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郊外にあったはずの母校が何故? 都心回帰し始めた大学の背景を探る

Rikaco Miyazaki

2017/01/31(最終更新日:2017/01/31)


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出典:www.toyo.ac.jp
 ここ数年、大学では都心に新たなキャンパスを作ったり、学部を移動させたりなどの動きが広がっている。例えば、東京理科大学、明治大学、青山学院大学、中央大学、東洋大学、大妻女子大学などの私立大学が挙げられる。

 以前、大学の教卓を作っている筆者の知人も「最近は大学の都心回帰で仕事が増えている」と話していたことから、都心回帰の動きの活発さがうかがい知れる。

 今回は、関東だけでなく関西でも進む大学の都心回帰の背景について探っていきたい。

郊外にキャンパスを作ったのは「国策」だった

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by t-miki
 都心回帰をしている大学が、そもそも郊外にキャンパスを建てたのは何故だろうか。1970年代、都心回帰の流れとは逆に大学の「郊外移転・キャンパス増設」が相次いでいた。

 高度経済成長期を迎え、都心にオフィスビルや人口が集中していた日本。「工場等制限法」によって、都市部での大学の新設や増設が制限されていた。その一方で、高校への進学率が上がり高校生が急増したことから、大学を受験する人の数も増加した。

 そこで、広大な土地を用意できる郊外にスポットライトが当てられた。都心の敷地を手放して、文系学部を多摩地区に移転した中央大学。「1、2年次は郊外」、「3、4年次は都心」で行うという大学も増加した。

ドーナツ化現象で「工場等制限法」が廃止

 昨今、郊外よりも都内で生活する人が多い。しかし、1900年代以降では都心の空洞化、いわゆる「ドーナツ化現象」が社会問題となっていた。

 都心の空洞化によって、2002年に「工場等制限法」は廃止。社会はゆっくりと少子高齢化のフェーズへ進み、小中学校の統廃合や工場の郊外移転が行われた。郊外ほど広大ではないが、キャンパスを建てるのに必要最低限の用地を確保できるようになったのだ。

大学間での「学生争奪戦」が都心回帰のきっかけ

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 少子化によって大学のニーズは減るように思えたが、大学へ進む学生は年々増加。進学率が上がるにつれて、大学自体の数も増え始めた。

 大学が増えることによって起きることは「競争」だ。義務教育ではない大学は、学生に来てもらわなければ学校運営ができなくなってしまう。学生に大学を受験してもらうため、入学してもらうためにも、大学側は学生ニーズに応じようとするのだ。

学生が「都心」の大学に求めるものは「利便性」

 中央大学の久野修慈・元理事長は、都心回帰の大学間競争を「ライバル校間での優秀な学生の争奪戦」と話している。

 通学に便利で遊ぶところも多く、アルバイトや就職活動にも便利、研究の情報収集もしやすい……都心の大学にそういったイメージを持つ学生も多いと考えられる。大学間競争が激化する中で、学生が集まりやすい都心へ回帰するというのは当然のことだ。

 東京五輪などで地価が高騰している都心だが、そんな時でも都心回帰する理由は「学生獲得」にあるのだ。

郊外よりも「都心」の大学を選ぶ受験生

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 都心回帰の先駆けとなった東洋大学は、1、2年次は朝霞キャンパス、3、4年次は白山キャンパスで授業を受ける体制だった。

 2005年、文系5学部は全学年が「白山キャンパス(東京都文京区)」に移転。4年間、通年で同じキャンパスで学べるようになったのだ。東洋大学の志願者数は、ばらつきがあるものの増加傾向だ。2004年から2005年にかけては、志願者数が5,000人増加している。

 その後、国際系の学部「国際地域学部」は、2009年に「板倉キャンパス(群馬県邑楽郡)」から「白山第二キャンパス(東京都文京区)」へ、2013年に白山キャンパスへ移転。2017年には「国際観光学科」が学部化することが決定している。

 人気の学科を学部化し、定員を増やす東洋大学。2015年度の志願者数は前年の62,357人から83,546人と、驚異的な数字の伸びを見せている。大学が都心にあることや、美味しい学食が、受験生の心を掴んでいるのだろう。今年度の志願者数が楽しみな大学だ。

続々と都心回帰をしていく有名大学

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 いわゆる「MARCH」の中でも人気の高い青山学院大学。経済学部や文学部といった文系7学部が、「相模原キャンパス(神奈川県相模原市)」から「青山キャンパス(東京都渋谷区)」へ移転している。移転後、偏差値が上昇したという声も上がっていることから、受験する学生のレベルも上がってきていることがうかがえる。
 
 また、2016年に東京理科大学の経営学部が「久喜キャンパス(埼玉県久喜市)」から「神楽坂キャンパス(東京都千代田区)」へ移転する。40億円かけて作られた久喜キャンパスだが、1年次だけ通わせる……という話があったものの、結局頓挫してしまった。

 郊外移転する前まで都心の一等地にキャンパスを有していた中央大学。2022年までに「多摩キャンパス(東京都八王子市)」にある法学部を「後楽園キャンパス(東京都文京区)」に移転することを決定した。「中央大学法学部」のブランドを復活させる狙いだ。

好立地な「新キャンパス」で学生の心を掴む

 利便性の高い都心の大学を求める学生を獲得するためにも、新たに用地を抑えて新キャンパスを建設しようとする動きがある。ここでは新たにキャンパスを建設する3校について取り上げたい。

中目黒の巨大空き地に新キャンパス:東京音楽大学

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 1907年創立の東京音楽大学。伝統ある同校の現在のキャンパスは、東京都豊島区で池袋駅からは徒歩15分の好立地な場所にある。

 元々の立地が良い同大学は、中目黒駅と代官山駅から徒歩4分の場所に新キャンパスを建設することを決定。2019年に開校する予定だ。

 人気の中目黒エリアで、駅近という好立地の用地。元はJR宿舎跡地であった場所を、都と区が77億7,000万円で売り出したのだ。その土地を、2015年に買い付けたのが東京音楽大学。落ち着いた雰囲気の中目黒エリアで、どんなキャンパスが完成するのかが今から楽しみである。

新たなキャンパス建設地は国立科学博物館新宿分館の跡地:桜美林大学

 都心エリアを取得しているのは東京音楽大学だけではない。東京都町田市にある桜美林大学も、新キャンパス建設のために、JR大久保駅近くの国有地を取得した。「四谷キャンパス」として、2019年に開校する予定となっている。

 四谷キャンパスには、同大学の「ビジネスマネジメント学群」が移転する予定。5階建ての校舎、3階建ての多目的ホール、カフェなどが設けられる計画だ。

2017年開校「赤羽台キャンパス」の建築デザインは隈研吾氏:東洋大学

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 都心回帰の先駆けとなった大学として、先ほども紹介した東洋大学。同校は、2017年4月に東京都北区に「赤羽台キャンパス」を開校する予定だ。

 旧北区立赤羽台中学校の跡地に建設した新キャンパス。設計は、新国立競技場のデザインでも知られる「隈研吾」氏の設計事務所が請け負っている。

 赤羽台キャンパスには、「川越キャンパス(埼玉県川越市)」の総合情報学部が移転する予定だったが、新設学部「情報連携学部」が入ることになった。隈研吾氏の設計事務所が請け負ったキャンパスも楽しみだが、新設学部の受験者数も気になるところだ。


 以上、大学の都心回帰について紹介した。郊外でも学生が来た時代とは異なる現代。学生が大学に求めるものは、勉強できる環境だけではないようだ。

 教育機関とはいえ、経営のためにも「資金」が必要な大学。そんな大学にとって学生に選ばれること、受験してもらうことはとても重要だ。少子化に伴い競争が激化する今後の大学が、どのように変化していくのか注目していきたい。

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