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葬儀まで1週間以上待つのが当たり前? 超高齢社会の次に訪れる「多死社会」 が目前に迫った日本

Rikaco Miyazaki

2016/12/02(最終更新日:2016/12/02)


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出典:www.medicaldaily.com
 WHO世界保健統計2016年版によると、日本女性の平均寿命は86.8歳で世界1位、男性は80.5歳で世界6位。男女ともに平均寿命が80歳を超えている、「長寿大国ニッポン」。

 今まで経験したことのない超高齢社会の真っただ中をいく日本は、新たなステージへと進もうとしている――超高齢社会の次に訪れる「多死社会」だ。果たして多死社会とは一体どんな社会なのだろうか。日本に着実に迫りつつある多死社会の足音を聞いてみよう。

2025年問題と多死社会

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出典:www8.cao.go.jp
 「多死社会」というワードを初めて目にした読者もいるのではないだろうか。多死社会は、高齢者が増加することと比例して「寿命」で亡くなる人も増加し、人口が減少していく社会形態のことだ。超高齢社会の次に訪れる社会と位置づけられることが多い。

 多死社会になるまでの段階は3つ。高齢化率が7%を超えた「高齢化社会」、14%を超えた「高齢社会」、21%を超えた「超高齢社会」、これらの3ステップの後に多死社会が訪れる。日本が最初の段階である高齢化社会に足を踏み入れたのは、1970年。わずか24年後の1994年には高齢社会、2007年に超高齢社会へとステージを進めていった。

 現在、日本では「2025年問題」という問題が懸念されている。団塊の世代が2025年頃までに後期高齢者(75歳以上)に達することで、介護・医療費等社会保障費が急増する問題だ。団塊の世代が後期高齢者となる2025年には、高齢化率は28%を超えると考えられている。1つの節目である2025年に、日本は本格的に「多死社会」へと足を踏み入れようとしているのだ。

火葬場が不足している

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 2025年に、多死社会へと本格的に突入すると前述したが、多死社会の足音は聞こえ始めている。その理由が「火葬場・斎場の不足問題」。2016年の時点で、日本の年間死亡者数は130万人を突破。死亡者数と斎場、火葬場の需要と供給のバランスが既に崩れているのだ。

 火葬場・斎場の不足問題は、葬儀を希望日に行えない、火葬場が混んで遺体を安置する場所がなく「葬儀難民」になる……といったトラブルを併発する。火葬場が足りないなら増やせばいいのでは? と思った読者もいるかもしれない。しかし火葬場・斎場の建設予定地では、反対運動が起きるほど地域住民からの風当たりが強い。最新の設備を整え、クリーンな斎場にしようとした埼玉県秩父市が運営する秩父斎場でも、地元からは反対の声が相次いでいるのだ。

 2015年の東京都の年間死亡者数は約11万人。毎日平均300人の命が失われている算段になるが、東京都内にある火葬場は10数カ所程度。毎日1つの火葬場で、20名前後の火葬を行えるようにならなくてはならない。火葬は、遺体1人分を燃やすのに約40分~2時間程度かかるため、火葬時間を考えると、1日で1炉につき3、4体が限界。このまま都市部への人口集中と高齢化が続けば、火葬場不足と葬儀難民の問題はますます深刻化する。

 そんな深刻化する葬儀難民の問題を解決するため、新しいビジネス「遺体ホテル」が誕生した。遺体ホテルとはどんな場所なのか見ていきたい。

多死社会の新ビジネス「遺体ホテル」

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 2025年に予想される年間死亡者数は約160万人。その全ての人を希望通りの日程で、すぐに荼毘に付すことは現在の火葬場の数では不可能である。年間死亡者数130万人の今ですら、友引でも火葬場はフル稼働だ。

 そこで、遺体の安置場所に困っている葬儀難民のニーズに応えたのが「遺体ホテル」だ。遺体ホテルは、葬儀まで遺体を保管してくれる安置施設のこと。火葬まで1、2日程度であれば自宅に安置することも可能かもしれないが、都市部では1週間以上待つことが常態化している。1週間もすれば遺体は劣化してしまうため、遺族たちは遺体の置き場所に困ってしまうのだ。遺体ホテルを運営する「ビジテーションホームそうそう」では、稼働率は常に7割と、ニーズの高さがうかがえる。

 遺体ホテルでは、遺族が宿泊することも可能。施設内で通夜や告別式を催すこともできるなど、サービスが拡大してきている。普通のホテルと同じくらいに綺麗な内装だが、近隣住民からは「においが心配」「車がホテルに来たらまた死体が運ばれたと思ってしまい、精神的に不安」などと反対意見が多いのが現状だ。遺体ホテルは、今後ますます増加することが考えられるが、ホテル付近の住民などの理解を促すことが大きな課題となりそうだ。

献体登録者が増加している背景

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 先述したような遺体の安置に困らない人もいる。それが献体登録者だ。献体とは、医学・歯学の大学で解剖学の教育・研究に役立たせるために自分の遺体を無条件・無報酬で提供すること。献体登録者は死亡後に大学へ運ばれるので、遺体の安置に困らないのだ。

 実は、自分の遺体を献体する人が近年増加している。登録するには、生前に医科・歯科大学に献体を希望する必要がある。献体登録者は、防腐処理や解剖実習などに用いられた後に火葬され、遺骨は遺族へと返還される。これらの運搬費や火葬の費用は大学側が負担する。「誰にも迷惑をかけたくない」という理由から、高齢独身の人が登録を希望するケースが増加しているのだ。

 内閣府が発表している未婚率の推移データを見ても、未婚の男女は今後増加の一途を辿ることが予想できる。自分の墓を手入れする子どもはいない、無縁墓になってしまえば他の人に迷惑がかかる、火葬費を負担してもらえる……未婚率の推移と献体希望者数の推移は比例して増加していきそうだ。

多様化する葬儀のカタチ

 死亡後、献体としての道を選ぶ人もいる一方で、近年では様々な葬儀の仕方が拡大してきている。多死社会へ向かう日本では、どのような葬儀が行われているのだろうか。今回は多様化する葬儀の中でも、注目度の高いものを紹介したい。

Uターン葬儀

 人口が集中している都市部では、待ちが発生するほど火葬場が混雑している一方で、郊外や地方の火葬場には余裕がある。そこで、稼働率が25%にも満たない石川県小松市にある斎場「小松加賀斎場 さざなみ」は、自治体としてUターン葬儀を推進。

 その土地にゆかりのある故人が、ふるさとで葬儀をあげるUターン葬儀。故人が生まれ育った土地で故人との最後の時間を過ごし、故人のルーツを知るきっかけにしてほしい、と発案者の小松市の和田愼司市長は話している。

 故人の生まれ育った場所で行うUターン葬儀が盛んになれば、地方の葬儀場の稼働率は上昇。故人のルーツを辿る“葬儀ツーリズム”が誕生する可能性もある。都心の火葬場不足問題の解決だけでなく、地方創生の鍵にもなりそうなのが“Uターン葬儀”なのだ。

直葬、ゼロ葬、樹木葬

 通夜、葬儀、告別式、墓……“葬式”という一言で括ってもいいのか、と思ってしまう程に葬式には様々な儀式や物が必要になる。しかし、近年では儀式の一部を省略したり、墓を作らなかったりという葬儀のカタチも誕生している。

 2000年以降、都市部を中心に増加している「直葬」。通夜や告別式などの宗教儀式を行わない、火葬のみの葬儀だ。近親者や友人などの限られた関係者のみで行い、葬儀費用や時間の負担を軽減させることができる。NHKが2013年に行った調査によると、関東地方の葬儀全体の5件に1件が直葬と、かなり高い割合を占めている。

 さらに、もっと簡略化したカタチが「ゼロ葬」だ。火葬したらそこで終わり。遺骨の処理は火葬場に任せて、引き取らずに墓も作らない。死んだあとに、自分の一部を一切この世に残さずに「ゼロ」になるのだ。

 墓を作らない訳ではないが、通常の墓ではなく樹木を墓標とする「樹木葬」というものもある。土の中に埋めた遺骨が土に還り、自然と一体化できるような逝き方ができるため、自然志向な故人に人気だ。

自由葬

 宗教にとらわれない、宗教色のない葬儀のカタチ「自由葬」。スライドを見ながら故人の思い出を語ったり、故人の好きな音楽を演奏・合唱したり、故人の好きだった食べ物をみんなで食べたり、お別れ会のような形で行う葬儀だ。

 近親者のみが集まり、故人を取り囲み、故人が好きだったいちご大福を食べながら思い出を語り合うといった自由葬も実際に行われている。宗教にとわれないため、近親者のみの葬儀にしたり、式を簡略化したりすることも可能で、費用を安く抑えることができる。


 以上、日本に訪れつつある多死社会について紹介した。東京オリンピック開催の5年後に訪れる多死社会。経験したことのない社会の輪郭は着実に、はっきりと見え始めている。何気なく生活をしていても、なかなか意識することのない「死」は人間に必ず訪れるものだ。今は健康に過ごしている両親も、いつかは寿命を迎える。もし、多死社会の中で両親が亡くなったら、葬儀まで2週間待ちなんてこともあるかもしれない。

 来る多死社会のなかで訃報があった際に、自分ならばどうするか、両親はどうしたいのか――日本は、「死」について今からしっかり考えたり話し合ったりすることが必要な時代に突入しているのかもしれない。

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