2006年に生み出された新たな細胞「iPS細胞」。それからたった6年という研究期間だけで、ノーベル賞に輝いた男がいる。それが山中伸弥氏だ(以下、敬称略)。iPS細胞の父である山中伸弥は、「1日でも早くiPS細胞を医療に応用したい」と語っている。
今回は10月25日OA『情熱大陸』での山中伸弥特集に合わせて、山中伸弥という人物についておさらいしておこう。そのインタビューの中で、山中伸弥はこのように答えている。「自分の仕事は研究者から別のものに変わった……」と。
iPS細胞の生みの親「山中伸弥」
出典:ja.wikipedia.org 現在はiPS細胞研究所の所長となっているiPS細胞の生みの親・山中伸弥。1962年に大阪牧岡市に生まれた山中伸弥は、大阪教育大学教育学部附属高等学校を卒業後、神戸大学の医学部へと進学することになる。
山中伸弥という男が医学の道を志すようになり、ひいてはiPS細胞を生み出すに至ったきっかけとなった一冊の本がある。それが、医師であり政治家である徳田虎雄氏の『生命だけは平等だ』という本だ。徳田の医師としての生き方に感銘を受けたのが、彼にとっての全ての始まりであった。「医師として人を救いたい」という思いが山中伸弥の中に芽生えたのだ。
iPS細胞の発見に至る道のり
とはいえ、山中伸弥には医師として致命的な欠点があった。それを端的に表すとすれば、「不器用」という言葉に尽きるだろう。大学を卒業した山中伸弥が向かった先は、国立大阪病院整形外科。そこで臨床研修医として勤務していた時のことを山中伸弥は、「人間万事塞翁が馬」と題した京都大学での公演でこのように語った。
今では、ノーベル賞受賞者である山中伸弥に対して「ジャマナカ」と呼べる人間は少ないだろうが、少なくとも医師の卵だったころの山中はジャマナカと呼ばれていたらしい。つまり手術という技能面で、山中伸弥は致命的なほどに不器用だったのだ。
挫折を乗り越え、研究者という道(未知)へ
これを挫折を「乗り越えた」と言うかどうかは悩ましいが、山中伸弥は医師になるという夢を断念。研究者としての道(未知)に進むことを決断する。なにはともあれ、仮に山中伸弥が「ジャマナカ」と呼ばれるほどの不器用さを持ち合わせていなければ、おそらくiPS細胞の開発はあと10年先のことだっただろう。
研究者としての新たな一歩を踏み出す場として山中伸弥が選んだのは、アメリカ・カリフォルニア大学サンフランシスコ校のグラッドストーン研究所だった。ここで彼が出会った細胞。それが「ES細胞」というもので、これは山中伸弥が開発したiPS細胞と同じ「万能細胞」と呼ばれるものだ。このES細胞との出会いが、本格的に山中伸弥がiPS細胞の研究をするきっかけとなった。
両者の違いに対するディテールの言及をアカデミックに述べることは難しいが、端的に言えば、ES細胞は胚性幹細胞と呼ばれ、iPS細胞のプロトタイプ的存在の細胞だ。人の受精卵を破壊することで生成するため、倫理的な問題、そして移植した人体からの拒絶反応の可能性も懸念されている細胞。
その点、iPS細胞は人工多能性幹細胞と呼ばれ、ES細胞のようにほぼ無限の細胞に分化できる分化万能性を保持している上、皮膚や血液など、採取しやすい人体の体細胞を使って生成するため、拒絶反応が起こる可能性も低いとされているのだ。
そもそも、iPS細胞って何?
という疑問を感じている方もいらっしゃることだろう。これはその道の研究者でなければ、的確な説明は難しいだろう。ここでは山中伸弥が所長を務める、京都大学のiPS細胞研究所のHPから情報を抜粋してご紹介していこう。
まずは万能細胞という細胞について。「万能細胞」と「医療」という言葉を結ぶ際に重要なワードとなってくるのが、「再生医療」という言葉だ。外的・内的な身体欠陥に陥ったとき、それを「再生」するのに万能細胞というものが必要になってくるのだ。
個人的な例になるが、例えば明日あなたの目が急に光を失い、何も見えなくなったとしよう。お医者さんに駆け込むとこう言われるのだ。「少しだけ皮膚を頂ければ、また見えるようになりますよ」って。
つまり、万能細胞は心臓や胃腸など、どんな器官にもなりうる分化多能性を持った細胞のことを指す。ヒトなどの高等生物では細胞の機能分化が速く、原則として受精卵以外に万能細胞は存在しないので、ES細胞やiPS細胞はあくまで人工物。万能細胞が優秀な点は、おそらくこういった再生力に集約されるのだろう。
iPS細胞の作成方法(初期)に関する京都大学の説明だが、筆者も含め、一介の素人が読んでも理解の外。要するに、2006年当初はマウスの皮膚細胞からES細胞に似た万能細胞を作り出し、2012年にはそれを人体の皮膚細胞から作り出した、ということだけ覚えておけば十分だろう。
いささか投げやりだが、作り方に関してはこの辺にして、このiPS細胞の先にある医療の形に移りたい。これはこれからの医療、ひいては日本社会を生きて行く人間全員がしっかりと理解しておく必要があるだろう。なんせ、自分の命が懸かっているといっても過言ではないのだから。
山中伸弥「1日でも早くiPS細胞を医療に応用したい」
ES細胞の研究からiPS細胞の発見・開発まで至り、ノーベル賞の生理学賞・医学賞を受賞するほどの科学者となった山中伸弥。とはいえ、iPS細胞という医療技術は、いまだに実用化に至っていないというのが実情だ。
山中伸弥の「1日でも早くiPS細胞を医療に応用したい」という思いとは裏腹に、実用化は早くても2030年頃だとも言われている。そこには実用化に向けての様々な問題点があるのだ。そのひとつとして、iPS細胞研究所は「立体的な臓器が作れない」という点を挙げている。
立体的な臓器とはなんとも生々しい表現だが、確かにiPS細胞は未だ「臓器そのもの」を作ることには成功していない。だが同時に、理論上は身体のどの部位にもiPS細胞は分化できるとされているなど、ある意味でiPS細胞研究は、人間の肉体的な不死を実現する夢のある研究でもあるのだ。
山中伸弥という研究者が医療にもたらした可能性は功績には筆舌に尽くしがたいものがある。だがその一方で、iPS細胞というものは確かにこの世に存在するようになったが、未だ実用化に至ってないという問題も見えてきた。
「少子高齢化」が既に社会的問題となりつつある今日の日本。iPS細胞の発展はこれらからの社会を支えていく若者にとって、必ずしも良いとは言えないかもしれないが、人が死ぬよりはずっとマシだ。iPS細胞というものが本格的な医療利用できるようになれば、これはもっと多くの人の生を救うことに繋がるのは間違いない。
そんなiPS細胞はもっと世に知られるべき研究ではないだろうか。ただ享受するのではなく、そこへ至るまでのプロセスを応援する気持ちを我々一般人も持ち続けるべきではないだろうか。あなたも山中伸弥という人物の功績を知り、それを周りの人にも知らせて欲しい。
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