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君にはお気に入りのアイドルがいるだろうか。経済産業省に勤める著者、境真良氏は『アイドル国富論』において、あるアイドル論を主張する。そのアイドル論とは、現代社会に生きる我々の経済的状況が、我々がアイドルを求める心を作り出している、というものだ。
『アイドル国富論』はアイドルが好きな君はもちろん、日本の経済状況にも敏感でいたいビジネスパーソンにも紹介したいアイドル論となっている。
『アイドル国富論』ハイライト
<要約提供:flier(フライヤー): 本の要約サイト>
本書のアイドル論は、経済的な状況から作り出された私たちの性質が、アイドルを求める結果を生んだと主張している。私たちが求めるアイドルとは何かを分析したアイドル論によって、私たちがおかれた経済状況と、その経済状況において形成された精神構造が明らかになっていく。
アイドル論の前にそもそもアイドルとは何か
出典:www.flickr.com これからアイドル論の内容を紹介していく前にそもそもアイドルとは何か、定義を確認しておこう。本書におけるアイドル論では、アイドルを若くて、歌手で、目の覚めるような美貌や声や演技力には恵まれていない、非実力派の存在と定義する。スターとアイドルを隔てるのは非実力派という一点なのである。
アイドル論は唱える。私たちがアイドルを求める理由を
では非実力派であるにも関わらず、私たちがなぜアイドルを求めてしまうのかを本書のアイドル論は分析する。アイドルの特徴は完全性である「美しさ」ではなく、守ってあげたい、支配したいという欲求を刺激する不完全性をもつ「かわいさ」にある、と本書のアイドル論は唱える。
もしこのアイドル論に異を唱えたい人がいるとすれば、劣等な異性ではなく、素晴らしい異性に挑戦すべき、という考えをもっている人なのだろうと著者は言う。本書のアイドル論ではそういう人を、優勝劣敗の原理を根幹とする、強いものに挑み困難に挑戦するという姿勢をもったマッチョだと定義する。またこのアイドル論においては同時に、その規範から逃走しようとする姿勢をもった人をヘタレと定義している。
アイドル論は唱える。ヘタレの心がアイドルを求めていると
本書のアイドル論の定義にのっとれば、ヘタレの心がアイドルを求める心だということだ。戦後の市民意識は、アイドル爛熟期ともいえた80年代まではマッチョ主義を公式規範としながらも、実態はヘタレていっていたのだと本書のアイドル論は分析する。
それは60年代に全盛期を迎えた日本型資本主義の矛盾が、60年代終わりには露呈していたからだと本書のアイドル論は説明する。頑張ることで幸せになれるという競争主義を、日本型資本主義は推奨していった。しかし労働市場の飽和、人々の承認欲求の重視によって、誰もが幸せになれるというテーゼの不可能性が見えてきていたと本書のアイドル論は当時を分析する。
将来に大きな夢を抱けなくなり、マッチョ主義の体現が難しくなった人々は、自らの主体を実行できる行為として消費に走る。そしてアイドルは、私たちが消費者の主体的選択者としての誇りを感じさせてくれる存在として現れ、ヘタレのためのものとなったと本書のアイドル論はとなえているのだ。
80年代になるとバブル経済の好景気を迎え、実力主義が台頭する。80年代末には消費のモードもホンモノ志向へと変化し、不完全なアイドルの価値は低下、アーティストという実力派が評価されるようになる。「アイドル冬の時代」が経済状況と連動して訪れたと本書のアイドル論は分析する。
アイドル論が分析する現代のアイドル現象
出典:www.flickr.com このように経済状況とその状況から形成された私たちの心が、アイドルの興隆と連動していることが本書のアイドル論によって明らかにされた。では本書のアイドル論は現代のアイドル現象をどう分析しているのだろうか。
本書のアイドル論は、優勝劣敗の原理を根幹にした現代のグローバル市場主義から形成された私たちの心が、アイドルを求めることになるのだという仮説を立てている。市場主義の宿命を受け入れる程度のマッチョさを持ちつつも、グローバルエリートを目指しはしないヘタレを本書のアイドル論はヘタレマッチョと命名する。そして現代アイドルの信奉者はそのヘタレマッチョたちなのだと本書のアイドル論は唱えているのだ。
AKB48は、総選挙という市場経済の縮図においてファンと一緒に闘い、ももいろクローバーZは、圧倒的なキャラ性を武器にファンを全身全霊で鼓舞する。そして当代モーニング娘は、一つのことを極める素晴らしさをファンに伝えてくれていると本書のアイドル論は分析している。
アイドルの社会的役割を説くアイドル論
本書のアイドル論はさらに一歩踏み込んだ分析をする。実は日本は、格別所得格差が小さい国ではない。しかし日本で社会集団対立意識が極めて小さいのは、所得格差が被支配感につながらないようにマッチョ化からあぶれたヘタレのケアがなされているからではないかと本書のアイドル論では考えられている。そして本書のアイドル論では、そのケアの役割を担っているのが、まさにアイドルだと唱えているのである。
現代アイドルはマッチョな文化メカニズムでは救えない多くのヘタレたちを励まし、マッチョとヘタレを融和する役割を担っていると本書のアイドル論は結論する。精一杯頑張る現代アイドルたちはヘタレとマッチョの共通のアイコンとなり得るからだ。
経済産業省に勤めつつ、エンターテイメント産業の研究者でもある著者が唱えたアイドル論を紹介した。アイドルを求める心が私たちのおかれた経済状況に関係しているというアイドル論の視点は、日本の経済状況を把握しつつビジネスを動かしていくビジネスパーソンンにとっても興味深いものだろう。
本書のアイドル論は、現代日本の経済状況が作り出した私たちの精神構造がアイドルによって救われていると唱えている。そう考えるとアイドルがいっそう輝いてみえてくる気もする。経済状況と連動させたアイドル論でありながら、一風変わった視点からアイドルの魅力を語ったアイドル論といえるかもしれない。
本書のアイドル論ではより詳しくアイドルの歴史が経済の流れと連動した形で分析されている。アイドルが大好きなヘタレマッチョな君はもちろん、グローバル市場で一流のビジネスエリートを目指すマッチョな君も知っておいて損のないアイドル論となっているので、ぜひ本書を一読してほしい。
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