先日、驚愕の写真が世間に出回った。フランスの警察官がムスリム(イスラム教徒)女性がビーチで着用するブルキニを脱ぐよう命じる光景だ。今年の8月、フランスの自治体がビーチでのブルキニ着用を禁止する措置を取った。この判断に世界中で賛否両論の声が上がり、物議を醸し出している。ブルキニ禁止は女性差別の是正なのか、あるいは人権侵害なのだろうか。
「ブルキニ」を脱げ、は正当なのか?
by CharlesFred フランスではブルキニを禁止する自治体が増え、20を超える数となっている。そもそもブルキニとはムスリム女性向けの水着で、ムスリム女性が身につけるスカーフの一種であるブルカとビキニの造語だ。イスラム法では男性を惑わすような女性の部分を露出ししてはならないとあり、その中に髪やうなじも含まれる。写真のように膝下から髪まで全身を覆い、体に密着していないデザインである。
ブルキニを禁止するフランスの言い分は?
フランスでは政治と宗教を別にして考えるライシテ(政教分離)という理念が基本の考えとなっている。その一環として、公共の場に宗教的なものを持ち込むことも禁じられている場合が多い。自治体からすると、フランスの根本にあるこの理念に照らし合わせてブルキニを禁止している。
だが、彼らの口実には矛盾が多くある。テロの危険性から禁止したと言っているが、2004年からムスリム女性が身につけるスカーフを公共の場で着用することを禁止している。また、ブルキニが女性差別の象徴だと決めつけるのもおかしな話だ。なぜならたいていのムスリム女性は男性から強要されてブルキニを着用するわけではなく、自発的に身につける場合が圧倒的に多いからだ。
次項ではこのようなブルキニ禁止への矛盾を20年以上前から存在するスカーフ問題に絡めて分析していきたい。
スカーフ問題からわかるムスリムとの矛盾
by Hernan Piñera 今回、ブルキニの着用の禁止が大きな話題となっているが、フランスでは以前から類似した問題「スカーフ問題」を抱えている。ムスリム女性が身につけるスカーフはブルキニと同様にイスラム法に基づいて髪などを隠すたものだ。スカーフ問題を掘り下げることによってフランスとムスリムの間での解釈の違いが浮かび上がってくる。
フランスとムスリム女性の食い違い
スカーフ問題の発端は1989年までさかのぼる。公立学校に通うムスリムの女生徒がスカーフをかぶることがライシテに反していると学校が判断し、教室から退室させたという事件から国際的な議論まで発展した。その後、繰り返し議論がなされてきたが、2004年に小中学校での宗教的シンボル着用を禁止する「宗教シンボル禁止法」が圧倒的多数の賛成により可決された。
フランスがスカーフ着用を禁止する根拠としてライシテ以外にも女性差別を持ち出すことが多い。スカーフ着用は夫から強要されるものであり、女性蔑視の象徴だと主張している。だが、ここには禁止する側とされる側に大きな食い違いがある。
現代フランス社会のムスリム女性で強要をされてスカーフを着用している人は少ない。自発的にスカーフを身につけるムスリム女性の中でも分類分けすることができる。
まず、イスラムに敬虔でありたくて身につける人。このタイプのムスリムはスカーフを身につけることを当然の行為とみなしており、私たちが服を着るような感覚でスカーフを身につけている。中には、スカーフなしで人前に出ることは裸でいるような感覚に陥る、という人もいる。
次に、自らのアイデンティティのために身につける人。このタイプは移民ムスリム二世で既存の社会での自分の居場所に不満を持っているムスリムが多い。もともとは敬虔なイスラムではなかったが、アイデンティティを得るために着用するのだ。
このように、スカーフが女性抑圧の象徴だとフランスが主張する一方、ムスリム女性は自発的な行為であり、禁止されるのは逆に人権侵害だと訴える。
理念の裏にちらつく反イスラム感情
出典:www.ihhakademi.com フランスはスカーフ問題で国内のムスリムからだけではなく、世界中から批判を受けたにもかかわらずスカーフ着用禁止を押し通したのにはライシテだけでは説明できない理由がある。その理由を分析すると、「反イスラム」にたどり着く。
反グローバリゼーション、反移民から反イスラムへ
ここまでムスリムに排他的な措置をとる要因の一つは、グローバリゼーションが間延びしたことによる経済の低迷への国民の不満だ。1960年代、成長の真っ只中であるヨーロッパは労働力を補充するために移民を大量に受け入れた。フランスもその中の一国だ。フランスは特にイスラム圏である北西アフリカからの移民を受け入れた。
だが、オイルショック以降高度成長が止まったフランスにとってムスリム移民は目障りな存在となっていった。今となっては「移民であるムスリムは雇用を奪う敵だ」というポピュリズムがはびこっている。ライシテを基軸とするフランス社会になかなか染まらない、ムスリムへ不満の矛先が向けられていることは否定できない。
テロによるイスラム恐怖症
イスラムとテロというワードは切り離せないほど人々の記憶に刻まれてしまった。2001年の9.11をきっかけに多くのテロ事件で世界中からイスラムへの風当たりは強くなった。特にテロの対象となったアメリカやヨーロッパでは反イスラムが急激に進んだ。
フランスでも2015年の同時多発テロ、今年のニーストラックテロ事件があり、イスラムのイメージは悪くなり続けている。ブルキニ禁止も近年のテロへの不安から取られた措置ともとれる。
ただ、さらなるテロを未然に防ぐための策としては賢明とは言えない。一部の国民を満足させることはできるかもしれないが、国内で迫害されるムスリムや事件を受けて刺激される国外のムスリムがテロを起こす可能性を否定することはできない。
現代はブレクジストやトランプ旋風、ヨーロッパの極右政党の躍進など反イスラムを掲げたポピュリズムが台頭する時代になっている。今回のブルキニ禁止も反イスラムという性格を帯びている事件だ。ムスリムの観光客が増え続けている日本としてもこの敏感な問題に取り組む必要がある。日本独特の宗教への無関心を寛容へと変えるために、イスラムへの理解が求められている。
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