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“新時代の編集者”・草彅洋平が語る、文学のカルチャー的影響力とは:「文学の面白さから編集者へ」

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2016/03/12(最終更新日:2016/03/12)


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新進気鋭の4人組ロックバンド“OKAMOTO’S”。彼らがリリースした6枚目のアルバム『OPERA』で行われた異質のコラボレーションが話題を集めています。仕掛け人は、株式会社東京ピストルの代表取締役であり、あらゆるものを“編集”することで知られる草彅洋平。 

今回は、そんな草彅氏に「編集者」としてのルーツや、OKAMOTO’Sとコラボレーションするに至った経緯などを伺いました。

草彅洋平  プロフィール

くさなぎ・ようへい/株式会社東京ピストル代表取締役/編集者 
1976年、東京都生まれ。あらゆるネタに対応、きわめて高い打率で人の会話に出塁することからついたあだ名は「トークのイチロー」。インテリア会社である株式会社イデー退社後、2006年株式会社東京ピストルを設立。ブランディングからプロモーション、紙からウェブ媒体まで幅広く手がけるクリエイティブカンパニーの代表として、広告から書籍まで幅広く企画立案等を手がける次世代型編集者として活躍中。

今回の「OPERA」のPVは単なるミュージッククリップではなく、映画のように構成されて展開された。
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草彅氏がOKAMOTO’Sの6thアルバム『OPERA』とのコラボレーションで執筆した小説版『OPERA』

文学編集だけでは食えない。頭を使い、多角的に仕事をする。

――そもそも「編集」とはなんですか?

草彅:セレクトショップみたいなものですよね。たくさんの良いものをセレクトして、ひとつの形に落として売っているような。松岡正剛さんは「千利休は編集者」と言っていますが、良いものを後世に残していくことが「編集」なのではないでしょうか?

――編集と聞くと、文章、紙媒体を思い浮かべてしまいますが、草彅さんはその枠にとらわれていません。

草彅:僕は初めから本だけという観点では考えていなかったですね。 紙媒体の編集者としてだけでは食っていけないということに、20代の頃に早々に感付いていたんです。だからこそ多角的になってしまった。

著名な編集者である滝田樗陰なんて大正9年の総理大臣の月給が約1,000円だった時代に、月収が2,000万円ありました。いまのお金に換算すれば月収1,260万円近くですね。それほど当時の文芸にはお金が集まりました。だから優秀な人たちが出版の世界に集まってきた。

でも今の本が売れない時代はそうはいかないですよね。妻子がいたり、家を借りなきゃいけなかったり、老後のことを考えたらなおさら出版業で働けません。僕はそういう時代において、自分が生活していくためにもいくつかの手を打っていくよりなかっただけなんです。 

その結果、今のスタンスがあるだけですね。元々文学は好きだったけど、食えないから、他の様々な可能性を模索しました。未来を完璧に予測することまでは出来ないかもしれないけど、考えて行動していくことは大切ですよね。

キン肉マンは三島由紀夫が作った!? 文学のカルチャー的影響力。

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――では所謂「文学の編集」、「雑誌の編集」というものにはどんな魅力があるのでしょうか。草彅さんの考えを教えてください。

草彅:文学史的に、バーサス(VS)という言葉を作ったのは三島由紀夫です。「VS」という言葉は「討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争」からはじまってるんですね。正確には当時の編集者の吉村千穎さんと一緒に作ったと、「終りよりはじまるごとし 1967〜1971 編集私記」に書いてあります。

だから三島由紀夫がいなかったら、キン肉マンも生まれていないかもしれない(笑)。文学というものは色々なところへ絶対的に関わっていると思います。 近代文学は明治以降から昭和後半までは特にカルチャー的な影響力があった。 

しかし80年代以降、メディアが多角化して、そういう力が消えていってしまいました。そうした消えていった文学を再評価したいという考えが僕の中では大きい。消えてしまった良いものを、どうやって現代にアプローチするのをよく考えています。

社会に出れば、そこは戦場。生き残る術を今の学生は考えていない。

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――草彅さんが編集者としての道を歩まれたきっかけは何ですか?

草彅:学生時代に荒川洋治さんに教わったことがひとつのターニングポイントになっています。そこで同人誌を発行したのがきっかけですね。荒川さんはつねづねこうおしゃっていました。梶井基次郎は『青空』、芥川龍之介は『新思潮』を発行した。彼らは小説家になる前に本を作っている、と。

荒川さんが言いたかったのは「昔の学生は社会と密接にかかわっていた」ということですね。昔は学生の頃から社会に出て、いろんな人に怒られ、注意され、お金について学ぶことによって、大人になっていく。対して今の学生は何もしていない。授業に出て、単位をとるだけ。それがなぜかというと、就職したら誰かが手とり足とり教えてくれると思っているからです。 

「それは甘いよ」といった話を荒川さんにされ、感銘を受けた僕は半年かけて雑誌を作りました。そのときには先生と毎週のようにお茶をするようになっていて、完成したときに持って行ったんです。すると、すごく褒めてくれました。授業で発表すると言ってくださって……。嬉しかったなぁ。 

しかしいざ授業が始まるとひたすらダメ出しだったんですよ(笑)。デザインがダメとか、広告が入っていないだとか、企画の詰めが甘いだとかね。でも懇切丁寧に教えてくれた。それがすごくよかった。悔しくて、「もっと良いものを作ろう」といっそう頑張ることが出来ましたね。

――雑誌を作ったら仕事に繋がった。

草彅:結局その同人雑誌を売っていた先のイデーというインテリア会社に目をかけてもらい、いきなり2,000万円の予算で雑誌『sputnik:whole life catalogue』を作ることになったんです。仕事につながったわけですね。そんな話、22、23歳の学生には稀有な話でした。
 
学生が進路や未来に悩むのは、結局作ってないから、行動してないからなんですよね。自分を証明するものが何もない。作りたいと思うなら、作るしかない。そうすると自分の実力が全部分かりますよ。意外と嘘はつけない。誇大妄想、自分の事を優秀と思っていても、作ってみると超しょぼいなんてことは往々にしてあります。もしかしたらすごく良いものができることだってある。作ってみないとそれがわからないんですね。

若者が文学を読まなくなったのは、ブランディングをしなかったから。

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――草彅さんが編集という仕事をするうえで、根本に持っている哲学はなんですか。

草彅:自分の持っている美意識で自分が不満に思っている事業やものを塗りつぶしていきたかった、それだけです。僕にはシンプルに「カッコ良いもの」「カッコ悪いもの」の2つがあって、なんでこんなカッコ悪いものが世に蔓延しているんだろうと当時から考えていました。 

中でも文学がそうだった。若者が文学を読まなくなったのは、やっぱりデザインが良くないからですよ。中身のコンテンツは素晴らしいのに、ブランディングがされていなかった。デザインと編集のクロスっていう今の東京ピストルの理念ですね。当時とやっていることは変わりません。良いものが消えていくのがもったいないんですよ。コンテンツが良ければ、ブランディングで蘇らせることができる。

――それはこれからの時代も同じでしょうか?

草彅:昔はデザインだけである程度の効果を見込めたけど、現在はコンテンツ過多の時代だから、そこからさらにプラスで“しかけ”がいるんです。例えば、僕がプロモーションから小説化の執筆まで手掛けた『Opera』がそうですね。
 
僕は資産家でもないし、お金も大して持っていない。少ない予算でどうやって最大の効果をあげるのか、やれることが限られている。そう考えると、他の人がやっていないことをやりつつ、良いデザイン、面白い仕掛けを作ることに行き着くだけなんです。

 
四人組ロックバンドOKAMOTO’Sのアルバム『オペラ』。そのプロモーションを兼ねて執筆された草彅による同名の小説には、いったいどのような思惑と、“しくみ”が仕掛けられていたのか。


Interview/Text: 倉持ゆうり


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