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ディズニー映画にも感じ取れる、オリエンタリズムとイメージの関係性

Ai Maeda

2016/12/30(最終更新日:2016/12/30)


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ディズニー映画にも感じ取れる、オリエンタリズムとイメージの関係性 1番目の画像
 アラブと聞いて何をイメージするだろう。薄手の衣装を身に着けた踊り子や平べったく大ぶりの剣、魔法の絨毯やランプの妖精等どこか不思議で幻想的なイメージをする人もいることだろう。
 
 どこまでも広がる砂漠にラクダ。砂に囲まれ繁栄する都市はオアシスと呼ばれ、治める王はきらびやかな装飾品で身を飾っては美しい身体を惜しげもなくさらす女性を侍らせている。

 物語や映画の世界から知るアラブに私たちは憧れや恐れを抱くが、それは本当のアラブの姿だろうか。
 
 今回は、外からみた国・文化のイメージをオリエンタリズムを交えて伝えたい。

オリエンタルは差別用語なのか?

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 2016年5月20日アメリカ合衆国オバマ大統領が「オリエンタル」「ニグロ」を差別用語として使用を禁止したことが話題となった。黒人の方を表すニグロは日本人に馴染みが薄いかもしれないが、お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」五つ星ホテル「マンダリンオリエンタル」など、オリエンタルという言葉を聞いたことがある人は多いだろう。

 大辞林第3版によると、そもそもオリエントとは世界最古の文明が形成された西アジアとエジプトの総称であり東洋を指す。ラテン語のoriens/昇る・東を語源とし、方位を示す言葉であったという記述もある。これの対義語であったのが同じくラテン語のoccidens/没する・西を語源とし西洋を指すオクシデントだ。

 世界大百科事典第2版によると、西洋の人々が自らをオクシデントとし東洋のオリエントを異質な存在として捉えるまでにはローマ帝国が東西に分裂し、西ヨーロッパが自己を形成していく過程が深く関わっているとあった。古代中国が分裂していた頃、自国の文化が最も優れているとしてそれぞれの国が説いた「中華思想」と似たものを感じる。

 その後、オリエントからは派生語が生まれ「オリエンタル」は西ヨーロッパにはない文明への憧れを表す異国趣味の言葉として使われてきたのだが。1978年にパレスチナ出身でアメリカの批評家エドワード・W・サイードが発表した「オリエンタリズム」により新たな解釈が含まれた。

 サイードが提唱する「オリエンタリズム」とは西洋が東洋をみるときに抱くイメージを問題にしたものであり、実際とはあまりに異なるイメージを批判したものであったのだ。
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 画像はサイードの著書の表紙である。絵の中では1人の少年が裸体に蛇を巻き付け芸をし、何人もの大人の男がそれを眺めている。オリエントを意識したヨーロッパの画家が描いたこの絵からは、東洋への偏ったセクシャルなイメージを感じないだろうか。

 サイードは著書の表紙にこの絵を用いることで「オリエント」に対する偏ったイメージを批判したのだ。

映画にみる偏ったアラブへのイメージ

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 ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが作成した世界的なアニメ映画「アラジン」にもオリエンタリズムをみることができる。
 
 東方地域の昔話といえる「千夜一夜物語」の中の「アラジンと魔法のランプ」を元に作られたこの映画は米・日共に歴代1位の人気作品であるのだが、主人公2人の衣装に注目してほしい。

 アラジンの舞台である架空の王国アグラバーは砂漠地帯にあるため、日差しが強い。皮膚を露出した姿では肌を焼くどころではない激痛がはしると予測されるのだが、2人は肌を露出させている。
 
 ジャスミン姫の登場シーンでは身分を隠すために頭から布をかぶっているが、アラジンは上半身裸にチョッキを羽織る状態だ。物語後半、アラジンが王子となりジャスミン姫の前に姿を現す際にはターバンを巻き裾の長い衣装を着ているので、彼の貧しさを印象付けるためとも考えるが、やはり砂漠地帯には似合わぬ格好をしている。

 しかし、私たちのアラブのイメージと重ねるとどうだろう。1992年に作成されたアラジンが初めてのアラビアン作品だという読者が多く、アラビアと言えばアラジンという方も多いかもしれないが、ならば尚更幼い子供が観るものには注意をはらうべきではないだろうか。

 同じく人気映画である「インディジョーンズ」のシリーズ第1作品「レイダース/失われたアーク」でもアラブの市場が描かれている。西洋系の主人公たちを捕まえようとするアラブ系の人々は平らで大ぶりの剣を持ち大勢で襲い掛かるにも関わらず、わずか2人に負けてしまう。

 コミカルに描くためにあえてまぬけに描いているのかもしれないが、実用性の低い平らな剣を持たされたアラブ系が西洋系の主人公に振り回されて負けるのはオリエンタリズムだという受け取り方もあるだろう。

ジャポニズムとクールジャパン

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 ここまでアラブとオリエンタリズムの話をしてきたが、クールジャパンとジャポニズムでも同じことが言える。

 和訳「ミュータントタートルズ」として公開されたミラージュスタジオ原作のアメコミ「NINJA TURTLES」はタイトルの通り忍者をモデルとしたものなのだが、現代日本に忍者はいない。にもかかわらず1984年の発刊当初から人気であるこの作品はアメリカ国民に対し日本=忍者のイメージを持たせ、その後の岸本斎史原作「NARUTO」まで忍者ブームの先陣を切っていた。

 2015年に公開した映画では、漢字・空手・鎧兜・屏風・ヤクザ・日本刀・沖縄米軍など挙げきれないほどの日本要素を取り込んでいる。日本人から見るとなんとも奇妙な具合に混ぜられ沖縄米軍やヤクザ等、なかには少し難しい顔をしてしまうものもあったが、他国から見た日本文化は面白くもあった。

 外国人観光客向けの日本土産として都内や観光名所・空港に売っているものはどうだろう。筆者は侍や芸者・着物モチーフのものが多いように感じる。

 現代日本に幕府は無く銃刀法があるので刀を持ち歩く人もおらず、日常的な服は洋装であるのになぜ和風テイストがいまだに人気なのか。それは、現代日本がどういう姿をしているかではなく「日本文化」「和風」が好まれているからだろう。

 19世紀のジャポニズムから日本文化は海外で憧れてきた。そこには差別的な意味だと日本人が捉えるものもあったが、描いていた人の心には憧れがあったのだ。憧れがあったからこそ現象を表す言葉が生まれ親しまれてきたのである。


 今は差別用語とされてしまったが、オリエンタルも当初は東方地域への憧憬が詰まった言葉であった。私たちはまだ見ぬ土地や文化に憧れと恐れを抱くせいで正しく理解することができず、時に他文化と自文化を比べてしまうのかもしれない。サイードは行き過ぎたそれに対し意義を唱え、私たちが想像や思い込みだけではない「本当」の文化を学ぶ機会を与えてくれたのだ。

 メディアや架空の物語から学ぶ文化に囚われず自分の目で文化を学んでいくことが、憧れを含んでいた言葉を差別用語にするのを防ぐ最善の方法だろう。

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