出典:www.wakeupnews.eu
座右の銘も名言・格言といった類のものも、所詮は言葉に過ぎない。お金に困った時にお金を生成してくれる機械でもなければ、時間を巻き戻してくれるタイムマシーンでもない。確かに単なる言語の羅列が、物理的に人間の人生を支えることはない。
しかし、言葉はときに自分の人生を支えたり、変えてくれるものだ。それに対する根拠はないが、同時に支えないという反証もないだろう。そもそも言語能力のある生物が人間しかいないという事実が、言葉の重要性を露見しているともいえる。
そして人間は遥か昔から、そんな言葉と向き合い、文章を紡いできた。戯曲や映画よりも遥か昔から、文学、もとい作家という職種は存在してきた。ここではそんな先代の作家たちが、後世の人間である私たちに遺した名言を見ていこう。
#1 - アーネスト・ヘミングウェイ
「行動の作家」とも呼ばれた作家・アーネスト・ヘミングウェイ。彼の代表作『誰がために鐘は鳴る』はご存知だろうが、実はこの作品、ヘミングウェイの実体験によるものなのだ。彼は世界的な作家でありながら、1930年代のスペイン内戦に人民戦線側として参加していた。ヘミングウェイの素晴らしいところは、そんな行動力にあり、そんな彼だからこのような名言を放てたのだろう。
#2 - アーノルド・ベネット
19世紀に生まれ、20世紀にこの世を去った作家・アーノルド・ベネットは、英国の片田舎の生まれだ。そんな地方出身の彼は、おそらく子供の頃から人々のがむしゃらに働く姿を見てきたのだろう。汗水垂らして仕事に従事する人々の姿こそ、彼にとっての人間像だった。精一杯生きることは、意外と難しかったりする。でも、賢ぶって気取って生きるより精一杯生きる方をベネットは選んだのだ。
#3 - アガサ・クリスティ
「ミステリーの女王」と呼ばれたイギリス出身の推理作家・アガサ・クリスティは、誰かのために働くことの大切さを説いた。女流作家らしい美しい文体で綴られたこの名言は、蜜蜂に対する誉れの表しであり、同時に私たちへのメッセージでもある。確かに誰かのために働くことは、ときに馬鹿らしいことに思える。けれど、それらの行為は絶対に他者から評価される行為である、そう彼女は伝えたかったのではないだろうか。
#4 - 芥川龍之介
35歳という若さでこの世を去った日本人作家・芥川龍之介。生前から文豪界の天才と評価されていた彼だったが、かような名言を残している。「われわれ」に自分を含める彼は、自分の才能の無さを嘆き、それ故により良い作家になることを希求していった。惜しくらむは、自分の才能を信じきれずに、自殺という最期を迎えてしまったことか。
#5 - アルベール・カミュ
「不条理」をテーマにした作品で有名なアルベーリュ・カミュだが、彼はおそらく自分の人生に意味を見出せずに亡くなったのではないだろうか(最期は交通事故であった)。それは彼が見出せなかったのではなく、見出そうとしなかった、いや、そもそも人生に意味などないと考えていたからだ。人生に意味があるとして、それを理解できたときには、自分はすでに人生の峠を越えているところではないだろうか。そんな途方もないことを考え、汲々とすることに果たして意味があるのだろうか。
#6 - ヴィクトル・ユーゴー
19世紀の文豪であるヴィクトル・ユーゴーの人生は、度重なる逆境の連続だったといってもいい。特に彼の代表作である『レ・ミゼラブル』は、彼がベルギーへ亡命しているときに書かれたものだ。作家であり政治家でもあったユーゴーは、時の皇帝・ナポレオンと対立していたがため、海外逃亡を余儀なくされ、その後19年に渡り亡命生活を送るとなった。そんな彼だからこそ「まだ希望がある」と叫べたのではないだろうか。
#7 - 川端康成
昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学の頂点に立つ作家の一人・川端康成。『雪国』や『舞姫』など、数々の名作を世に送り出してきた川端だったが、失敗作も少なくない。作家にとり重要なのは、そういった失敗を如何に後に引きずらないかなのかもしれない。奥さんや彼女の抱擁で気分が紛れるように、私たちの悩んでいることも実はちっぽけなものなのではないか。川端の名言からはそんな考え方が汲み取れる。
言葉に向き合い続けた作家たちが遺した名言は、あなたの心にも突き刺さっただろうか。言葉は豊富にありすぎて、大切なモノに思うのはなかなか難しいが、実は自分の人生を支えるほどの力がある。ときに言葉が人を傷つけてしまうのと同じように。座右の銘は心のどこかに置いておくだけで、随分と見える世界が変わってくるものなのだ。
U-NOTEをフォローしておすすめ記事を購読しよう