現在も実業家として活動しているビル・ゲイツ氏(以下敬称略)。彼はアップル社と競合しながら、市場におけるマイクロソフト社の地位を着実に築き上げてきた。
「作りたいものを作る」ビジネスを行い、クリエイター気質の強かったアップル創業者スティーブ・ジョブズ氏(以下敬称略)と比較すると、ゲイツは「売れるものを作る」ことで戦略的にビジネスを推し進めてきたと言えるだろう。今回は、ゲイツのマイクロソフトにおける業績を見ながら、彼の「売れるものを作る」戦略を見ていこう。
「レッドオーシャン直前」の市場に飛び込む
by Martin Deutsch 現在マイクロソフトといえば、オペレーションシステム(OS)であるWindowsが最も有名な商品だろう。コンピューターを動かすOSは、かつてコマンド入力による動作が中心だった。アイコンやマウスで操作できるグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)が民間向けのコンピューターに初めて登場したのは、意外にも1970年代になってからだ。
その後、アップルがGUIを取り入れた初代Macintoshを1984年に発売。その優れたデザインと高い操作性によって、GUIのパーソナルコンピューターが一般に急速に認知されるようになった。一方で、“GUIが今後爆発的に普及する”と予測をしていたゲイツは、実は、Macintosh発売の前年である1983年に、初代Windowsの発表を既に行っていたのである。
そんな中、初代Windowsが実際に発売されたのは1985年で、その機能は初代Macintoshに大きく遅れをとっていた。しかし日進月歩で改善を重ね続けることにより、1990年発売のWindows3.0でシェアを大幅に拡大。そしてWindowsは現在、デスクトップOSのシェア1位を不動の地位として確立した。
アップルとマイクロソフトによって、GUIのOSはレッドオーシャン(競争の激しい既存市場)となった。ここでゲイツについて驚くべきは「レッドオーシャン直前」の市場を予測し、強力な競合他社の存在にもひるまず「売れるもの」を作り上げていったことである。この判断によって、最終的に大きな成果を上げることに成功したのだ。
“補完財”となる商品を作る
by Microsoft Sweden “補完財”とは、お互いに補いあって消費者のニーズを満たす、2つの商品やサービスを指す言葉だ。パンとジャムなどが補完財の典型的な例であり、「パンの需要が高まればジャムの需要も増大する」という関係性が成り立っている。
GUI導入以前の時代において、パーソナルコンピューターの表計算ソフトでトップシェアを誇っていたのは、現在IBM傘下となっている旧ロータス・デベロップメントのLotus 1-2-3だった。また日本語ワープロソフトにおいても、ジャストシステムの一太郎が圧倒的なシェアを占めていた。一方で、マイクロソフトがオフィスソフトの開発に力を入れ始めるのは、初代Windowsの発売後からとなる。
そしてWindows3.0が発売された1990年、マイクロソフトは現在も主力製品となっているソフトウェア:Microsoft Office for Windowsをリリース。今もビジネスシーンで幅広く使用されているワード、エクセル、パワーポイントといったアプリケーションを、全てひとつのパッケージに収録して販売したのだ。
パーソナルコンピューターとソフトウェアは補完財の関係であり、上述の通り一方の商品の需要が高まれば、もう一方の商品の需要も高まる。Windows3.0の成功と普及に伴い、ソフトウェアの需要が増加するタイミングでゲイツが満を持して発売したMicrosoft Officeは、あっという間にLotus 1-2-3や一太郎を凌ぐシェアを獲得していった。
「売れるもの」を作ったゲイツは虎視眈々と、機が熟すタイミングを見計らった。そして見事オフィスソフト市場においてもシェア争いの順位を大きく塗り替えたのだ。
ジョブズはコンピューターに対し、シンプルな美しさを追求し続け、初代Macintoshの拡張スロット搭載を「美しくない」という理由で拒否したと言われている。そのような芸術家肌のジョブズと比較すると、あえて競合が存在する市場に絶妙なタイミングで這い上がってきたゲイツは、決して独創的な人ではない。
しかし彼は、先見性と論理的戦略を武器に、マイクロソフトを世界最大級のIT企業へと育て上げたのだ。ジョブズのような天才肌ではなかったゲイツであったが、常に市場を俯瞰し、流れを読みながら最適なタイミングで「売れるものを作る」という姿勢は、我々ビジネスパーソンとして学ぶべき部分が多い。
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