2015年ラグビーワールドカップは、日本ラグビー界の歴史に残る大会となった。初戦の南アフリカ戦。南アフリカ代表は世界ランク3位の強豪。この試合が終わるまでは、日本国民の大半が勝利を期待するどころか、ラグビーのワールドカップが開催されていることすら知らなかっただろう。
しかし、そんな強豪相手に日本は大番狂わせを起こした。翌日の朝刊は「歴史的勝利」や「偉業達成」などと報じ、キックを蹴る際に両手を組むルーティンが特徴的な五郎丸歩選手の人気も相まって、ラグビーに対する注目は一気に高まった。惜しむらくは、ベスト8進出をあと一歩のところで逃してしまったことだろうが、日本ラグビーの歴史に残るワールドカップとなったことに違いはない。そして、そんなラグビー日本代表を率いた男がいる。
それがエディー・ジョーンズ(Eddie Jones)氏(以下、敬称略)で、彼は選手たちから「憎まれ続けた」監督だった。チームを偉業に導いたエディー・ジョーンズが憎まれ続けたワケ。そこにはエディー・ジョーンズという男のリーダー学が隠されていた。
今回は10月29日(木)のNHKドキュメンタリー『ジャパンウェイ~ラグビーW杯戦いの軌跡』の放送に先駆け、元ラグビー日本代表であるエディー・ジョーンズという男のリーダー学に迫っていこう。
「エディー・ジョーンズ」と「ジャパン・ウェイ」
出典:uk.reuters.com 2015年9月15日。この日は、日本ラグビーの歴史に残る1日になった。世界ランク11位の日本代表が、世界ランク3位の南アフリカ代表を打ち破ったのだ。「日本代表って世界ランク11位だったんだ、意外と高いじゃん……」と思われた方も少なくないだろう。だが、実はラグビーの世界ランキングは、世界ランク10位より下と10位より上では実力に大きな開きがあると言われている世界なのだ。
英国の大手ブックメーカー・ウィリアムヒルが発表した「南アフリカ勝利」へのオッズは1倍、つまり「ほぼ確実に」南アフリカが勝つと予想されていたほどだ。これは何もこのブックメーカーの検討違いというわけではない。世界中のラグビー・ファン(日本人は除くが)もそのほとんどが、さも当たり前のように南アフリカの勝利を予想していただろう。それほどまでに、南アフリカ・世界ランク3位の壁は高く聳え立っていた……はずだった。
しかし、ラグビー日本代表は勝利をおさめた。そんな南アフリカ戦の勝利に関して、エディー・ジョーンズも「新しいラグビーの歴史を作った」と語っている。まさしく「日本ラグビーの歴史を変える一戦」となった2015年ラグビーワールドカップの初戦。結果としてはわずかな差でベスト8進出を逃したラグビー日本代表だったが、ラグビー日本代表はワールドカップでは過去、1991年に行われた第2回大会でのジンバブエ戦の1勝のみしか挙げられていなかったのだから、今大会の3勝1敗という結果がどれほどの偉業かはお分かりいただけるだろう。
ラグビーへの注目がこれまでにないほど高まっている今の日本。スポーツは高い経済効果もはらんでいる。2020年の東京オリンピックが日本に第二の経済成長をもたらすと考えられているように、ラグビーもまた、日本経済に火をつける起爆剤になるかもしれない。日本国民として、ラグビーについて詳しく知っておきたいところだ。
社会現象にもなった「ジャパン・ウェイ」
エディー・ジョーンズ自らが名付けた「ジャパン・ウェイ」という戦略。はやくも今年の流行語大賞候補として挙げられているジャパン・ウェイだが、これはラグビー日本代表の攻撃的な戦略を指している。ジャパン・ウェイとは「Japan Way」。これに関して、エディー・ジョーンズはこのように述べている。
エディー・ジョーンズの言うジャパン・ウェイは、それすなわち、日本代表が世界で勝つための心の持ち方を意味しているのだ。攻撃的なプレースタイルをチーム全体、そのひとりひとりがしっかりと持っていられるように作られた方針のようなものなのだ。
では、このような方針をチームに課すエディー・ジョーンズとは、一体どのような人間なのだろうか。ここからは、エディー・ジョーンズという男の人生にスポットを当ててながら、日本代表を勝利に導いたエディー・ジョーンズのリーダー学を学んでいこう。
「エディー・ジョーンズ」という男
出典:ruggaworld.com 1960年にオーストラリアで生まれたエディー・ジョーンズ。無論、彼も元はラグビー選手であり、現役時代のポジションはフッカー(サッカーで言うところのFWにあたる)。「ワラビーズ」という愛称で知られるオーストラリア代表は、南アフリカ・ニュージーランドに並ぶラグビー王国。
抜群の体力とスピードを持っていた選手時代のエディー・ジョーンズだったが、身長は173cmとラグビー選手としては小柄だったため、オーストラリア代表に選出されることはなかった。現役引退後は指導者の道へ進み、母国であるオーストラリア代表の監督や南アフリカ代表のチームアドバイザーなど、名だたる名門チームで指揮を取ってきた。
そんなエディー・ジョーンズがラグビーの日本代表監督に就任したのが、2011年のこと。2011年11月から歴代最多連勝記録となる11連勝にチームを導くなどの功績を残していたエディー・ジョーンズだったが、「日本ラグビーを変えるにはW杯で勝つことがすべて。サッカーみたいにW杯で勝てないチームになりたくはない」と皮肉めいた強気な発言を残している。それほどまでに、ワールドカップという舞台はラグビーにとって重要な舞台なのだ。
“憎まれ続けたリーダー” エディー・ジョーンズ
そして、そんなワールドカップで強豪・南アフリカを破り、日本代表に歴史的な結果をもたらしたエディー・ジョーンズ。では、エディー・ジョーンズとは、一体どのような「リーダー」だったのだろうか? ここからはエディー・ジョーンズという男のリーダー学に迫っていこう。
リーダーは憎まれてなんぼ
エディー・ジョーンズが率いたラグビー日本代表体制では、「反エディー派」も生まれたという。それはエディー・ジョーンズの組んだ過酷なトレーニングの先に、ほぼ必然的に発生したものだった。日本代表のトレーニング体制に関して、ラグビー・ジャーナリストの村上晃一氏はこのように語る。
プロ野球選手やサッカー選手以上に肉体のトレーニングが物を言うラグビーの世界では、同時に日々のトレーニングが結果につながってくる。大事を成すために、選手に過酷なトレーニングを強いたエディ・ジョーンズというリーダーが、選手から憎まれるのはほぼ必然だったのかもしれない。
選手から好かれる必要はない。
しかし、そのような「反エディー派」が生まれようと、エディー・ジョーンズは決して驚きはしなかった。スポーツ誌・Numberの独占インタビューの中で、「選手から好かれたいと思ったことはあるか」と問われたエディー・ジョーンズはこのように答えた。
リーダーとして、特にアスリートたちを率いるリーダーにとって、誰かから好かれたり支持される必要性は全くないとし、己の考えを貫いたエディー・ジョーンズ。一見非情なリーダーにも思える彼だが、そんな不屈の考えを持つ人間だからこそ、選手に余計な情を抱くことなく、選手たちを導けたのだろう。
日本ラグビーの新たな地平を切り拓いたエディ・ジョーンズ。今大会を持って監督の任を降りることになったエディ・ジョーンズだが、その名は永遠に日本ラグビー史に刻み続けられることだろう。彼の今後も変わらない活躍、そして日本ラグビーのますますの発展を心から願って止まない。
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