日本の伝統を受け継ぐ日本料理は、食材本来の味を利用し、日本の四季それぞれの旬の素材を大切にする特徴があり、和食とも呼ばれている。2013年12月には無形文化遺産に登録されるほど、日本人は日本料理を大事にしてきた。特に古都である京都では日本の歴史を感じる街並みが広がっており、日本料理店も多くあり、観光客が多く訪れる。
日本料理の故郷・京都には、日本料理界の頂点に君臨する名店がある。日本料理界の至宝・石原仁司が腕をふるう「未在」だ。未在は過去7年間でミシュランの3つ星を6回も獲得する偉業を成し遂げた。未在は食べログの評価も4.44という稀に見る評価の高さだ。未在が正真正銘の日本料理界の頂点であることは、誰もが認めざるをえないのだ。
今回は、1月25日(月)放送予定のNHK『プロフェッショナル 〜仕事の流儀〜』に合わせて、日本が世界に誇れる日本料理界の頂点・未在がどのような店なのか、そして店主・石原仁司が未在に込めるもてなしの心に迫っていこうと思う。
訪れる全ての人を魅了する「未在」のもてなしとは
出典:mizai.jp
所在地:京都府京都市東山区八坂鳥居前東入ル円山町620-1 円山公園内
営業時間:17:30~22:00(※18時スタートで1回転のみ。15分前来店が必須)
料金:25000円
定休日:不定期(主に水曜日)
備考:完全予約制
応仁の乱後、世の中が荒れていく中、伝統的で静かで落ち着いた美意識の高い東山文化が根付いた街・東山に店を構える未在は、2003年にオープンした。石原仁司が吉兆本店や雲仙 半水盧で料理長を務めた後、石原仁司自ら未在を開いたのだ。「未在」とは禅語で、「限りない」という意味で、修行にこれで良いという限りはないという戒めを石原仁司は心に刻んでおり、店名を未在にしたのだ。
至宝・石原仁司が手掛ける四季折々の懐石料理、未在の絶品料理とは
未在のコースは全15品からなり、日本の四季ごとに旬の食材が変わるため、ある程度内容が異なる。味だけでなく、見た目も彩があり、五感全てを堪能させてくれる。是非写真を見たいところだが、石原仁司の店・未在では、料理の写真撮影は禁止されている。これも石原仁司のこだわりであり、未在のもてなしなのだろう。
石原仁司の強いこだわりが垣間見れるのは、料理提供の仕方だ。通常の料理店では、料理を作り終えたら客に提供し、あとは自由に食べさせるが、未在は違った。まず、石原仁司が挨拶をして、茶懐石の流儀を説明するのだ。向付、飯、汁を石原仁司が客に提供すると、石原仁司の指示のもとで客は茶懐石の流儀通りに食べなくてはならないのだ。その後、様々な絶品懐石料理が提供され、美味しく頂けるという。
未在では1日1回転のみ、つまり営業開始して最初に入った客だけにコース料理を提供し、客が全て食べ終えたら営業終了するというスタイルをとっているのだ。そのため、完全予約制で営業開始15分前に客を店に集合させている。料理人・石原仁司自ら接客をし、茶懐石の流儀を教えることで、客は食事だけではない日本料理のおもてなしを満足に受けることができるのだ。
石原仁司の料理だけではない、未在の芸術的なおもてなしとは
未在は京都の中でも美しい丸山公園内に位置している。そのため、未在にたどり着くまで、草木の香りや自然から出る音を堪能し、心を落ち着けることができるのだ。
未在の外観は露地門と竹垣の簡素な造りで茶室のような一軒家であるため、あまり目立たない。こうした目立たない静かな落ち着いた和の雰囲気も未在の客に対するもてなしの形なのだ。未在のもてなしは東山文化の趣向に沿ったものであるかのように感じられ、客の満足度は高い。
未在の外観は露地門と竹垣の簡素な造りで茶室のような一軒家であるため、あまり目立たない。こうした目立たない静かな落ち着いた和の雰囲気も未在の客に対するもてなしの形なのだ。未在のもてなしは東山文化の趣向に沿ったものであるかのように感じられ、客の満足度は高い。
未在の内観は、幽趣なデザインを得意とする建築家・杉原明によって手掛けられたものだ。14席のカウンターが石原仁司を囲むように設置されている。
未在の店内には掛け軸などの日本の伝統的芸術作品が飾られている。どれも石原仁司のこだわりのものであり、料理人としての生き方に影響を与えたものもある。
未在の店内には掛け軸などの日本の伝統的芸術作品が飾られている。どれも石原仁司のこだわりのものであり、料理人としての生き方に影響を与えたものもある。
日本料理の頂点として、石原仁司のこだわりとは
氏名:石原仁司(いしはらひとし)
1952年、島根県仁多郡で生まれる
1968年、大阪高麗橋吉兆本店に入店
1972年、京都吉兆本店に移る
1979年、京都吉兆本店料理長に就任
1991年、京都吉兆本店総料理長に就任
1997年、雲仙 半水盧料理長
2003年、東山の円山公園に未在を開く
1952年、島根県仁多郡で生まれる
1968年、大阪高麗橋吉兆本店に入店
1972年、京都吉兆本店に移る
1979年、京都吉兆本店料理長に就任
1991年、京都吉兆本店総料理長に就任
1997年、雲仙 半水盧料理長
2003年、東山の円山公園に未在を開く
名店・吉兆本店の創業者で、料理業界初の文化功労章を獲得した湯木貞一に弟子入りした石原仁司は以後約30年間、吉兆本店で包丁を握った。石原仁司は湯木貞一の精神を受け継いだ伝説の天才と言われる料理人にまで成長した。そして、師であった湯木貞一がこの世を去った頃、吉兆本店を出て雲仙の旅亭「半水盧」で6年間料理長を務めた。
石原仁司は15歳という若さで吉兆に入り、歴代最年少の24歳で嵐山吉兆の料理長に就任した経歴を持つ。まさに伝説の天才なのだ。天才・石原仁司が吉兆や雲仙 半水盧から去り、未在を開いた数年後、未在がミシュラン3つ星を獲得したと聞いて驚かない料理人もいた。それだけ石原仁司の料理人としての腕は、日本一と言っても過言ではないものなのだ。
石原仁司自身の料理に関するコメントはあまり見当たらない。ミシュラン授賞式でのコメントにも、石原仁司らしいこだわりのコメントはないのだ。
しかし、石原仁司の料理に込める思い全てがこの1冊の本にまとめられている。未在を開店するまでの様々な出会いといきさつ、またこの言葉に込められた深い思いや決意を熊倉功夫との対談で語っている。その対談の内容が書かれているのだ。
本1冊の値段にしては高額であるが、ミシュラン3つ星を獲得し続けている石原仁司の料理へのこだわりを知ることは、全ての料理人にとってそれだけの価値があるのではないだろうか。
しかし、石原仁司の料理に込める思い全てがこの1冊の本にまとめられている。未在を開店するまでの様々な出会いといきさつ、またこの言葉に込められた深い思いや決意を熊倉功夫との対談で語っている。その対談の内容が書かれているのだ。
本1冊の値段にしては高額であるが、ミシュラン3つ星を獲得し続けている石原仁司の料理へのこだわりを知ることは、全ての料理人にとってそれだけの価値があるのではないだろうか。
日本には優れた日本料理店がいくつもある。特に京都は激戦区であろう。そんな激戦区の中でも頂点に立つために必要なものは何であるか、石原仁司は教えてくれる。日本料理が日本の伝統であるように、料理人も過去の日本の料理人達の精神を受け継ぐことが重要なのではないだろうか。石原仁司が過去の料理人達の精神を受け継いだため、こだわり続けることを止めないのだ。
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