「人はどう生きればいいのか?」――現代社会では、そういった素朴な問いに対して解答ができない。それを解決するのは、実は新たな哲学ではなく古の「東洋哲学」であったのだ。東洋哲学は、現代よりも過酷であった戦乱期において、人々の生き方を支えていた。そして東洋哲学は、4千年以上もの間、人類社会のメインストリームに多大な影響を与えてきたのだ。
本書『ハーバードの人生が変わる東洋哲学──悩めるエリートを熱狂させた超人気講義』は、そのような東洋哲学の粋が収められたメモリアル書である。現代社会での生き方に悩むあなたへの、最良の一冊となるであろう。
今までの常識を覆す、「東洋哲学」の前提
東洋哲学の前提①:あるがままの自分を受け入れるな
現代では、よく「自分らしく」という考えが横行しがちであるが、東洋哲学では「他者と関わり、変わっていくことが当然」とされている。むしろ、日常において他者に影響されることで、より良い自分に近づけるとするのが東洋哲学だ。
東洋哲学の前提②:日々のパターンを修正して日常を改善する
東洋哲学が発展したのは、孔子の時代である。その時代は、貴族たちが権力を失った戦乱の幕開けだったので、世の中の先行きを予想できる者がいなかったのだ。そのため、身の回りの生活を修正し、日常を改善していくスタンスである東洋哲学の原型が生まれた。
礼を説いた「孔子の東洋哲学」
孔子の東洋哲学①:「愛してる」も儀礼
例えば、あるカップルの彼氏が彼女に「愛している」と言ったとしても、「本当に愛している」のかは不明だ。彼女に対して一言で語れない複雑な思いを感じつつも、関係を維持するための儀礼として言っているかもしれない。だが、孔子の東洋哲学では、このような「儀礼」が、日々を維持することに役立つと教えている。
孔子の東洋哲学②:自分探しをしてはいけない
孔子に限らず、東洋哲学では、日々の生活は他人と影響し合うモノと定義している。そういった点を踏まえ、孔子は自分に籠る意味での自分探しでは、日々の生活は良くならないとしているのだ。
例えば、あなたがイライラすることがあったとしても、孔子の東洋哲学ではそれは他人との関わり合いが原因なので、接し方を改めなければならないと説いている。
孔子の東洋哲学③:「仁」は周りに伝染する
まず、孔子の東洋哲学では、思いやりの心である「仁」の明確な定義はされていない。あえて言えば、「他者に善となる行動」をすることだ。例えば、あなたがCEOにエレベータで出会ったとして、笑顔であいさつして上機嫌にさせれば、それが「仁」だと孔子の東洋哲学では説いている。このように、日々の他者との関わり合いで生まれた孔子の東洋哲学は、「仁」一つとっても他人との接し方に見るのだ。
戦国の過酷なリアリティで育った「孟子の東洋哲学」
孟子の東洋哲学①:勤勉が報われるとは限らない
孟子の東洋哲学では、「仁」が世の中に溢れている一方で、不合理なことも満ち溢れているとされている。例えば、大学で学問に励んだしても、就職に結びつかないことは大いにあることだ。孟子の東洋哲学では、そこで目的に適うように学問に励むことが重要である。
こういった孟子の東洋哲学が生まれた背景には、戦国の混沌期に差し掛かろうとしていた時代であることも大きい。戦国の世では、目的性の薄い勤勉さは報われないことが多く、孟子はそれを目の当たりにしてきた。それゆえに、目的達成の手段として学問を利用すべきだと説いているのだ。
孟子の東洋哲学②:すべての人は善良に生きる特質を備えている
例えば、子供が井戸に落ちれば皆が助けに行くように、孟子の東洋哲学では、人は良心の方向に生きる習性があるとされている。だが、つい他者といがみ合いになってしまい、助けるとは逆に向かってしまうことも孟子の東洋哲学は知っている。そして、そのような状況でも、人は他者と関わって善良な方向に変転できる特質を持っていると、孟子の東洋哲学は説いているのだ。
大局的に見る「老子の東洋哲学」
老子の東洋哲学①:強くなるために弱くなる
例えば、細く弱々しそうな若木は、暴風雨の中で風にしなりたわんでも、その柔らかさとしなやかさを活かして元通りになり、折れずに済む。そのため、結果的にしたたかに生きることができるのだ。このように、強くあるためには弱くなることも大事なのだと、老子の東洋哲学は語る。
老子の東洋哲学②:横柄な上司がいても、大局を見よ
老子の東洋哲学③:相手が衰えるまで待つ
例えば、社内で機嫌の悪そうな人に用件を頼まなければならない時は、気が鎮まるのを見計らってから頼みに行く。このように老子の東洋哲学では、待つことにより相手の感情が弱ることを是とする。
この老子の東洋哲学は、軍事にもそのまま当てはめられる。例えば、ナポレオンが冬のロシアに攻め込んだ際、ロシア軍は後退して、ナポレオン軍が寒さで衰えていくのを待った。東西を問わず、老子の東洋哲学が役に立つ好例であろう。だからこそ、東洋哲学は現代社会のメインストリームを支えている。
自然な状態に基づいた「荘子の東洋哲学」
荘子の東洋哲学①:自分中心から脱却する
世の中には、人以外にも様々な動物や植物、そして物質がある。そのような「自然」の視点に立って世界を見ようというのが、荘子が生み出した東洋哲学だ。例えば、人から見れば犬はかわいいかもしれないが、犬からはまた違うビジョンで見られているかもしれない。そういった多方面の視点を重ねることで、自分中心の視点を越えて、「自然のビジョン」を得ることができると荘子の東洋哲学は考えている。
荘子の東洋哲学②:自発性を鍛えよ
例えば、料理を極めたシェフは、レシピなど見ずとも経験とセンスだけでおいしい料理を作りだす。荘子の東洋哲学では、これはおいしい料理への「自然な」調理法が修練により身体に入っているからだと考える。このように荘子の東洋哲学は、「自然」に帰結されるのだ。
荘子の東洋哲学③:第三者がいれば散歩も修行になる
これも荘子の東洋哲学の「自然」を基調とした見解である。荘子の東洋哲学では、客観的に見れる者を置くことでより「自然」状態に近づけるとしている。例えば、美術館で鑑賞したければ、あなたのような素人でも美術館の者でもなく、第三者の詳しい者をガイドに選んだ方が偏見のない「自然」な鑑賞にたどり着きやすいと説く。そうやって第三者の視線を介することで、偏りのない「自然」な状態ににたどりつく修行になると、荘子の東洋哲学は語る。
荘子の東洋哲学④:何があっても受け入れる
何があっても受け入れることで、自分中心の思想から脱却し、様々なモノの見方が身に着き、「自然」な見方に近づけるという荘子の東洋哲学だ。
自然な状態を否定した「荀子の東洋哲学」
荀子の東洋哲学①:あるがままの自分が良いとは限らない
荀子の東洋哲学では、人の中には少なからず悪い面があり、なにか他者からの働きかけがないと、悪い方向にばかり加速してしまうと説いている。例えば、先述した井戸から落ちた子供については助けるだろうが、そのあと勝手にその子を奴隷として用いる可能性もあるので、人の本性について楽観視してはならないというのが性悪説な荀子の東洋哲学である。
荀子の東洋哲学②:自然崇拝は有害だ
荀子の東洋哲学では、自然をそのまま受け入れるべきではないのだ。というのも、東洋哲学自体、日々の生活を良くする視点に立っている。そういう観点で見ると、自然をそのまま受け入れては日々の生活の向上は見込めない。そのため、荀子の東洋哲学では自然を受け入れず、自然を変えていくことが大事なのだ。
以上、東洋哲学の粋について紹介してきた。読んでいながら、思い当たる節が大いにあったかもしれない。もし思い当たることがなくても、東洋哲学は現代のメインストリームを支えているバックボーンなので、あなたのライフスタイルをも支えてくれるだろう。是非、本書を通じて、そのような東洋哲学の威力に触れて欲しい。
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