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中村天風(1876年7月30日〜1968年12月1日)は日本人の思想家、実業家であるとともに、日本初のヨーガ行者である。今ではメジャーなリラクゼーションスポーツとなったヨーガを、日本に初めて持ち帰った人物である。そんな中村天風は、波乱万丈という言葉がぴったりな人生を送った。今回はそんな軌跡の一部と、数多の名言の中から厳選した名言を5つ紹介しよう。
その前に、ヨガとヨーガの違いについて簡単に説明しておきたい。現代日本でよく見かける“ヨガ”という言葉と、“ヨーガ”は同義語である。つまり、全く同じ意味であるということだ。インドの古代語であるサンスクリット語の『ヨーガ』が本来の発音である。しかし、現代日本においては「どちらも同じ意味である」ということを、頭の片隅に置いておくと豆知識としても使えるだろう。
中村天風の名言:ネガティブな言葉を思い浮かべる時間は、もったいない
名言 #1
中村天風は幼少期、近所に住んでいた英国人から英語を学び、修猷館中学(現・修猷館高校)では英語で授業を行っていたため、語学堪能。そして、柔道部ではエースとして活躍するなど、言葉通り“文武両道“の名に恥じない男であった。しかし、ある日練習試合で惨敗した生徒からの闇討ちを受け、中村天風はその生徒を刺殺してしまった。正当防衛は認められたものの、中村天風は退学を余儀なくされた。
殺されかけ、正当防衛で仕方がなく刺殺した中村天風にとって、退学という言葉はどれほど理不尽に感じただろうか。そんな経験をしていながらも、中村天風は上記の名言を残した。いや、そんな経験をしたからこそ生まれた名言なのだ。
当時、中村天風は悔しさに枕を濡らしたかもしれない。しかし、『憎悪を抱き続けることや不平を叫ぶことに、メリットなどないのだ』と、我々にこの言葉を残したのではないだろうか。理不尽を目の前に立ち尽くしていられるほど、人生は長くない。次の一歩を踏み出すためには、ネガティブな感情は捨てるべきなのだ。事実、中村天風はその後様々な困難を乗り越えるという人生を送った。
中村天風の名言:幸福を得たければ、自分を磨くしかない
名言 #2
1904年3月21日、中村天風はコサック兵士(騎乗集団)に囚われ、銃殺刑に処される寸前のところで部下に救出され、九死に一生を得た。上記の中村天風の名言で言われている”幸福”という言葉は、この時の「部下」に当てはまるのだろう。
部下が助けに来なければ、中村天風はこの時目を閉じ、永遠に開けることはなかったのだ。数多の名言もこの世に存在しなかっただろう。この部下にとって、中村天風は助けるに価する存在であった。単純である。助けたい“恩”や“感謝”があったのだろう。現代社会で考えてみると意外と難しい。あなたは最近、他人から心の底からの感謝を受けただろうか? 仕事に追われ、自分中心になってはいないだろうか?
“幸福は向こうからやってくる”という言葉は、様々な捉え方ができる。他人から与えられる幸福や、悟りを得て自分自身で感じる幸福など。幸福の感じ方は十人十色であるから、難しいのだ。だからこそ、自身を磨くしかないのである。まず、人から感謝されることから始めてみるといい。「ありがとう」という言葉が返ってこなくても、行動した事実を実感するうちに人として磨かれていくはずである。
中村天風の名言:自分にしかわからない、心の言葉に耳を
出典: Amazon.co.jp名言 #3
中村天風は戦後、帝国陸軍で高等通官として勤めていたが、肺結核を発症。体はもちろん、心まで病気に蝕まれていたとき、作家オリソン・スウェットマーデンの『如何にして希望を達し得るか』という一冊を読み、ひどく感銘を受けたという。そして病気で弱くなった心を強くするために、アメリカへと渡ったのだ。
中村天風の名言は全て心に刺さるが、この名言は自殺大国である日本にこそ必要であろう。体の健康と心の健康は同じようで、全くの別物だ。
息が詰まってきたら一度立ち止まり、心の言葉を聞こう。働いていて理不尽なことがあっても、心を悩ます必要はないのである。解決策を考え、行動し、それでもどうにもならないことは、悩んでも解決しないのだ。どうにもならないことで心を悩まし、不健康にしてしまうのは生産的とは言えない。忙しさで体も心も不健康になる前に、中村天風からの言葉を時々、思い出すことを勧める。
中村天風の名言:失敗はどんな偉人でも通る道
名言 #4
病気で弱くなった心を鍛えるためにアメリカを目指す中村天風だったが、結核患者には渡航許可が下りなかった。本来ならば苦虫を噛み潰しながら諦めるところ、なんと中村天風は親交のあった親類になりすまして、アメリカへの密航を決行したのだ。
この中村天風の行動には、言葉を失ったであろう。常識を完全に無視しての奇行だが、そこまでの熱意は見習いたい点である。目的のためなら手段を選ばずやり遂げてしまう行動力は、今後の日本を担っていく我々に必要な要素だ。
上記の名言で、中村天風は「やる前から怖がらず、とりあえずやれ!」と言っているのだ。この言葉に従ってみよう。失敗を恐れ、型にはまっているばかりで、人生に満足ができるだろうか? 失敗は年月が経てば笑い話にもなる。そして、自分だけの人生の教科書にもなるのだ。足がすくむプレッシャーに襲われた時、この名言を自分の言葉として口にするべきだ。失敗をして学び、それを楽しむのが、かっこいいビジネスマンである。
中村天風の名言:いい出会いを引き寄せるために必要なこと
名言 #5
アメリカに密航した後、中村天風は、哲学者のカーリントン博士、ヨーロッパではH・アデントン・ブリュース博士、フランスでは女優のサラ・ベルナール、そして、ドイツでは自然哲学者のハンス・ドリーシュ。数多の著名人との面会を果たしたのだ。
しかし、中村天風はこれほど沢山の著名人と言葉を交わしても、納得のいく答えが見つからなかったという。その後、中村天風は1911年5月25日、ヨーガの聖人であるカリアッパ師と出会い、弟子入りを果たした。そして2年半の修行を通して結核はすっかり治り、さらに悟りを得るに至ったのだ。そうして、数多の名言が生み出された。
驚くことに、中村天風は数多の著名人と言葉を交わしただけでなく、女優サラ・ベルナールの家に居候していた期間もあったのだ。この事実から、中村天風は好かれる人間だったのだということが推測できる。それをサラ・ベルナールが証明してくれている。自宅に嫌いな人間を居候させる人など、いないだろう。上記の名言は、なにも「全ての人に好かれろ」と言っているのではない。中村天風は病気で弱くなった心を強くするために、旅をしたのだ。そして、その旅に“人に好かれる人間性”が必要不可欠なことに、気がついたのだろう。
人に好かれるには、言葉を交わさないことには始まらない。最も近道なのが、感謝されることだ。相手がどんな言葉や意見を欲しがっているか、察する努力は必要不可欠だろう。そして、なにより人が好むのは、人生を楽しもうと、努力している人間なのだ。
現在、ヨガが日本で愛されるに至るまでには、この他にも沢山のドラマがあっただろう。そして、その壮絶なドラマから生まれた言葉には、力がある。その言葉を真摯に受け取り、生活の中に取り入れてみることで、あなたの人生は大きく動くはずだ。
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