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“バドミントン新時代へ” 「史上最年少の鬼才」奥原希望が歩んだ、リオ五輪日本代表への道

樋口純平

2016/07/07(最終更新日:2016/07/07)


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“バドミントン新時代へ” 「史上最年少の鬼才」奥原希望が歩んだ、リオ五輪日本代表への道 1番目の画像
出典:nozomi-okuhara.com
 約10年前、小椋久美子と潮田玲子による「オグシオコンビ」が話題となり、日本バドミントン界は徐々に注目を集めるようになった。近年では、日本バドミントン界は桃田賢人を筆頭に世界大会でも優勝するようになるまで成長。そして女子バドミントンでは、奥原希望(おくはら・のぞみ)にリオ五輪での金メダルの期待がかかっている。

 奥原希望は、2015年にスーパーシリーズを初制覇すると、年間上位8名が出場するスーパーシリーズファイナルでも優勝し、今年の全英選手権も優勝。世界ランキング5位という輝かしい成績を残している。奥原希望はどのようにケガなどの苦難を乗り越えて、リオ五輪日本代表の座まで登り詰めたのだろうか。

 今回は7月3日で放送されたTBS『情熱大陸』に合わせて、バドミントン女子日本代表・奥原希望のリオ五輪代表内定までの歩みに迫っていきたい。

史上最年少の鬼才・奥原希望の原点とは

“バドミントン新時代へ” 「史上最年少の鬼才」奥原希望が歩んだ、リオ五輪日本代表への道 2番目の画像
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 奥原希望は姉と兄の影響から、小学校1年生の時にバドミントンを始めた。高校のバトミントン部顧問を務める父・圭永氏を指導者として、毎日1,000ショットもの練習もこなしていた。しかし、小学6年生まで「バドミントンの頂点を狙う」といった気持ちはなかったようだ。

バドミントンを辞めてしまえ!やる気があるなら態度で示せ

出典:奥原圭永
 父・圭永氏が小学6年生の奥原希望に放った一言だ。圭永氏は、なんとなくバドミントンの練習をしてきた奥原希望の態度が気にくわなかったのだ。そこで奥原希望は、父の叱咤に対して、40分間に渡って二重跳びをし続けるという脅威の粘りの姿勢を見せた。この粘り強さに感心した圭永氏は、本格的に奥原希望とバドミントンの頂点を目指し始めたのだった。

 その後、試合の失点の原因を一つひとつ細かく分析し、弱点を膨大な練習量で補う。こうした弱点補強型の練習から編み出された奥原希望のプレイスタイルが、「粘って拾う」である。このプレイスタイルは、海外メディアに「頑丈な要塞」とまで評されるほどである。

 そして、奥原希望は全日本総合選手権という舞台で最年少優勝するまでに到達した。16歳8ヵ月の女王・奥原希望は、この成績が評価されバトミントン日本代表へと選出。その後は、日本代表の一員として国際試合に出場し、日本勢の活躍に貢献した。そして、今では五輪金メダルへの期待も背負う。

史上最年少で頂点へ、奥原希望の強い向上心に迫る

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 奥原希望が小中高時代に輝かしい成績を残し、鬼才ぶりを発揮したのは先ほど述べた通りだ。これほど奥原希望を突き動かすのは、高い向上心だ。練習・試合のどの場面においても、奥原希望の向上心をバドミントンがくすぐっているようだ。

相手とのかけひきが楽しいです。ここに打ったら、ここに打ちかえされてくるから、今度はここに打とうとか、数手先までイメージして試合展開するところが好きです。

出典:中高生部活応援マガジン ヒーローインタビュー | ATHLETE INTERVIEW ...
 奥原希望はバドミントンの魅力について、上記のように語っている。つまり、相手のレベルが高ければ高いほど、勝つための方法を思考することが楽しいのだ。しかし、意外にもバドミントンをしていない時には、一切バドミントンのことは考えていないのだという。オンオフのスイッチがはっきりしているからこそ、試合ですさまじい集中力を見せることができるのだろう。

中学2年生の時に、初めて全国でタイトルを獲って、もっと勝ちたい! って気持ちがわき出てきたのがきっかけです。

出典:中高生部活応援マガジン ヒーローインタビュー | ATHLETE INTERVIEW ...
 これが現在の五輪日本代表・奥原希望の夢の原点である。普通の中学生であれば、タイトル獲得ということに対して一喜一憂してしまうのではないだろうか。その時の現状に満足することなく、すぐさらに上のレベルを目指すことができる奥原希望の向上心は、常人のものではない。

「両膝のケガからリオ五輪日本代表へ」の苦難の道とは

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 高校卒業まで、人並み外れた向上心を持ち、優秀な成績を修めてきた奥原希望は、夢であった五輪日本代表へ向かって真っすぐ進んでいた。しかし、そんな奥原希望にアクシデントが発生する。2013年に左膝にケガを負い、翌年の2014年には右膝にケガを負った。両膝共に手術するほどの大ケガであったため、五輪代表選考の舞台にすら立てるか危うかった。

(五輪出場争いの)スタートラインに立つことも全然想像できなかった。奇跡だと思う

出典:奥原希望
 バドミントンの引退も考えるほど、奥原希望は不安だったのだ。しかし、両膝の大ケガを乗り越えて、見事、夢のリオ五輪日本代表の切符を掴んだ。さらに、選手生命の危機にまで追い込んだケガの経験を、奥原希望はすぐさま活かした。両足の筋量を落とさないために、大ケガのリハビリから新たな調整法を見出したのだ。

自分は日本のエース

出典:奥原希望
 ケガを乗り越えて、リオ五輪への切符を掴んだ奥原希望は、度々「自分がエースだ」と口にするという。この言葉は、「自信」にも「重圧」にもなると奥原希望は語っている。「自分がエースだ」と言える人は限られた者だけであるため、奥原希望はその声援を背負って、世界と戦う覚悟を決めたようだ。


 幼い頃から上を見て前進してきた奥原希望のメンタルの強さには、目を見張るものがある。世界という舞台で戦う覚悟を21歳という若さで決めることができ、絶望的な大ケガにもくじけず、夢に向かって前進してきた。私たちはコート上に立つ奥原希望を応援するだけでなく、これまでの奥原希望から夢に向かって一歩踏み出す力強さを見習わなければならない。

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