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夭折の作家・伊藤計劃の遺作『ハーモニー』:「あなたの口によって更に他者に語り継がれたい」

大倉怜士

2015/11/14(最終更新日:2015/11/14)


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夭折の作家・伊藤計劃の遺作『ハーモニー』:「あなたの口によって更に他者に語り継がれたい」 1番目の画像

 齢にして34歳。デビューからたったの2年でその生に幕を降ろすこととなった夭折の作家・伊藤計劃氏(以下、敬称略)。日本中のSFファンが泣いた、伊藤計劃の早すぎる死。肺癌だったという。

 処女作『虐殺器官』で鮮烈なデビューを果たしたのが2007年。続く2008年に出版された『ハーモニー』が彼の遺作となった。そしてプロローグまで書かれた文章を、芥川賞作家である円城塔が受け継ぎ完成させた『屍者の帝国』。

 小説『ハーモニー』は、第30回日本SF大賞から第40回星雲賞日本長編部門まで数々の栄えある賞に輝き、出版した英訳版では、日本人として初となる「フィリップ・K・ディック記念賞特別賞」も受賞。新鋭のSF作家として国内外問わず、世界中から注目されていた。

 小説『ハーモニー』の中で描かれていたのは、ユートピアの臨界点を迎えた21世紀後半の日本。慈愛と思いやりの心で溢れた楽園(ユートピア)。誰もが他人を思いやり、生命を重んじ、病気もタバコも酒もない世界。それは「真綿で首を絞めるような、優しさで息詰まる世界」。

 伊藤計劃は『ハーモニー』という世界に何を見、そんな世界で何を我々に伝えようとしていたのか。今回は11月13日に公開される劇場版『〈harmony/〉ハーモニー』に先駆け、伊藤計劃という人物、そして伊藤計劃の小説が描く世界をご紹介しよう。

夭折の作家・伊藤計劃

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出典:www.animefantastica.com
 1974年に千葉県で生まれた伊藤計劃。千葉八千代松陰高等学校を経て、武蔵野美術大学美術学部の映像学科を卒業。武蔵野美術大学はクリエイターの学び舎として有名な大学で、卒業生にアニメ監督の今敏氏や作家のリリー・フランキー氏などがいる。

 同大学の卒業後はブログサービス「はてなダイアリー」で、映画やSF小説の評論ブログを始める。そんなWeb評論家として活動する傍ら執筆した小説『虐殺器官』は、2006年第7回小松左京賞最終候補となり、翌2007年にハヤカワSF文庫から出版。

 出版時は大した知名度もなかった伊藤計劃だが、同作を読んだSFファンの間で人気が炸裂。戦争とテロリズムによる人類の終末を、リアリティに富んだ手法で描き出した同作は、「ゼロ年代SFベスト」の国内篇第1位にも輝いた。

 その翌年、2009年に発表されたのが本記事のメインとなる小説『ハーモニー』だ。この小説に関しては後ほど詳しくご紹介するとしても、同小説の獲得したタイトルはどれも名門賞ばかり。ハーモニーという作品が如何に評価されてきた作品かは、あらかじめ理解しておいて欲しい。

 そして、伊藤計劃は最後にとんでもない(という言い方は失礼かもしれないが)30枚の草稿を遺してあちらへ旅立っていった。その小説のタイトルが『屍者の帝国』。死んだ人間を生き返らせる技術が世界中に普及したという、自身の死の間近に書いたとは思えない世界観。

再び命ある者になったのではない。それはあくまで、インストールされた擬似霊素に従って動く死体に過ぎない。それでも、先程まで生命を喪って横たわっていたものが、突然動き出すのを目の当たりにすれば、脊椎を走るナイフのような感覚、あってはならない事が起こってしまったというおぞましさが感ぜられるのを抑えることはできない。

出典:著 伊藤計劃 円城塔『屍者の帝国』

 伊藤計劃なりのジョークだったのかもしれないが、その冒頭30ページだけを渡され、続きを書くことになった作家・円城塔にしてみれば、はらわたの煮えくりかえるような思いだったことは想像に難くない。

そもそも自分自身の死の可能性確率として高まっている状態で、次回作は死者を労働力にしている世界について書きます、と嬉々している時点で(伊藤計劃の)人の悪さも極まっている。

出典:著 伊藤計劃 円城塔『屍者の帝国 〜文庫版あとがき〜』より

 伊藤計劃のキツいジョークに対して、同書のあとがきでこのように皮肉った円城塔。それに円城は、別に伊藤計劃から直接この小説の続きを頼まれていたわけでもなかった。ただ単に、2007年に同じ出版社から処女作を出した作家というだけの間柄だった。個人的な繋がりは2、3度酒を酌み交わしただけだったという。

 それでも円城は引き受け、屍者の帝国を完成に導いた。筆者を含めた伊藤計劃ファンは、円城塔に一生頭が上がらないといっても過言ではないだろう。死の間近に伊藤計劃が描いた世界を、円城塔は私たちに見せてくれたのだ。ありがとう、円城塔。

 伊藤計劃の書き下ろし長編小説となった『虐殺器官』と『ハーモニー』、そして円城塔が完成させた『屍者の帝国』。そして、その意思は、世界は2015年に新たな息吹を込められ、世に出ることとなる。亡き伊藤計劃の作品たちをアニメ化しようとする計画「PROJECT ITOH」だ。

PROJECT ITOH「僕たちは彼が計画した世界を生きる」


 20014年に突如流れたCM。「僕たちは彼の計画した世界を生きる」という印象的なセリフと共に始動した「PROJECT ITOH」。伊藤計劃という名前に因んだ同プロジェクト。伊藤計劃の没後5年目のことだった。

 無論、伊藤計劃という名前は本名ではない。小説家としてのペンネームだ。計劃(けいかく)=計画。「彼はそんな自分の名前を決めた時から、自分自身の作家としての生涯を計画していたのかもしれない」。伊藤計劃は「伊藤計劃」という名前を自分に与えたときから、自分の未来が見えていたのかもしれない。

これがわたし。
これがわたしというフィクション。
わたしはあなたの体に宿りたい。
あなたの口によって更に他者に語り継がれたい。

出典:伊藤計劃「人という物語」〈WALK 第57号〉

 だからこそ、伊藤計劃は未来の「世界のかたち」を描いたのかもしれない。自分の死んだ後の世界のかたちを、自分が見ることのできない世界のかたちを。「彼は自分が去った後の世界に物語を遺した。計画を遺した。それは祈りなのか、悪意なのか」。

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by Debris2008

伊藤計劃の遺作『ハーモニー』が描く “ユートピアの臨界点”

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出典: Amazon.co.jp
 

この、真綿で首を絞めるような、優しさに息詰まる世界に徒なす日を夢見る狂犬として。

出典:著 伊藤計劃『ハーモニー』

 伊藤計劃の遺作となった『ハーモニー』の世界観を端的に表した一節。21世紀後半の日本。2019年に起こった〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱は、結果的に人類をユートピアへと誘うことになった。生命を何よりも重んじる生命主義をその指針とする生府社会。

我らの世代はお互いが慈しみ、支え合い、ハーモニーを奏でるのがオトナだと教えられて育ってきたから。

出典:伊藤計劃『ハーモニー』

 〈WatchMe〉と呼ばれる恒常的体内監視システム、またはその役割を担うナノマシンの通称。人は病気を駆逐し、健康第一の生命主義を奉ずる。タバコも酒もドラッグも、健康に害すると思われるものはすべて禁止された世界。

けれど世界はどんどんどんどん健全で健康で平和で美しくなって、その善意はとどまることを知らない。自重しろ、と言ったところでセカイと「空気」が気にかけるはずがなかった。

出典:伊藤計劃『ハーモニー』

 「リソース意識」とは、リソースつまり還元。子供はいずれその生命を社会に還元される存在。だから、大切にしなくちゃいけない。そんな共同体意識、公共的身体という思考がさも当たり前のように押し付けられる社会。それが「ハーモニーを奏でる」という世界のかたちだった。

そう、ミァハの言う通りだ。だからこそ、わたしたちは死ななければならない、と感じていた。命が大事にされすぎているから。互いに互いを思いやり過ぎているから。

出典:伊藤計劃『ハーモニー』

 そんなハーモニーという世界で出会った3人の少女。霧慧トァン、零下堂キアン、そして2人を導く少女・御冷ミァハ。彼女たちは息詰まるようなその世界から消えることで「世界に不意打ち」を与えようとしていた。結局、自殺したのは御冷ミァハだけ。トァンとキアンは、〈WatchMe〉を体にインストールする普通のオトナになっていた。 

わたしは逆のことを思うんです。精神は、肉体を生き延びさせるための単なる機能であり手段に過ぎないかも、って。肉体の側が生存に適した精神を求めて、とっかえひっかえ交換できるような世界がくれば、逆に精神、こころのほうがデッドメディアになるってことにはなりませんか。

出典:伊藤計劃『ハーモニー』
 そんな平和な世界である日、6000人を超える同時自殺事件が起こり、世界は混乱に陥る。世界的混乱の裏にトァンが見た影。それは死んだはずの御冷ミァハだったーーとまあ、このくらいにとどめておけば、ネタバレにはならないだろう。

11月13日(金)劇場版『ハーモニー』


 そして来たる11月13日(金)、いよいよPROJECT ITOHの第二弾となる『〈harmony/〉ハーモニー』が全国東宝系で公開になる。

 『AKIRA』で作画監督を務めたなかむらたかしと、『鉄筋コンクリート』で監督を務めたアメリカ人CGデザイナーであるマイケル・アリアスによるダブル監督。アニメション制作を受け持ったのはStudio4℃だ。

 “ユートピアの臨界点”を描いた伊藤計劃のハーモニーが、アニメでどのように表現されるのか。筆者も公開日に観に行くつもりだ。ぜひ、伊藤計劃という人間が作品に、未来に込めた想いを、劇場で体感してみて欲しい。

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