今日も世界中に散らばるグローバルリーダーが世界を動かしている。その中でも、アメリカは多くの優秀なリーダーを生み出している。一方で、日本のリーダーといえば、謝罪会見で頭を下げている映像が報道機関を通して、私達の目に映っていることが多いだろう。アメリカのリーダーと日本のリーダーを比べると、どうしたって日本のリーダーが世界的な影響力、実績からして劣っているのは明らかである。
まずアメリカには、エリート育成システムという教育システムが存在している。一方、日本には、そのようなエリートを育成するための教育システムというものは存在しない。この違いが、日本とアメリカの生み出すリーダーの差なのではないだろうか。
そこで今回は、佐々木 紀彦氏の『米国製エリートは本当にすごいのか?』から、アメリカのエリートを教育するシステムを知り、今後の日本の教育がどうしたらエリートをより多く生み出すことができるようになるのか考えていこう。
アメリカのエリート大学の重要性
日本がアメリカに学ぶべき所は多い。まず、アメリカの教育の最大の強みは平均点以上の知的エリートを教育することである。つまり、一つの大学の全学生の平均的な知能が日本より断然高いのだ。その最大の理由が、アウトプットとインプットの量が膨大だからである。アメリカのエリート学生は、読書やレポートやプレゼンテーションといった課題が、毎日のように課される。そんな過酷な環境であれば、逃げ出したくなるが、アメリカの大学には娯楽がない。だから、日本の修行僧のように学問に取り組むことができるのだ。
日本も学歴社会であるため、エリート学生が評価される社会だと思っている人も少なくないだろう。しかし、アメリカは日本以上に過酷な学歴社会なのだ。アメリカの大企業の上層部もエリート教育を受けた正真正銘のエリートばかりである。アメリカでは、学者になるわけでもないのに、大学院に進学するのはザラである。それだけ学歴が重要なのだ。
アメリカのエリート企業に入るためには、より優れた学歴を残すことで、自分がエリートであることを示さなければならない。学歴を残すことで、勝負の土俵に立てたり、視野が広がったりもするが、何よりコネ作りをすることができる。アメリカ社会では大学閥が貴重で、卒業生で構成されたエリートネットワークに入れるかがカギとなるのだ。
アメリカのエリートがエリートたる所以
アメリカで最も学ぶべき学問とされるのは経済学である。アメリカの国民性である個人主義や自己責任といった考え方から、経済学を学ぶことが人生をより良い方向へ向ける近道とされている。実際、アメリカに存在する様々なエリートの中でも、経済エリートは最も強力だ。財力があれば、名誉も権利も買うことができる社会であるからだ。まさに、エリートの中のエリートの特権である。
アメリカはよく歴史が浅い国と呼ばれるが、その短い歴史との向き合い方が日本とは違うのだ。アメリカでは、歴史教育が重要視されている。なぜなら、歴史教育によって、今を理解したり、戦略を構築したり、未来を予測したりできるからだ。また、アメリカのエリートは自らの成功や失敗を歴史として後世に残し、次世代をエリート教育しようとする。そのような考え方から、歴史を教材としたエリート教育がシステムとして機能しているのだ。
また、アメリカは国家としてもエリート教育に力を入れていることが、教育関連予算の額からうかがえる。実に、日本の50倍超の予算がエリート教育にかけられている。そのため、エリートが少なく、多分野に精通したゼネラリストが少ないことから、視野の狭い戦略しか日本は打つことができない。今一度、日本は未来のことも視野に入れた教育システムの見直しが必要なのではないだろうか。
日本のエリートの未来
まず、日本がよりエリートを生み出すために必要なのは、インプットとアウトプットの質と量の改善である。インプットとしては、内容の深い本を読みこんで、体系的な知識を得ることである。アウトプットについては、個人個人のアイデアや意見をもっと衝突させ合うことが重要だ。しかし、日本人は相手を批判する議論を好まない。相手の批判を自分のアウトプットを洗練させるアドバイスとして、活かすことが求められる。
これからのエリートは、日本のエリートだけでなく、世界中のエリートがグローバル化に伴って、世界へ飛び出していくだろう。しかし、だからといって自国と無関係ではない。自国がよりエリートを生み出す教育がなされていれば、世界へ飛び出していく不安は減っていくのだ。そのため、日本のエリートが増えるためにも、教育システムを見直さなければならないのだ。
日本の教育がいかに遅れてしまっているのか、感じることができただろうか。アメリカのエリート教育を模倣するべきだというわけではない。日本には日本の歴史があり、アメリカにはアメリカの歴史がある。それぞれが持つ歴史から生まれる考え方を改めて再認識し、これからどう教育していけば、エリートが増えるのかを考えることが重要なのだ。
日本はエリートという言葉を皮肉や嫉妬を込めて使うことが多い。愛国心を持って、国のために率先して、エリートを増やそうとするアメリカのエリートの姿勢について、考えてみることから始めてみてはいかがだろうか。
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