「透明マント」は、SF世界の話だと思うだろうか? 実は、21世紀・現代における科学技術の発展によって、この透明マントが夢物語ではなくなってきているのだ。
透明マントの発想の歴史
透明マントの発想は、人類の歴史において、かなり古くからある。ギリシャ神話に登場する「ハデスの兜」は、かぶることで透明になれるアイテムとして有名だ。日本昔話に登場する「天狗の隠れ蓑」は、まさに透明マントそのものである。
18世紀から19世紀にかけて活躍したSF作家ハーバート・ジョージ・ウェルズの『透明人間』においては、透明マントの科学的な原理まで言及されている。しかも、その原理は、偶然にも、現在の透明マントの実現方法にかなり近いものとなっている。
透明マントを求めて
透明マントがどのように科学者の研究、開発の対象となっていったのか。そして、どのような発展を経て、透明マントの実現化にたどり着こうとしているのか。『透明のマントを求めて』から、その科学者たちの挑戦の過程をここで少し紹介しよう。
科学者の挑戦『透明マントを求めて』
科学者の挑戦『透明マントを求めて』:レーダーに映らない戦闘機
出典:www.flickr.com 透明マントの開発が最初に行われたのは、軍需産業においてだった。透明マントの発想が文学の世界でも、戦いの場面で多く登場したように、現実世界においても、透明マントを羽織ったかのように、まるで存在が消えたかのように見える技術に対してのニーズが高まった。それは、東西冷戦における科学技術戦争の中でだった。
アメリカ合衆国のロッキード社は、レーダーの画面上においては、まるで透明マントを羽織ったかのように、存在を消すことができる戦闘機、ステルス機を開発した。レーダーに映らないよう電波を反射するが、送り手とは別の方向にそらす機体の形状を考えることで、透明マントを羽織ったかのように振る舞えるステルス機を作り出したのだ。
戦争が科学技術の進歩をもたらし、現在の透明マントに大きく資することになった理論を生んだのである。
科学者の挑戦『透明マントを求めて』:負の屈折率をもつ物質のアイデア
科学技術に対する盛り上がりの中で、ソ連科学アカデミーのヴィクトル・ベセラゴが「負の屈折率を持つ物質の特性」という論文を1967年に発表した。ヴィクトル・ベセラゴが提唱したのは、 負の屈折率を示す物質があれば透明マントは実現しうるという考えである。
ステルス機がレーダーの反射を本来の位置からそらしたように、負の屈折率を持つ物質は、光の進む方向を本来進むべき方向からそらすことで、透明マントのように「ものを消えたようにみせる」ことができるという考えだ。
この論文から着想を得たのが透明マントの素材、メタマテリアルになる。
科学者の挑戦『透明マントを求めて』:メタマテリアルの開発
出典:www.flickr.com 負の屈折率をもつ物質を作り出すことは、どう考えても不可能だった。論文が発表された当初、この画期的なアイデアは世間では顧みられなかった。しかし、諦めない科学技術者たちがいたのである。
イギリスの研究者ジョン・ペンドリーは、一つひとつが負の屈折率を持つ原子・分子の集まりを考えるのではなく、全体として負の屈折率を持つようなミクロの構造体をつくることを考えたのである。
この原理をもとにして、ヴィクトル・ベセラゴの論文から約40年、21世紀に、ついにメタマテリアルができあがったのだ。
ジョン・ペンドリーと共同研究者のデイヴィッド・スミスの考案したメタマテリアルは、 可視光線より小さい波長の電磁波においてのみ機能する透明マントだった。 しかし、2008年、カリフォルニア大学のシャン・ジャン教授が開発した方法で、可視光線でも機能するメタマテリアル、透明マントをつくることが可能になった。
現段階では、人間の大きさを透明化する透明マントを作ることはまだ難しいとされているが、その実現化が期待されている。
透明マントを求めて、長い間試行錯誤が繰り返されてきた。透明マントの発想が生まれた時代、それはただの夢物語だった。しかし、その実現化に向けて、常識にとらわれない思考を続け、それをつないできた人々によって、その透明マントという夢物語は実現化するまで、もうあと一歩のところにきている。
透明マントの実現化は、努力を続ければ、夢物語が夢物語で終わらないことを教えてくれる。
『透明マントを求めて』を読めば、透明マントの実現化までの科学者たちの挑戦をリアルに感じることができる。ぜひ手に取ってみてほしい。
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