NHKの番組プロデューサーとして『英語でしゃべらナイト』『爆問学問』をはじめ数々の人気番組を手がけ、最近でも『ニッポンのジレンマ』『ニッポン戦後サブカルチャー史』などを立ち上げた丸山俊一氏。
そしてCMプランナー・コピーライターとしてサントリーBOSS『宇宙人ジョーンズ』をはじめ、1000本以上のテレビCMの企画・制作を手がけてきた福里真一氏をお呼びして、ヒットを生み出す仕事術について語っていただいた。
「ふつうこうでしょ」からズラしたものをつくる
————丸山さんは『すべての仕事は「肯定」から始まる』、福里さんは『電信柱の陰から見てるタイプの企画術』と、お二人とも仕事の仕方をテーマにした著書を上梓されていらっしゃいます。お互いの著書を読んでみて、どんなところがお二人に共通していると思いますか。
福里 僕が丸山さんと共通しているかもしれないと思ったのは、「テレビというと、ふつうこういう感じでしょ」というものとは、ちょっと違ったものをつくろうとしている点かなと思ったんです。ふつうからは少しズラしたい感じというか。
たとえば最近、「テレビは全然観ません」とか「テレビは苦手です」いかいう人が増えているとして、そういう人たちが、「テレビ」という時にイメージしているものって、番組でいうと、ズラリとお笑い芸人さんが並んでいて、ちょっとわざとらしく盛りあがっているようなバラエティ番組だったり、CMでいうと、人気タレントさんが出てきて明るくにっこり商品をおすすめする、みたいなものだったりすると思うんです。
なんか、「テレビ」といった時の、テレビ全体のイメージが、そんな感じになっている気がする。で、僕も丸山さんも、それぞれCMと番組で、そういうものからはちょっとズレたものをつくりたいと思っているんじゃないかと。
丸山 たしかにそうですね。僕も番組をつくっている以上、「昔はよかったけど、今はダメだ」と視聴者に思われないように、何らかのかたちで戦ってはいると思います。枠組みのほうから先に、「テレビってこういうものだ」となっていってしまうことへの抵抗感は僕にもあって、あらゆる番組がジャンル分けされているなかで、こぼれ落ちてしまっているものを探そう、その隙間みたいなところでノビノビした可能性を見つけたいという気持ちはいつもありますね。
昨年、今年と『ニッポン戦後サブカルチャー史』というシリーズをやっていますが、まさにサブカルチャーというのは、ズレであり、こぼれ落ちているものだと思うんです。何かジャンルが確立して、「これはバラエティだから最初から笑ってください」、「これはドキュメンタリーだから最初から真面目に感動してください」みたいなことになってしまったときに、「その隙間になんかないのかな」、「人間ってもっと笑ったり泣いたりどっちもするでしょ」、というのを考える性格なので、結果的にすでにあるジャンルから無意識にズラそうとしていることはよくあるかもしれません。
福里 僕が企画しているBOSSのCMも、もう10年も続いているのでみなさん慣れてしまっているでしょうけど、けっこうズレているのかもしれないんですよね。ふつうCMってもっと明るかったり楽しげだったりするじゃないですか。あんなに暗い感じで、「この惑星の住人は……」なんてボソボソしたナレーションがついているCMって実は珍しい。
ふつうは地味すぎてヒットもしないようなもので、事実、シリーズがはじまった当初は全然ヒットしなかったのですが、やっているうちにだんだん話題になり、世の中に受け入れられるようになっていった。
そういう意味では、ちょっとズレたものが受け入れられる土壌もあるんだなと思います。
きちんと基本はおさえた上で、ズラす
————そのズラしたものをつくる上で、コツのようなものはありますか?
福里 CMに関していえば、当然商品のことを伝えるということが真ん中にあります。
CMによっては、まず表現がすごくて、そこに商品がくっついて伝えられることで、商品も魅力的に輝くみたいなものもあるんですが、僕はわりと商品を真ん中に置いて発想したいと思うタイプです。
BOSSでいうと、宇宙人が出てくるので一見表現主導のCMに見えますが、実は基本はしっかりおさえてるんです。コーヒーはちょっとカラダを動かして働いた人が、気分転換や元気を出すために飲むものなので、そこはちゃんと描いている。宇宙人ジョーンズが、地球調査をするためにいろんな職業を転々として、毎回、働いた後に、BOSSを飲む。そういう基本はおさえながら、CMを目立たせるための表現の工夫として、宇宙人という設定にしているんです。
最近の仕事でいうと、「バカまじめ」というキャッチフレーズで、松本人志さんに配達員を演じていただいているゆうパックのCMがあるのですが、これも、郵便局の配達員がまじめに荷物を配達する、という基本のところは一切ズラしていない。で、「バカまじめ」というワードだったり、松本さんをキャスティングすることで表現だけをちょっとズラしているわけです。
丸山 たしかに、そういった思考、感覚は僕も福里さんと共通しているところかもしれません。あえてエキセントリックなことをしなくても、そのことを真面目に掘って考えていった方が、気づいたら変な出口にたどり着くこともあって。過剰に考えたことによるズレで、バラエティなのにいつの間にか真剣に議論になってしまう。
また、ドキュメンタリーで誠実に対象を追いかけていく過程で、皆真面目で真剣なのにそれゆえに笑うしかないような状況に遭遇したり。ジャンルの中で最初は考えはじめるんですけど、それを徹底して考えていく過程で図らずもズレていくみたいな感じは大好きですね。
————ズラすことを通して自分の色を出す、といった意味合いもあるんでしょうか?
福里 僕は、自分の色を出す、ということは意識しないようにしているんです。もちろん自分の色を出そうとしてうまくいっている人もたくさんいるんですよ。むしろ僕の周りでも、優秀な人ほど自分の世界をもっていて、バンと自分を出している人が多い。そういう人たちのつくったCMというのは、僕なんかは業界長いですので、テレビで見ただけで誰がつくったのかわかるんです。
ただ、たまたま僕はそういうタイプじゃなかったんですよね。作風もバラバラで、たとえば、「宇宙人ジョーンズ」とトヨタの「こども店長」って、同じ人間がつくったとは思えないですよね。最初は僕も、自分らしさみたいなことを意識して、“自分のような暗い性格の人間にしかつくれないような暗いCMをつくってやるぞ”とか思っていたんですが、当然のことながら、全然うまくいかず……(笑)。
その後は、先ほども言ったように、あくまでも商品を真ん中に置いて考えるようにしています。そうするようになってから、なんとなく仕事もうまくいきはじめた。で、そこからのズラし方には確かにどこかで自分らしさは出ているのかもしれませんが、あくまでも結果的にであって、まったく意識はしていないんです。
偶発的なハプニングもプラスにもっていく
丸山 僕はディレクターの頃から、どちらかと言えば、自分はプロデューサータイプだろうなとは思っていました。ロケにいけばディレクターとして勿論一生懸命やるんですけど、ただ番組がどんな風に見てもらえるのか、どんな広がりを持つのか、というその番組の枠組みもいつも考えながらやっていました。
それは、日頃の状況に対する思考の柔軟性などの話とも関わっています。たとえば、ロケの期間や予算が限られた条件内で番組をつくっていかなければならない中で、もし天候が雨だったなら、雨なりの撮り方があるし、雨もプラスになるような見せ方を考えよう、というタイプだったんです。もともと撮影で和食の設定で撮る予定が、間違って洋食が準備されていたとします。どうしても和食が来るまで待つというのではなく、それならそれで何かいい見せ方があるんじゃないか、という考え方をするような発想法です。そういった考え方自体がプロデューサー的だと思うんです。
思い通りにいかないすべての状況を受け止めながら、それならそれで逆手にとれるんじゃないか? 偶発的なハプニングもプラスに使っていった方が「豊か」なんじゃないかと考える性格です(笑)。
福里 テレビ番組ってそこがうらやましいんですよね。結局リアルとかドキュメンタリーが一番面白かったりするじゃないですか。ですが、そういうものって、ある程度秒数がないと面白くならないんです。CMは、15秒とか30秒が中心で、秒数が短いですからね。僕もCMで、何度かドキュメンタリー風に挑戦したんですが、短いと編集が入るのでどうしてもリアルに見えない。それに、CMの目的は結局は商品を買ってもらうことですから、そういう点でも本当のリアルにはならないんですね。目的があることが最初からバレている。
ただ、なるべくドキュメンタリー的な要素をCMに取り入れる努力はしています。たとえば、現場でギリギリまで新しいセリフを考えて、その場でその人が言ってみたら面白い、みたいなものをすくい取ろうとしてみたり。
樹木希林さんには、富士フイルムやトヨタのCMに何度も出演していただいているんですが、あの方はアドリブで、すごい一言を繰り出すんです。恐るべき現場力を持っていらっしゃる(笑)。僕らプランナーからすると、「負けたー」みたいなことになるんですけど、そういった現場で生じるものはなるべくCMでも取り込もうとしていますね。
ところで、丸山さんの番組って、意識的に、“演出している感”を出さないようにしていますよね?
丸山 たしかに、カチッとつくり込むよりは、やっている人たちが楽しんでそれが気分としていつの間にか溢れていくほうがテレビ的じゃないかなと思っています。どんなに真面目な議論をしていても、最後は議論の背後にあるその方の人間性みたいなものがにじみ出てくるほうが説得力もあるんじゃないですかね。
テレビである以上は、表情も含めてすべての映像も音声も情報になります。同じ「ええ、そうですね」という言い方ひとつの中にも、そこに醸し出された何かがあると思うんです。やっぱりトータルに伝わることが大事だと思いますね。だからその意味では全て人間ドキュメントだという言い方もできると思うんですよ。討論であり、ドキュメンタリーであり、ドラマでもあっても。そういったところで視聴者も見ていると思いますし。
たとえば、実際多くの視聴者の方々が、話の本筋より、出演者の方の姿を見て、「あの人ネクタイ曲がってるわね」なんて言っているわけですし。たぶん視聴者は人間そのものを見ているのだと思うんです。その方が楽しいと思いますし。もちろん本筋の流れもしっかり見てほしいですけど(笑)。いつも言葉や人間も含めてトータルに考えるようにはしていますね。
福里 丸山さんのスタンスは大きくいうと、「場」の提供、という感じですよね。なんか面白いことが起こりそうな「場」を思いついて、それを出演者たちに提供し、そこで起こったことをそのまま提示する、みたいな感じがします。
丸山 やっぱりテレビって「いろんな人が世の中にいるよね」という多様性を楽しむものだと思うんです。だから僕らの仕事としては「場」を用意して、あとは見ている方にご判断いただいたり、ほんのちょっとでも考えるヒントになったりしたらいいなと思います。
後編:
Interview/Text: 田尻亨太
Photo: 森弘克彦
Photo: 森弘克彦
記事提供:Qreators.jp[クリエーターズ]
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