第1回にチャールズ・チャップリン、第5回にウォルト・ディズニー、第24回に黒澤明。「アカデミー賞」の中でも、特に受賞者の栄誉を称える目的で与えられる特別賞「アカデミー栄誉賞」を、2人目の日本人として受賞した宮崎駿。
2014年に公開された『思い出のマーニー』を最後に、長編アニメーションの世界に自ら別れを告げた宮崎駿は、今でもアニメーション業界で働く人間から“先生”と讃えられるジャパニメーション、いや、アニメーション界のレジェンドだ。
アニメーションというものが「クールジャパン」として挙げられ、ジャパニメーションとして世界各国で広がるようになったのは、手塚治虫と宮崎駿という日本人がいたからこそだ。
そんなアニメ監督・宮崎駿が放つ名言からは、アニメーションという仕事に対する宮崎の尽きることのない渇望と向上心、そして「人を楽しませる=仕事」という思いがひしひしと伝わってくる。今回は、彼がアニメを通して子供達、大人たちに伝えたかったことを知って欲しい。
人生の全てをアニメーションに捧げた男・宮崎駿
by alaskblank まずは、宮崎駿という人間を最も端的にかつストレートに表した名言をご紹介しよう。
全てをアニメーションに捧げた男。それが宮崎駿であり、アニメーションは彼の仕事だ。ここでは、アニメーションという仕事に自らの全てを捧げた仕事人としての宮崎駿に迫っていこう。テーマは「仕事と自分」。
宮崎駿がアニメーションに初めて触れたのは、彼が17歳の時、日本初のカラーアニメ映画である『白蛇伝』だった。白蛇伝に感銘を受けた宮崎駿は、学習院大学を卒業後、アニメーターとして東映動画に入社することになる(ちなみに、アニメーターとはアニメ制作における“描き手”)。
そして、彼が自分の一生をアニメーションに捧げようと思った瞬間がある。それは、ソ連製作長編アニメーション映画『雪の女王』を見た瞬間だったという。そう、宮崎駿もアニメーションに憧れ、惚れた人間のひとりに過ぎないのだ。こんな作品を作りたい!と思い、そんな思いが自分の中で決して折れない決意へと変わったのだ。
自分が憧れた世界で生きることを決意した宮崎駿。彼がそんなアニメーション制作に対して一切の妥協を許さないのは、全てそこに通じている。無論、アニメ監督としてのプレッシャーやプライドもあるだろう。しかし、それは本当の意味での宮崎駿を突き動かす原動力ではない。彼はアニメを誰よりも尊敬し、愛し、そこに夢を見た少年なのだ。だからこそ、彼の手はその手を止めることはない。
以前ご紹介したもう一人のアカデミー栄誉賞日本人受賞者・黒澤明も、宮崎駿と同じように映画という仕事を愛した人間だった(詳しくはこちら)。
ここで宮崎駿の名言から筆者が伝えたいこと。それは、プロフェッショナルな仕事をできる人間は、その仕事を誰よりも好きな人間だということだ。「好き」というたった2文字の感情は、プライドやお金といったモノよりも確かに、そして遥かに強いエンジンとなるのだ。宮崎駿の名言、いや、宮崎駿という人間を見ていると、そういった人間像が自然と浮かび上がってくる。
宮崎駿の名言に学ぶ「人を楽しませるという仕事」
by FICG.mx ここからは、宮崎駿がアニメーション監督として、消費者ではなく生産者として、我々に伝えたかった想いを彼の名言から紐解いていこう。
まず第一に、宮崎駿は生産者だ。アニメーターとはアニメを創り出す人であり、クリエイターとも呼ばれる職種だ。1982年の『風の谷のナウシカ』に始まり(監督として)、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』、『もののけ姫』など、誰もが知るアニメ作品を作ってきた生産者の宮崎駿。
2014年に長編作品を引退するまでに作ってきた、10を超えるアニメ作品の数々。では、彼がそこに込めた想いとは一体何だったのだろうか。そこにエンターテイナーとしての宮崎駿の想いがあるのだ。
なぜ、宮崎はアニメーション監督として、自分の人生をアニメのために捧げるのか。人は思う、「別にアニメじゃなくたって……」と。しかし、それは違う。アニメとは、彼にとっての存在理由だったのだ。
確かに、これは多少オーバーな言い方かもしれない。彼からアニメを取ったら自殺してしまうというわけではないだろう。ただ、アニメを奪い取るということは彼にとって、死の次に恐ろしいことなのだろう。それは彼の名言を、作品を見れば自然と伝わってくることだ。
時に『もののけ姫』という作品を見て、「これには宮崎先生の持つ自然破壊はいけないというメッセージが込められているんだ」という感想を述べるものがいるが、何も宮崎駿はそんな単純かつ狡猾な主張をアニメ作品に加えているわけではない。
彼はそのような簡単な言葉を表現するために、アニメ監督として作品を作ってきたわけではない。あくまで、誰かを笑わせ、幸せな気持ちにしたいからアニメ作品を作ってきたのだ。
そして、宮崎駿がそんな笑顔や幸せを与えてやりたいと思っているのは、この世に溢れる子供達だ。「誰かのために」は「子どもために」なのだ。
「映画の中じゃない。映画の向こうにいっぱいあるんです」。この言葉の意味が分かるだろうか。何もスクリーンの奥にあると言っているわけではない。自分の作品を見て、一人でも多くの子供達が現実に存在するまだ見ぬ世界の美しさに気づいて欲しい。子供が夢の見ることのできる世界を創りたい、そんな想いなのだろう。
これは何も子供に限った話ではない、とも宮崎は語る。様々な未来への可能性を秘めているのは、子供だけじゃない、大人も同じだと。だからこそ、可能性の波に、目の前にある現実に負けないで欲しいと。その先の世界には、自分の知らない美しい世界がまだまだあるのだということを。
今回ご紹介した名言が必ずしも皆様のビジネスライフで役に立つとは、筆者も考えていない。それでもお伝えしたかったのは、やはり宮崎駿のように、作品の裏側には必ず「誰かのために」作品を作ろうとしている人達がいるのだ、という思いからだ。
彼らクリエーターには、スポットライトが当たらない場合が多い。宮崎駿も決して一人ではアニメ作品は作れない。そこには何百人という人間が動いているのだ。当たり前のように思われるかもしれないが、これは意外と忘れられてしまいがち。
ひとつの映画にも、それを汗水垂らして作り上げた無名の人たちがいることを忘れて欲しくない。これは何も、筆者がアニメファンだから主張しているわけではない。ひとつの作品を見終わったら、少しでもその舞台裏にいる人間のことを考えてみて欲しいのだ。さすれば、宮崎駿のような「誰かのために仕事をすることの素晴らしさ」が分かってもらえることだろう。
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