“結婚式なんてどこも似たようなものばかり。”――そんな結婚式の常識を覆す演出を可能にした「CRAZY WEDDING(クレイジーウェディング)」。完全オーダーメイドな結婚式のプロデュースを行う会社である。その創業者である山川 咲。起業からわずか4年でCRAZY WEDDINGを人気ブランドにまで成長させた、若手女性起業家である。
そんな順風満帆だと思われた彼女が突如、CRAZY WEDDINGの代表辞任宣言をした。今回は、5月29日放映の『情熱大陸』に合わせて、山川咲のその真意と起業までのプロセスを追う。
“ウェディング業界の革命児”山川咲のキッカケ
出典:businesscreators.jp生い立ちと起業のきっかけ
1983年、千葉県で生まれた山川咲は、神田外語大学を卒業後、人材教育コンサルティングのベンチャー企業へと入社。創業したてということもあり、山川咲は立ち上げメンバー同然で、人生をかけて働いていたという。
入社5年ほど経った頃、ある転機が訪れる。山川咲は妊娠と流産を経験したのだ。これが、働き方や会社との関係性を考え直すきっかけとなった。妊娠により、今まで築き上げてきたキャリアが白紙になったことで、自分が会社の創業メンバーではなく、従業員なのだという事実を思い知らされることに。また、山川咲はこのようにも語っている。
山川咲は、そんな尊い人生を、他人の創った会社のためにただの従業員として生きることに違和感を感じたという。それが引き金となり、山川咲はなんの当てもないまま会社を辞める決意をした。そして退職後、オーストラリアへ一人旅へと出る。イージーでアバウトな環境の中で、山川咲の全てだと思っていた仕事やキャリアを手放しても、毎日を輝かせることができる自分がいることに気づいた。この旅は山川咲にとって、自分のことや大切にしたい生き方を見つめなおす時間となったであろう。
そうして自信を取り戻し帰国した山川咲は、ウェディング業界に目を向け、起業に至る。なぜウェディングだったか。それは、山川咲自身の結婚式での体験がきっかけであった。
山川咲が見つめる「結婚式の新たな可能性」
出典:www.crazywedding.jp 山川咲が25歳で結婚式を挙げ、それが終わった時、このように感じたという。これは結婚に対してのことではない。山川咲が理想を100%実現するということを、式を通して人生で初めて体現したからであった。その体験は、人生が変わるくらい楽しかったという。
現代の学校教育などは「こうすべき」などのMUSTが多い。それにより、「こうしたい」というWANTに対して実現できる機会が少ないように思える。もしくはそんなMUSTな風潮のせいで、はなから諦めているのかもしれない。そんな世の中だったからこそ山川咲の「こうしたい!」が実現できた結婚式は、山川咲にとって大きなインパクトを与えたのだろう。
ところが、周りのウェディング業界の実態は、高額なプランの割にパッケージ化され、クリエイティビティからはほど遠かった。こうしたい!と言えば、何かにつけて追加料金の請求。これでは、山川咲の理想の実現なんて夢物語だ。
それに違和感を感じた山川咲は、このウェディング業界にメスを入れることを決断。入念にリサーチを重ねたのち、わずか一ヶ月後に事業をスタートさせた。そうして生まれたのが、奇想天外な結婚式をプランニングする「CRAZY WEDDING」。時にはキャンプ場で、時には廃工場で。まるで映画や絵画のような“誰も見たことのない結婚式”を演出した。
思いつくことは誰でもできる。しかし、それを実行に移すかどうか。山川咲の行動からも、思い立ってから実行までのスピードの速さがいかに大切かが伺える。
そんな中、山川咲の突如の辞任宣言。更なる道に挑む。
出典:www.crazy.co.jp 事業は順調、まさに順風満帆だった山川咲が2016年春、「もうウェディングの仕事はやらない」そう言い放った。約4年間かけて人気ブランドにまで成長させた「CRAZY WEDDING」の代表を辞するというのだ。その想いとして以下のように語っている。
「人生を変える結婚式を届けたい」。その真意は、“意志を持ち、自分自身の人生を生きて欲しい”ということ。だからこそ、まず山川咲自身がその規範になるべく挑戦し続けている。そんな彼女の生き様からは、強い想いと覚悟が伝わってくる。
最後に、山川咲はこのような言葉も残している。
一体、現代の日本人の何割が “自分の人生” を歩めているのだろうか。「周りがそうだから、私もそうする」。そんな生き方をしている人が多い気がする。いつ、何が起こるか分からない世の中で、正解の選択なんて存在しない。その選択を正解にするのは自分次第である。我々も山川咲のように一度立ち止まり、本来の自分自身を見つめ直したい。
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