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Jリーグの救世主「川淵三郎」が今度はバスケ改革! “畑違い”なフィールドで活躍する男の姿を追う。

Yasutaka Nagataki

2015/09/07(最終更新日:2015/09/07)


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Jリーグの救世主「川淵三郎」が今度はバスケ改革! “畑違い”なフィールドで活躍する男の姿を追う。 1番目の画像
出典: Amazon.co.jp

 今日のJリーグの盛り上がりは、プロ野球に勝るとも劣らないような勢いである。知っている人は多いかもしれないが、この盛り上がりは一人の男によって始まったものだと言われている。

 それが、日本サッカー協会最高顧問・川淵三郎(かわぶち さぶろう)である。川淵三郎の功績は、Jリーグではもはや伝説とまで言われているほどだ。

 そんな川淵三郎は今、日本バスケットボール協会の会長を務めている。バスケットボールなど今まで全く縁のなかった川淵三郎だが、ここでもまた成功を収めているのだという。一体、川淵三郎はどのようにして“畑違い”の場所で活躍することができたのか。今回は、2015年9月6日放送のTBS『情熱大陸』より、川淵三郎がJリーグ・バスケットボールに起こした革命、川淵三郎の“畑違い”でも変わらないリーダーシップ精神を紹介していく。

川淵三郎はJリーグの“親”

Jリーグの救世主「川淵三郎」が今度はバスケ改革! “畑違い”なフィールドで活躍する男の姿を追う。 2番目の画像
出典:www.jsa-npo.or.jp

川淵の開会宣言で華々しく幕を開けたJリーグ。
こうして日本に空前のJリーグブームが訪れたのである。

出典:Jリーグ誕生の仕掛人 - 早稲田大学ア式蹴球部

 先ほどから、川淵三郎を「Jリーグを“成長”させた立役者」のように紹介しているが、川淵三郎はもっと上の存在である。何を隠そう、川淵三郎は日本のプロサッカーリーグを「Jリーグ」と銘打って立ち上げた張本人なのだ。

 当時アマチュアスポーツしか存在しなかった日本サッカーは、川淵三郎の活躍によってプロリーグを設立することができた。詳しい内容は本題とそれるので、記載しないでおく。

 Jリーグ発足の際、川淵三郎が特に気を配っていたのが「企業」の存在である。プロ野球はチーム名に企業の要素が入るのに対し、Jリーグのチームには企業名が一切入っていない。代わりに地域の名前を入れることで、地域に愛されるチームを作ることができた。企業名と地域、サポーターがどちらを優先するかと言えば、地域なのは当たり前の話である。このこだわりのおかげで、Jリーグはサポーターが非常に強力なスポーツへと発展していった。

現役引退後はサラリーマンへ……

 運営サイドとして活躍の目覚ましい川淵三郎だが、実は現役時代はオリンピックに出場した経験を持つプレーヤーとしても親しまれていた。1964年の東京オリンピックにも出場しており、ストライカーとして活躍していたのだ。

 引退後はサラリーマンとして、大企業を相手に伸銅品を売りさばいていた。およそサッカーとは何の関係もないような仕事であるが、川淵三郎によるとその経験がJリーグ運営に生きているのだとか。選手と企業という両方の立場を経験しているからこそ、誰に対してもバランスの取れた運営が行えているのではないだろうか。

バスケットボールに転向後、国際試合出場停止をすぐに挽回

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by Blue Nozomi

 私はFIBAタスクフォース(JAPAN 2024 TASKFORCE)のチェアマンを務めた経緯から、縁あって今回JBAの会長を拝命しました。短い任期であり、またバスケットボールの経験もありませんが、スポーツを愛する一人の人間として、これまでこの改革に全力で取り組んできましたし、今後も皆さまと力を合わせて努力していく覚悟です。

出典:会長ご挨拶 | 公益財団法人日本バスケットボール協会

 2014年11月、日本バスケットボール協会は国際バスケットボール連盟より無期限の国際試合出場停止処分を受けた。日本のバスケットボールが世界から追放された瞬間だった。理由は「分裂した日本のバスケットボールリーグ」である。

 日本のバスケットボールには、ナショナル・バスケットボール・リーグ(NATIONAL BASKETBALL LEAGUE、通称・NBL)と日本プロバスケットボールリーグ(通称・bjリーグ)という2つのプロリーグが存在している。ナショナルリーグは2013年までセミプロのリーグだったが、現在はプロリーグとなっている。2つのリーグが「自称トップ」として君臨しているのだ。これを問題視した国際バスケットボール連盟は、根本を改善するような動きがみられない限りは国際試合への出場を停止したのだった。

 この問題を解決するべく、新たにバスケットボール界のリーダーとしてとして呼び声がかかったのが、他でもない川淵三郎だった。Jリーグを成功させた川淵三郎の手によって、バスケットボールも再生してもらおうというねらいだ。

 その狙い通り、川淵三郎の手によって新たな「第三のプロリーグ」が誕生した。ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグである。このリーグに上記2リーグのチームを統合することで、リーグをまとめようとしているのだ。2016年に初年度が始まるが、既に43チームが加盟することを決定しており、統合は順調だ。

 そして、この動きを見た国際バスケットボール連盟は出場停止を解除した。川淵三郎の運営が、世界に認められたのである。この解除は、2015年1月にJBAの改革を主導するタスクフォースのチェアマンに川淵三郎が就任してから、わずかに6ヶ月のことであった。

“畑違い”の職場にも「共通点」はある

 Jリーグとバスケットボール、全く違うスポーツなのは一目瞭然だ。しかし、一旦運営という立場に立ってしまえば、その違いはそこまで大きいものではないと川淵三郎は考える。

 Jリーグの場合はプロが「存在しない」という問題を、バスケットボールならばプロが「ありすぎる」という問題を抱えていた。川淵三郎はその両方を「新たにプロリーグを作る」という方法で解決したのである。抱えている問題の本質は両方とも、「トップの不足」だったのだ

 一見すると全く違うような環境でも、本質をたどってみると同じというケースは多い。川淵三郎はそれを、Jリーグとバスケットボールという2つの組織を改善することで体現したのである。


 バスケットボールの統合がうまくいくかどうかはまだわからないものの、川淵三郎の努力の甲斐あって、国際試合の停止をわずかに6ヵ月で解除することができた。プロバスケットボールも野球やサッカー同様、日本のプロスポーツとしてメジャーな存在になる日も近いかもしれない。

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