20世紀の哲学者、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の名をご存知だろうか。
フランスに生まれたサルトルは、実存主義(英:existentialism)の代表的な哲学者・文学者である。
今回はジャン=ポール・サルトルの名言にスポットライトを当てていきたい。取り上げるテーマは「自由とは何か」。
20世紀の哲学者:ジャン=ポール・サルトルとは?
まずは、サルトルという人間について、簡単な紹介から始めていこう。
哲学論文「存在と無」でノーベル文学賞を辞退した哲学者
サルトルはパリに生まれ、1943年に神のいない世界において人間の自由とは何かを探求した哲学論文「存在と無」を執筆した。
1964年にはノーベル文学賞を受賞するも、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」といってこれを辞退してしまう。
「無神論的実存主義」の思想を持った哲学者:サルトル
そんなノーベル文学賞を辞退した哲学者であるサルトルは、実存主義の中でも「無神論的実存主義」と呼ばれる思想を有していた。
無神論的実存主義において、「実存は本質に先立つ」と主張したサルトル。
神の存在を重要視しない(決して否定しているわけではない)サルトルの思想は、有神論的な中世の哲学者と違い、日本人にも受け入れやすいものであろう。
そもそも「哲学」とは何なのか?
哲学という学問を正確に定義することは難しいが、現代分析哲学で名高いルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは哲学について下記のように分析している。
哲学=人の思考を究明し、明晰化(言語化)する役割を果たすもの
本記事で切り取らせてもらうとすれば、哲学とは「人の思考を究明し、明晰化(言語化)する役割を果たすもの」。
森羅万象に対して、人間がどのように考えるかを探求し、言葉にする。その担い手こそ、哲学者という存在なのだ。
サルトルの哲学思想「実存主義」から紐解く「自由の正体」
ジャン=ポール・サルトルも、森羅万象に対する人の思考を探求、言語化する哲学者のひとり。
数ある哲学思想の中でも、サルトルは神という存在に依存しない実存主義「無神論的実存主義」を展開する哲学者だ。
サルトルの著書『実存主義とは何か』を元に、サルトルの思想である実存主義について説明したい。
人間は最初は何者でもない。後になってはじめて“人間”となる
実存主義とは、つまるところ「“人間”という存在を思考の中心に置いた哲学的解釈」といえるのではないだろうか。
そうすると、サルトルの遺した名言「実存は本質に先立つ」という言葉と、サルトルの思想が「無神論的」と呼ばれる理由も自ずと見えてくる。
サルトルの言葉「実存は本質に先立つ」の図解サルトルは社会に生きる人間が必然的、先天的に保持している魂という本質よりも、「人間という存在そのもの」を優先したのだ。
中世以来のキリスト教社会が持っていた哲学的思想を真っ向から否定したわけだ。
神や魂が先んじた本質ばかりに目を向け、はじめから自らを第二の存在としていては本当の現実を解釈することはできない。
本質を“現実”を以て解釈することこそ、サルトルの興した無神論的実存主義であり、そんなサルトルの思想だからこそ「自由」に関する思想が見えてくるのだ。
サルトルが遺した5つの名言に学ぶ「自分と人生」
無神論的実存主義者・サルトルの名言から考える「自由」とは?
サルトルが遺した有名な言葉に「人間は自由という刑に処せられている」というものがある。
自由に生きることは他者へ影響を与えるものであり、それに対して責任をもつ必要があるという意味の言葉だ。
他者へ影響を与える己の生き様に責任を持つ必要があるとするサルトルは、人間の本質を生み出す「人生」について、「刑と称した自由」についてどんな名言を遺したのだろうか?
哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言①
「Mors certa, vita incerta」というラテン語のことわざがある。「死は確実、生は不確実」という意味のことわざだ。
人間の生きた先に待つのは死であることは、森羅万象におけるひとつの明確な答えだ。
死の他にも、私たちの人生には答えが溢れてる。
中学、高校、大学卒業後の進路選択。新卒で入社した会社の給料額。入社した会社の定年。
しかし、答えが溢れた人生の中でどう生きるか、というものは自分が決めることで、そこには正解など存在しない。
サルトルのこの名言が伝えるのは、この「どう生きるか」という言葉に集約されている。
哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言②
サルトルなりの皮肉を込めた言葉に感じられるこちらの名言。
社会という檻に閉じ込められると、無意識の内に人はそこに順応しようとする。
「つくられる」のではなく、「つくられてしまう」という自身の思いをサルトルはこの言葉に込めたのではないだろうか。
哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言③
時に、「生まれ変わったら……」とか「あの時代に生まれたかったな……」なんて言葉を耳にするが、こういった言葉には疑問を感じる。
たしかに、私たちに時代や生まれ・家族を選ぶ権利はないが、それを嘆いても目の前の景色は変わるだろうか。
現状を打破するのは祈りでもなければ、哀願でもない。目の前の現実に向き合うことではないだろうか。
哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言④
神を重要視しないサルトルの言葉に「人間は自由という刑に処せられている」というものがあったが、何もサルトルは「自由」というものを否定しているわけではない。
サルトルは「自由」を享受する姿勢を崩さない。
人は常に自由だ。どうやって生きるかも、どうやって死ぬかも、それは人それぞれの自由な選択の先にある。
サルトルは哲学者になり、かくして後世の私たちにも知られるひとりの人間になった。
それが自由な選択の先に生まれた結果であることは間違いないだろう。
哲学者ジャン=ポール・サルトルの名言⑤
結びに、これらの名言を総括するようなサルトルの名言をひとつ。
「運命」という言葉は、時にマイナスなニュアンスで用いられることがある。
「こうなるのが自分の運命だったんだ」なんてセリフが映画ではよくあるが、運命とは選択の結果でしかない。
たしかに、選択には限界があり、生まれや天賦の才に選択の余地はない。
だが、生まれや天賦の才の先で道を切り開くのは運命ではなく、“自由な選択肢の数々”である。
責めるなら神ではなく、己の選択を省みるべきだ。
運命というものが存在するのは、人が言い訳として都合よく“運命”を用いているからではないだろうか。
ここまで、ジャン=ポール・サルトルという人間が後世に遺した5つの名言を解釈してきた。
哲学者の生み出す言葉は多角的な捉え方ができるものでもある。
つまり、答えはひとつではなく、それを読んだ人の思考によって変わってくるのだ。
サルトルではないが、古代の偉大な哲学者・ソクラテスは「無知の知」という有名な言葉をのこしている。
神は全能であるが故に知の探求をすることはないが、人間は不完全であるが故に知を探求することのできる生き物であると。
そして、「無知とは知識がないことではなく、疑問が持てぬこと」という言葉も残している。
これは、「何よりもまず自分が無知であることに気づくべきである。それができない人間こそ、もっとも無知な人間である」という意味だ。
サルトルの哲学はあなたの思考に火を灯しただろうか。
何よりもまず疑問を持ち、思考すること。それが人間の、生物としてのもっとも重要な機能ではないだろうか。
【関連記事】「無知の知」とは? 哲学者・ソクラテスの名言に学ぶ“賢人の思考”:「汝自身を知れ」
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