科学の進歩により、万物の真の姿が次々と明らかになる昨今。なかでも最大のミステリーといわれているのが人間の「ゲノム」だ。
病気の解明や治療にもつながるゲノムだが、人間自身の英知、それによる技術進歩により、すさまじいスピードで解析が進んでいる。
ただ、専門家ではない一般人には少しばかりハードルが高いゲノムの世界。 そこで、注目の若手計算生物学者である仲木竜さんに、ゲノムが原因で病気になる理由をはじめ、その実態について分かりやすく語ってもらった。
仲木 竜 プロフィール
なかき・りょう/計算生物学者/株式会社Rhelixa代表取締役CEO。
1988年、愛媛県西予市生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。
次世代シーケンサーより得られた大規模エピゲノムデータを用い、独自の計算アルゴリズムに基づく計算生物学的アプローチで複数の研究を展開。在学中に、エピゲノム解析を応用したビジネスプランを提唱し、東京大学ビジネスコンテストで優秀賞、Japan Business Model Compositionにおいて2位を獲得。2015年2月に株式会社Rhelixaを設立。ゲノム・エピゲノム解析に留まらず、薄毛や不眠等の後天的な原因に基づく症状を改善するためのヘルスケア事業、精密機器の設計・プロトタイプ開発を行っている。2015年6月にはDMM.make AKIBAの公認クリエーターに任命され、「想像力を駆り立てる新たなおもちゃ」の開発をコンセプトに、LEGO工学デザインを伝道。
高齢出産がなぜリスキーなのか。病気とゲノムの関係とは?
————細胞が悪性になってしまうガンなど、細胞の変異が人間の身体にネガティブな影響を与えてしまうことがあると思います。これらは、ゲノムが関係しているのでしょうか?
仲木 そうですね。じつは、もともとガンの致命的なリスクを持って生れてくる人は少ないんです。そもそも、そういう人は進化の過程で淘汰されるはずなので。ガンにおいては、基本的に“ほとんどリスクのない状態”で生まれてくるんです。
また、我々の細胞は常に入れ変わっていて、新しい細胞が分裂するときというのは、全く同じゲノムをコピーしないといけない。 ですが、間違った情報をコピーしてしまうこともあります。
————そうなると、間違った情報を持ったままのゲノムがどんどん増えてしまいますよね?
仲木 はい。ただ「DNA修復酵素」というタンパク質が存在して、間違ったゲノムのコピーを修復してくれる機能を持っているんです。
その酵素は若い時は正常に機能し、仮にゲノムが損傷してしまったとしても高い精度で修復されるのですが、中高年になってくると様々な影響で機能が弱まり修復されないまま異常が残ってしまうことがあります。
そうすると、その細胞が引き継がれていったときに、最初はわずかであったDNAの損傷が広がり、異常の溜まった細胞集団になります。 その細胞集団が悪性の場合に、「ガン」と呼ばれます。
by ZEISS Microscopy————たとえば、発がん性物質というガンを誘発させるものがあると思うのですが、これはゲノムに影響を与えるということなのでしょうか?
仲木 発がん物質やイベントは、ゲノム配列の変異を誘発します。 一番分かりやすいものが放射線で、日常生活の中でも常に一定の割合で影響を受けていて、変異と修復が繰り返されています。タバコもゲノムを傷つける物質が体内に入ってくるので、年齢を重ねて修復する酵素の力が弱まってきたときに、細胞が悪性化していく可能性を高めます。
ただ、年をとっても修復機能が強い人と、そうでない人というのは存在します。それがガンになりやすい人とそうでない人の違いにもなってくるんです。
————最近、高齢出産のリスクが注目されていますが、こちらもやはりゲノムにまつわる話でしょうか。
仲木 その可能性はありますね。やはり、胎児は一定の期間を母親のお腹の中で過ごして大きくなる以上、母体の状態と胎児の成長は密接に関係すると考えられます。
実際に胎児のダウン症リスクは高齢出産であるほど高まるというデータが存在し、母体のDNA複製・修正機構が、胎児のゲノムや成長に影響する可能性があります。
ゲノムは「人体の設計図」。人体を作り出すゲノムの正体について
by sabianmaggy仲木 ヒトゲノムを作る染色体は全部46本あって、両親からそれぞれ23本ずつ貰います。 1番から22番まである染色体以外に、「X」「Y」の性染色体というのがあって、「X」と「Y」は両親からそれぞれ貰うということです。
ちなみに、女性は「XX」で女性になり、男性は「XY」で男性になります。そのため、父親が「X」と「Y」どちらの性染色体を分け出すかによって性別が決まります。
————実際のゲノムというのは、どのような構造を持っているのでしょうか。
仲木 構造としては単純で、1本の二重らせんのヒモ状になっています。 複雑そうな印象を持たれがちですが、基本構造は「アテニン=A」「グアニン=G」「シトシン=C」「チミン=T」という4種類の分子をつなぎあわせてできているだけなんです。その分子が30憶個連なっているのがヒトゲノムです。
————30億個連なったものが全身に37兆個くらいあるとなると、途方もない数字ですね……!
仲木 そうですね。そのゲノムを解析するときは4種類の分子の頭文字をとって、「AGCT」という文字列ベースのデータを用います。
ただ、当然ゲノムそのものは生物の言語で書かれているため、そのままではどのような情報が書かれているのか分かりません。それをコンピューターにより解析し、未知の分子機構を解いていくのが、私のようなゲノム科学における計算生物学者の仕事です。
ちなみに、先ほどのガンの話にもつながりますが、細胞の悪性化はゲノム配列の変異と密接にリンクしています。ゲノムに変異が入ると、「ACGT」のゲノム情報が正しく読めなくなってしまいます。
そうすると、「ACGT」を元にできる身体をつくる材料「タンパク質」の構造が微妙に変わってきて、体を正常に構築する機能が保てなくなります。
遺伝子検査は「星占い」レベル!?
by snre————ゲノムが「AGCT」で作られた設計図だとすると、体を構築する主な材料はタンパク質ということでしょうか?
仲木 その通りです。ちなみに、タンパク質がどのような構造をしているかという情報も、ゲノム自体に記述されています。
ゲノム全体のうち、それらタンパク質の構造情報を持っている領域の割合がどのくらいかというと、ヒトの場合、ゲノム全体のおおよそ2%くらいなんですね。
それ以外の98%はある意味、余白のようなものと考えられていた時代があって、ゲノム科学が発展した近年までその機能は謎に包まれていました。
————98%とはかなり膨大な情報量ですよね。どのような役割を担っているのでしょうか?
仲木 多くのタンパク質は、体の場所によって様々なタンパク質と協同的に作用し、その機能が異なることが知られています。その場合分けの指令を書いているのが、この98%の部分です。
その複雑なネットワークによって構築されているというのが、まさにヒトの複雑性を生み出している部分といえます。逆に、大腸菌や酵母といった比較的単純な生物は、ヒトでいう2%のタンパク質の構造情報の部分がゲノムの大半を占めています。
————最近はさまざまな遺伝子検査がありますが、これはゲノムの2%の部分をみているということでしょうか?
仲木 そうですね。たとえば、以前アンジェリーナジョリーが乳ガンの遺伝子検査をして話題になりましたが、特定の「ガン」に関しては、生まれつき持っているゲノムの2%のタンパク質の構造から発症リスクを予測することが可能となってきました。
このような特定のタンパク質の構造情報のみでリスクが判定できるガンについては、医療機関での検査に限定されています。遺伝子検査の判定基準は、様々な先行研究に基づき「この傾向がある人は、どうやらこういうAGCTの配列をもっているらしい」というかたちで決められています。
要は、データ量がある程度蓄積されてきた疾患や体質については、信憑性が高い項目が多いです。アルコールの分解能や、糖尿病といった遺伝性疾患リスクなどがそれに当たりますね。
————最近は親が子供の能力を知るために遺伝子検査をする、といった話も増えてきていると聞きました。
仲木 確かに、遺伝的な特性というのは各個人の能力と密接に関係しています。しかしながら、例えば足が速いとか頭が良いというのは、周りの環境やトレーニングの方法など、遺伝的な特性のみで計りえない要素がかなりあると言えます。
また、遺伝的な特性でいっても、これまで見られてきたタンパク質の構造情報を持つゲノムの2%だけでなく、98%のタンパク質の相互作用ネットワークを決めている部分の影響も受けると言えます。
その意味で、現状では一つの目安として能力判定に遺伝子検査を利用されるのは良いと思いますが、それだけでお子さんの将来を決めてしまうような決定はおすすめしません。
仲木 2000年頃はゲノムを読むのに一人100億円ほどかかっていましたが、現在は数10万円で読める時代となりました。
今後はさらにゲノム解析が進み、遺伝子検査の精度はさらに向上すると思われますが、常にそれは様々な可能性の一つでしかないことを頭に入れておく必要があるかと思います。
Interview/Text: 末吉陽子
Photo: 森弘克彦(人物)
記事提供:Qreators.jp[クリエーターズ]
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