世界中に愛されるゲーム会社、任天堂。その歴史は、1889年(明治22年)にまで遡る。山内房治郎が、京都市下京区にて花札の製造を開始した後、日本初のプラスチック製トランプの製造に成功、量産を始めた。1989年になると、ゲームボーイを発売、最近ではニンテンドー3DSを発売した。
京都の花札屋が、なぜ世界中に愛されるゲーム会社にまで成長したのか。なぜ、開発競争の激しいゲームの世界を生き残ることができたのか。本書『任天堂 “驚き”を生む方程式』では、任天堂が任天堂らしく生き残ることができた理由を解説している。今回は、生き残る企業の秘訣について、かいつまんでお話ししたい。
生き残る企業の秘訣その1:「らしさ」を守る任天堂
任天堂という企業は、コンパクトである。なぜなら、任天堂元社長の岩田氏は「任天堂がやることは、任天堂が一番強みを発揮出来る部分に絞るべきだ」と考えていたからである。
この考え方を前提とすると、やることとやらないことを上手に分けることができ、事業の取捨選択が簡単だ。だからこそ、任天堂は得意分野であるビデオゲームという競争力の源泉に集中し、コア以外の部分はよその力を借りるのだ。
ゲームの領域でも、ゲーム機の製造工程すらコア以外と見なすのだ。ソフトの開発にリソースを振ることに専念する「選択と集中のお手本」のような存在である。事業領域を無駄に拡大しないのは、得意分野の「娯楽」に徹したいからなのだ。
生き残る企業の秘訣その2:笑顔創造企業であり続ける
任天堂の目的とは何か。岩田元社長は「あくまでお客さんに喜んでもらうこと。我々が作ったものでお客さんにニコニコしてもらうこと。」と述べている。
笑顔は連鎖する。ゲームが面白いとニコニコし、ニコニコしてくれるお客さんがいることが嬉しい社員もニコニコする。結果として商品が売れ、取引先の人もニコニコする。業績が上がると、投資家もニコニコする。この連鎖こそが、世界の娯楽市場で生き残る任天堂の究極のミッションだ。
このミッションに必要なのが、「驚き」と「喜び」だ。お客さんを飽きさせず、常に世の中にこれらを与え続けることを嬉々としてやってのける企業が、任天堂なのだ。
生き残る企業の秘訣その3:「娯楽に徹せよ、独創的であれ」
任天堂には、明文化された社是や社訓がない。だからこそ、任天堂の社員は任天堂らしさを体で学んでいる。経営者の話した言葉を、自分なりに解釈するのだ。なぜ、任天堂のような大企業が、自分たちのビジョンやミッションを共有しないのだろうか。それは、岩田元社長曰く、「社是や社訓の通りに社員が動いていたら、お客さんが飽きてしまうから」。
任天堂は「よそと違う」という、独創的であることにこだわり、ソフトに特化する体質を貫く。さらに、自分たちは「娯楽屋」であると自覚する。自分たちが何者であるか常に意識することが、任天堂を任天堂たらしめるのだ。
紹介の通り、任天堂は任天堂らしくあることにこだわり続けた。任天堂は、娯楽に徹し、ユーザーに笑顔を届け、「らしさ」を守ることでゲーム業界を生き残っている。自分に他者が何を求めているのか、明確に理解している人は少ない。だからこそ、自分が何者であるか自負している任天堂は強いのだ。
私たちが幼い頃から慣れ親しんでいる企業である「任天堂」には、まだまだたくさんの秘密が隠されている。世界に冠たるエクセレントカンパニーが生き残る秘訣をもっと知りたい方、任天堂の“驚き”を生む「方程式」を学びたい方は、是非本書を一読されたい。
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