世の中がザワザワしているーー。戦後70年をむかえる2015年8月。戦争、防衛、安全保障。自分を取り巻く環境が急速に変わろうとしていることに、多くの人が危機感を抱いているのではないだろうか。
しかし、自分が考えたところで変わるものではないと、思考することを諦め、議論を放棄してしまいがちだ。とはいえ、問題はこれにとどまらず、次から次に生まれる…。そんな個人の思考停止が引き金となり起きている“危機”に警鐘を鳴らすのは、世の中をクリアな眼差しで見つめることのできる人たち。映画監督・紀里谷和明もそのひとりだ。彼は、世の中の不条理を、映画を通して真正面から我々に伝え続けている。今年11月には、初のハリウッド進出作『ラスト・ナイツ』も公開を控える。
そんな世界を舞台に活躍する映画監督の目には、私たちが生きる現代社会はどのように映っているのだろうか。
紀里谷和明 プロフィール
きりや・かずあき/映画監督。15歳で渡米、パーソンズ大学にて環境デザインを学ぶ。数々のアーティストのジャケットやMV、CM制作を手がけ、2004年に映画『CASSHERN』で監督デビュー。09年には映画『GOEMON』を発表。今年11月には自身初のハリウッド進出映画『ラスト・ナイツ』が日本で公開される。
「当たり前」をできない人が“当たり前”になっていないか
ーー待望のハリウッド映画作品『ラスト・ナイツ』公開にあたって、どういったお気持ちですか?
紀里谷 とにかく観てもらいたい! の一点だけですね。映画監督なんて、色々な苦労があっても、ほんの2時間で評価されるような職業です。面白いって思ってもらえればそれで良くて、自分がどう思うかは、あまり関係ないんじゃないかなと思っています。
ーーモーガン・フリーマン、クライヴ・オーウェンといった一流のキャストと一緒に仕事をされてみて、どのような印象でしたか?
紀里谷 ふたりとも、当たり前の事ですが、素晴らしい役者でした。他のキャスト、スタッフも含めて、とにかくプロフェッショナル。当たり前のことをきっちり当たり前にできる。
実は、それができる人ってなかなかいないから、彼らと一緒に映画を作れて幸せだったし、助けられました。
ーー監督が考える「当たり前」とは?
紀里谷 仕事には本来尽くすべき務めである“本分”というのがあります。しかし、その本分を尽くせていない人がいる。それって、仕事に命を懸けていないからだと思うんです。生活していて、さまざまな職業の人に会いますが、仕事を当たり前にきちっとやっているのかっていうと、なかなかそういう人には出会わない。
「医者だから」とか「カメラマンだから」っていう“肩書き”で安心してしまっているんだと思います。そういうなかで、『ラスト・ナイツ』で関わったキャストやスタッフは、ものすごい競争の中で生き残ってきているので、当たり前のことができるというのがスタートラインであり、その大前提の上でどれだけすごいことができるかというのを極めていますよね。
ーー極めるところまでいかなくても、仕事をやっていけるのはなぜなのでしょうか?
紀里谷 仕事のスタンダードがないからじゃないでしょうか。ここをクリアしなければいけない、という最低限のラインがなく、基準が非常にいい加減になってきている。つまり、ラインを下回ってても食べていけてしまう現状が問題なんだと思います。
たとえば、仕事をしていて最後まで突き詰めない。仕事相手に対しても、心証を損なうから詰めない。詰めてしまったら場の雰囲気が悪くなり、周りから批判されてしまう恐れがあるから、誰も何も言わずになあなあで仕事が進んでいく。
映画でも何でも同じですが、なあなあでやると仕事やできあがった物のクオリティが低くなってしまう。真剣勝負にならないんですよね。
すべては「第三者」が決めている
ーークオリティの高い低いとは違う次元で作品が評価されることもありますが、どう思いますか?
紀里谷 「賞を獲得したからいい映画」っていう情報を鵜呑みにして、自分の基準値で判断してないからですよね。それは映画だけじゃなくて、すべてにおいて言えることだと思います。自分で判断して物事を見るという行為がないがしろになってしまっている。だから、多くの人が判断できなくなっていると思います。
ーーある意味、思考停止状態に陥っているということですよね。
紀里谷 思考しないことが、なぜ当たり前になっているのか、僕には分からない。
たとえば、お茶を飲んで素直に「美味しい」って言えない。産地とか製法とかそういうのをひっくるめて、良し悪しを判断する人がいますよね。でも、なぜそうなってしまうのかが分からないんです。
作った映画にしても、「これはこういう意味ですよね?」とか、とにかく分かりやすく解釈しようとする。「こういう風に見るもんですよね」ってカテゴライズして、「こういう風に見ればいいんだ」というフィルターをかけようとする。でも、作ってる側はカテゴライズなんてして作ってないんだから、見たものを判断すればいいのにと思います。
音楽でもそうですけど、歌が好きなんじゃなくて、歌ってる人が好きなんですよね。だから、音楽を聴くんじゃなくて、グッズを集め出したりする。でも、それは情報のやり取りでしかない。曲の本質はないがしろにされている。「歌」があって、そのものをどう判断するのかっていうことが僕の中では重要です。
ーー監督は15歳の頃に渡米されていますが、それは自分の置かれている環境に違和感を感じてのことでしょうか?
紀里谷 単純に筋が通らないことが嫌だったんです。教師は指導者でありながら、ちゃんと教えられない。社会も言ってることと、やってることがあまりにも違いすぎて、全部が嘘だと感じてました。
周囲の人たちにそういう話をしたことで迫害もされましたし、同じように迫害を受けた人たちも自分たちの不甲斐なさに憤って、別の場所でまた誰かを迫害する。
圧倒的な暴力だと思いましたし、こういう場所に居続けるのは、ちょっと無理だなと思いました。それで、この環境から逃げようと思って、小学生のときには渡米を決意したんです。
ーーその決断を振り返られて、良かったと思われますか?
紀里谷 この世の中に「良かった、悪かった」なんていうものは、存在しないと思っています。何を基準に良かったと判断すればいいの?っていう話なんです。
良い悪いは、“第三者の目”を通した自分への迎合でしかない。なので、良いか悪いかに対しての価値観って無意味だと思います。自分でやっていることに対して、「信じているか、信じていないか」が重要で、結果なんて大したことない。
今回の『ラスト・ナイツ』にしても、多くの方に観てもらいたいですし、そのために命懸けでやっていますが、それが叶わなかったとして、じゃあ僕が不幸か、失敗したかというと全く別の話です。結果で自分の価値を判断することはできないですから。
だからこれまでの人生も、成功したとも失敗したとも思っていない。それって結局第三者の意見なんですよね。
ーー周囲の固定観念というのは、物事の自由な価値判断に影響を与えがちですよね。
紀里谷 世の常だと思います。なぜそうなるかというと、他人と迎合することだけを教え込んでいく教育に原因があるんだと思います。親や教師、社会が臆病なんだと。
誰もが他人と迎合する教育をされてきたから、同じように子どもに押しつけるわけです。彼らのなかには自分に対する劣等感が存在していて、その劣等感は何かと言うと、本来自分がこうありたいと思っていた自分との乖離(かいり)によるコンプレックスや怒り。そのはけ口として、子どもや周りの人に押し付けていく。
「こうでなくてはいけない」と押しつけるから、押し付けられた側も本来は持たなくても良いコンプレックスを持つわけですよね。
子供の頃は、ただその場にあるものを、そのまま受け取ることができ、判断できた。いつから、それができなくなってしまったのかというと、結局教育が原因です。
お前は背が低い、高い、勉強ができない、金持ちだ、貧乏だ。そう言われたら、子供はそうなのかと信じ込んでしまう。生まれたばかりの頃は誰もが幸せなのに、親や環境が引け目を感じるよう洗脳してしまい、不幸にしてしまうんだと思います。こうした不幸の連鎖が作られてしまっている。
ここから抜け出すためには、自分で考えるしかない。マニュアル本や近道を求めがちなんだけど、自分で苦しんで考えて判断するしかないんだと思います。
ーー失敗を恐れて挑戦しない子どもが増えていきているという話も聞きますね。
紀里谷 子どもだけじゃなく、むしろ社会全体に言えますね。この世の中は全て二元論で押し進められていて、子どもはそこで二元論に飼い慣らされていく。二元論でないと話が進まないと思ってしまうし、答えがひとつしかないと思い込んでしまう。そもそも失敗する、しないという考え方自体が、すでに二元論なわけです。どちらか考えて選択するということを繰り返すように調教されてしまっている。
でも、答えを2つに分けることなんてできないし、答えは無限にあるかもしれないし、ないかもしれないっていうことを理解しないといけないですよね。
大衆は、とにかくズルい
ーーこうした調教された思考から脱却するためには、どうしたらいいと思われますか?
紀里谷 現代社会の人間が恐れているのは、存在もしない第三者の目線なんです。「何か言われたらどうしよう」ということに怯えてますよね。何か言ってくる人は誰のことを言っているんですかって聞きたい。「こんな格好したら笑われる」っていうけど、誰が笑うんでしょうか。それは自分自身です。自主規制という名の病ですよ。
自分が自分を規制しているから、人に対してもすぐジャッジしようとする。
たとえば、飲み会とかで「俺はこうして世界を変えたい」と言っている人がいる。それを笑う人がいるとしますよね?なぜ人のことを笑えるんですか。だからいまの質問に答えると、人のことジャッジしたり、変な人だと決めつけるのを、やめることから始めればいいんじゃないでしょうか。
ーーネットの普及によって、他人の評価や反響がダイレクトに伝わることも、第三者の目線を気にしすぎてしまう要因のひとつですか?
紀里谷 SNSとかツイッターも批判だらけになってしまってますね。彼らは一生懸命やっている人を批判することで、上に立とうとする。はたして君はそれで幸せなのかって思います。
皆、頭でっかちで理屈っぽいだけ。大衆を見ていてズルいと思うのは、代償を払わなすぎるということです。何も差し出さない人があまりにも多すぎる。
若い子たちはお金がないので、差し出せるものといったら労力であり、汗であり、涙であり、ときに命なわけです。それを差し出さないのに、得たいものだけを要求する。
「リスクを取らない」という言い方は非常に耳障りがいいんですけど、そんなきれいなものじゃない。単純にズルいだけですよね。
他人は変えられない。唯一変えられるのは「自分」だけ
ーー紀里谷監督は映画作りに命がけで取り組んでいらっしゃるというお話でしたが、制作した映画で伝えたいことや、一貫して作品に込めているものは何でしょうか?
紀里谷 観る人に、こう受け取ってもらいたいと言ったことはないです。子供が一生懸命描いた絵をお母さんとかに見てもらって喜んでもらいたい! っていう気持ちと一緒。ただ、一貫して作品に込めているものは不条理ですね。
『CASSHERN』では、原発、内線、テロなど、今世の中に通じるような不条理な話を盛り込んでいました。『GOEMON』では、なぜ人が不条理に殺されるのか、『ラスト・ナイツ』でも権力という不条理を扱っています。人は不条理なものに対して、どのように心の声を聞いて、どうやって行動するのかということを表現しています。
ーー不条理を込める表現の手法の一つとして、映画を選んだ理由はありますか?
紀里谷 たまたまですね。お腹が減って何を食べたいか分からないけど、とにかくお腹を満たしたいという欲求に近いです。
偶然、その時写真をやってたり、PVを撮っていたり、映画を撮っていたり。どうなるかなんてこの先も分からない。そもそも人間は、自由な生き物ですからね。肩書きや職業なんて、極めていい加減なものなんですよ。でも、それに毒されて、信じ込んでしまっている。
何度も言いますが、子供にはそんな概念がないんですよ。いつから、こうなってしまったんでしょう。いつから自分たちを縛りつけて、自分を縛るゆえに他人も縛りつけて苦しめさせるのか。僕から言わせれば狂気の世界です。
「子供をどう育てたらいい?」という人がいるけど、子供から教わったらいい。僕たちがおかしくなっているだけなんです。
潜在的にはみんな分かっているはずなんです。映画を作っていて思いますが、大ヒットしている映画の多くは不条理に対抗し、自由のために戦う人間を表現したものだし、それをみんな好んで観に行くじゃないですか。みんな“所有”より“愛”がいいと思っている。
でも、なんでそれを広めてくれないのか。みんないいと思ってるはずなのに、自分からはやらないんです。ずるいですよね。家に帰って職場で話すとかだけでもいいのに、それをやらない。話してみても、ちょっと批判があったらすぐ傷ついてやめちゃうんです。
ーー現実の世界でも、最近では安全保障関連の法案が関心を集めましたが、どこか共通する姿勢を感じます。
紀里谷 これも、一人ひとりが突き詰めて考えることをしないからですよね。武装する、しない、もしくは他の選択肢といった議論を日常でしないですよね。議論をしないで戦争反対って言っている。そりゃ誰だって戦争なんかしたくないですよ。でも現実では起きている。
それはなぜかというと、資源の奪い合いであって、それに荷担しているのは消費をしている我々なわけです。じゃあ、その消費をやめるかというとやめない。つまり突き詰めないんです。
自分たちがなあなあなくせに、政府ばかり批判する。でも、政府の批判なんて無意味であって、すべて自分が引き起こしていることだと思った方がいい。僕は、テロや虐殺、戦争、強制労働といったことも僕自身が引き起こしていることだと思っています。自分がすべて作り出しているという自覚がないと、何もできない。
僕は、自分の映画で人を変えたい!とは思っていないんです。どんなに頑張っても、人は変えられない。でも、他人や社会は変えられなくても、唯一自分のことだけは変えられるとは思っています。自分が嫌だと思っていることに関わらないようにすることはできる。
だから僕は、普段の生活からなるべく消費には関わらないようにしているし、考えるし、伝えようとするし、ビビらないようにするし、ずるくならないようにしてるんです。
Interview/Text: 末吉 陽子
Photo: 神藤 剛
Photo: 神藤 剛
記事提供:Qreators.jp[クリエーターズ]
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