどはその意味を理解する必要があるため、直感的な操作には「慣れ」が必須になる。
これを個人的には「小洒落たデザインの敗北問題」と呼んでいる。コンビニのコーヒーベンダーや方向案内板など、この種のジレンマは世の中にあふれており、気がつくとテプラの注釈シールだらけになる。
シンプルリモコンも、問題の根幹は似ている。ニーズの違いにより、単純にボタンを減らすのは難しい。一方で、デザインを重視していくと、ボタンの意味が抽象化してわかりづらくなる。
「操作性の革新」にメーカーはどこまで投資できるのか
現在のリモコンが使われているのは、一言でいえば妥協の産物だ。
だが、多くの人が「とりあえずすぐ使える」という最大公約数的な回答を考えると、今のリモコンは悪いものではないわけだ。
これが結論ではあるが、本当に今の姿がいいのか、というと、違うだろう。おそらくだが、単純なアプローチでは、リモコンを含めたテレビのUIは大きく変化しない。
音声入力やレコメンデーションの領域に突入し、技術的なジャンプをしないと、本当に快適なテレビはできないのではないか。私を満足させるなら「快速なメニュー構成」で十分なのだが、テレビとはもっと広く、様々な人が使う機械である。だからこそ、PCやスマホ、ゲーム機とも違うUIのアプローチが求められているのだ、と思う。
問題は、そこまでのコストをテレビにかけるメーカーが出てくるかどうか、ということだ。
以前よりはずいぶんマシになってきたとはいえ、いまだテレビの市場は「価格」「画質」「サイズ」が優先されてしまう。小幅な操作性アップでは商品性につながりにくく、大幅なジャンプには開発投資が大きくてビジネスリスクが伴うのは否めない。そこに飛び込むガッツを、テレビメーカーが見せてくれることに期待したい。
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