勝海舟は幕末から明治維新までを生き抜いた武士であり、政治家である。勝海舟の功績の中で最も有名なのは、西郷隆盛との会談で江戸城の無血開城を実現させたことだろう。
倒幕の大きな流れの中、薩摩藩と長州藩による江戸の攻め落としで江戸に住む多くの人命が損なわれること、外国からの圧力が高まる中で日本国内で争うことで日本としての国力が損なわれることを危惧し、勝海舟は幕府側の人間でありながら、江戸を新政府に明け渡したのだった。
勝海舟は幕末において、新しい明治という時代を創造した大人物だといえる。勝海舟は幕府側の人間として幕府の利だけを考えなかった。自分の置かれた場所から見える小さなことにこだわらず、その先の大きな海、これから日本という国がどうすればよくなるかということを考えて行動したのである。
私たちはともすれば、目の前の小さなことにとらわれてすぐにくよくよしたり、立ち止まったりしがちである。しかし大きなことを成していくには、先の先を広く見渡していく心構えが必要だ。
激動の時代の中で世の中の流れを常に広々と見渡していた勝海舟の名言から、その心構えを学ぼう。ここで勝海舟がどのような心構えをもって世の中を広く見渡していたかが伝わってくる名言を紹介していく。
広々と世の中を見渡す:勝海舟の名言
勝海舟の名言:今おかれている環境にとらわれるな
by naitokz 勝海舟は学問においては蘭学の塾を開けるほどに、武術においては免許皆伝と文武両道に修行に励んだ。勝海舟はもともと下級武士の出であったが、ペリーが来航し幕府が混乱する中、海防に関する意見書を出したことで幕府に取り立てられることになったのである。
身分制度の拘束の強かった江戸時代に自らの努力によって運をつかんだ勝海舟。自分の生まれにとらわれないその大きな心構えが伝わる名言を紹介しよう。
勝海舟の実家の曾祖父ももともとは貧しい農家に生まれた盲人であった。しかし、盲人であることをうまく生かし(盲人は高利貸しを営むことを許されていた)江戸に出て、高利貸しとして大成した人物である。
勝海舟は身分制度の拘束の強い江戸時代においても、自分の努力次第で自分の価値を高めていくことができると知っていた。そして勝海舟は実際に努力をすることで自分の価値を高めていったのである。これらの名言からはその気概が伝わってくる。
勝海舟の名言:いいときもあれば悪いときもある
これらの名言は、勝海舟が人生の浮き沈みを表した言葉である。勝海舟の人生はまさに浮き沈みの繰り返しであった。勝海舟は幼少期に一度、徳川家斉の孫、慶昌の遊び相手として江戸城に召されていた。そして家臣として出世することが期待されていたが、
慶昌が早くに亡くなってしまい、その道は断たれた。
それから勝海舟は自分の力で幕府に取り立てられることになり、活躍をしていくが、その先を見据えた大胆な行動や発言から、人々の反感を買うことも多く、大事な役に取り立てられてては罷免されるという繰り返しの人生でもあった。
まさに人生の光と闇を体験した勝海舟だからこその名言である。そしてこれら勝海舟の名言は、その闇のときに何をするかが重要なのだということを教えてくれる。
人生に浮き沈みはつきものだ。その沈んでいるときに無理に上がろうとする必要はない。腐ることもない。光とのきはまたやってくる。そのときに向けて、自分の価値を高めるために今できる努力をきちんとすることが大事なのだと勝海舟の名言は教えてくれるのである。
勝海舟の名言:他人の評価に惑わされるな
福沢諭吉は『瘠我慢の説』という勝海舟を批判する書状を出した。勝海舟は最初、その批判を無視していたが、福沢諭吉に返事を催促され、この名言を残した。この名言は福沢諭吉の批判状に対する勝海舟の返事である。
勝海舟はアメリカ合衆国へ派遣されるという大役を果たすため、咸臨丸という船に乗り込んだ。そのとき共に乗船していた福沢諭吉と色々な点でウマが合わず、不仲になってしまったという。
福沢諭吉は勝海舟に対してよっぽど思うところがあったのか、批判状を出すまでのことをした。当時でも福沢諭吉の言動は既に注目されていて、その批判は大きく取り上げられた。明治の著名なジャーナリスト徳富蘇峰が勝海舟を擁護する意見を出すなど、世間が騒ぐ中、勝海舟自身が口にしたのはこの名言である。
どんなときも自分で自分の価値をつくっていけばいい。他人の評価に惑わされることはない。天下の福沢諭吉の批判すら、勝海舟の大きな心構えの前では一蹴されたのである。
勝海舟の名言:無我の境地でとりかかれ
これらの名言は勝海舟がその大きな仕事を果たしていったときの心構えを表している。私欲にとらわれることなく、あれこれ細工を施すのではなく、何事に対してもただひたすらに無我夢中で取り組んだ勝海舟の姿が浮かぶ名言である。
無我の境地から世の中を眺めることで勝海舟は時代の流れの大局を見渡すことができたのではないだろうか。大きな仕事を成していくのには、私欲にとらわれず、無我の境地で取り組むことが必要なことなのかもしれないと思わせる名言である。
勝海舟の名言:心を強くもて
by hans-johnson 勝海舟がなぜこんなに肝を据えて大局をつかみ、大きな仕事を成功させていったか。それは彼が心を強くもっていたからである。勝海舟の肝の座った名言を紹介する。
幕末から明治にかけて、時代が激動した。その渦の中で自分を信じて努力を続けるには強い心が必要だったのだろう。
勝海舟は生死さえ度外視する心構えでいた。実際に幕末に生きる志士にはその生死が問われた場面も少なくないはずで、勝海舟のこの名言には言葉だけではない重みがある。生死を度外視する決心をもった強い精神力で時代を駆け抜けていったのだろう。
以上の名言から激動の時代の中、広々と世の中を見渡すことのできた男の大きな心構えが伝わってきたのではないだろうか。現代に生きる私たちには生死をかけて戦う場面はそんなにない。それでも大きな困難に立ち向かわなければいけないときがある。そんなとき、これらの名言を思い出してほしい。きっと励みになるはずである。
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