今やゴム製品メーカーとして知らない者はいない大企業、ブリヂストン。創業者の「石橋正二郎」が自分の名前「石橋」を英訳して逆さにした企業名、というのは知る人も多いだろう。
そんな石橋正二郎だが、存命中は高額納税者リストの常連と言われるほどの資産家だった。今回は、石橋正二郎が存命中に残した名言から、ビジネスのヒントを見つけ出していこう。
石橋正二郎「事業の繁栄とは」
by Mimolalen ビジネスを始めたいと考えを巡らせるとき、自らの利益が最優先になっていないだろうか。消費者に対してこれだけのことをすれば、これだけの利益が返ってくる、というような具合にだ。
石橋正二郎は、そんな「利益優先」のビジネスでは長く続かないという名言を残している。利益よりもまず先に、人々の生活を向上させるということだけを考え続ける。それがやがてビジネスへと形を変え、社会貢献の度合に応じて大きなものへと変化していくのだ、と石橋正二郎は名言を残す。
ブリヂストンはもともと「地下足袋」の企業だった
ブリヂストンというと、自転車やタイヤのメーカーという印象が強い。しかしもともと石橋正二郎が立ち上げたのは、「志まや」という足袋を専門に売る企業だった。当時の農家はほとんどがわらじで作業を行っており、足元の危険性を常に感じながらの作業にストレスを感じていた。
そこに対し、石橋正二郎がゴム製の「地下足袋」を発明し、ビジネスとして大成功を収めた。このビジネスを生んだきっかけも、石橋正二郎の農家に対する「問題意識」から生まれたものである。石橋正二郎は、自ら周りの人の「生活向上」を図ることで、それをビジネスに変えていったのだ。
石橋正二郎「好かれる人とは」
当たり前の話であるが、威張る人は嫌われる。人望を得るためには、あくまで謙虚に、気取らない人であることが必要だ。石橋正二郎は、それを“自らの行為”を以てして名言という形に残している。
石橋正二郎が何をしたか、それは「稼ぎのほとんどを社会貢献に費やす」ということである。石橋正二郎は自らが生み出した利益すらも、他者の生活向上のために寄付したのである。
石橋正二郎は、専門学校の校舎、美術館や遊園地などを含んだ文化センターなど、様々な建造物を国や生まれ故郷の久留米市に寄贈してきた。石橋正二郎にとって謙虚に生きるとは、こういったことなのだ。
妻・石橋昌子も社会貢献に尽力
社会貢献に熱心だったのは、名言を残した石橋正二郎だけにとどまらない。石橋正二郎の妻・石橋昌子もまた、社会事業に力を入れていたのだ。石橋昌子は、日本ユニセフを立ち上げた人間の一人として社会に大きく貢献した。
ブリヂストンが生み出した利益の多くは、こうして社会貢献につながっている。このような莫大な社会貢献をしている企業だからこそ、こうして人々に愛される企業としてブリヂストンが残っているのだ。
石橋正二郎の名言を見ると、ビジネスとは「お金稼ぎ」のためだけに存在している者ではないということが改めてよくわかる。ビジネスを興したいと考えているのならば、まずは一度社会に目を向けてみるのが肝なのだろう。
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