「モテたい」という願望は、大半の男女が一度は抱いたことがある感情だろう。だが、そこからモテるために工夫をして、実際モテるようになった人はどれほどいるだろうか。「モテたい」という感情は、生き方を左右してしまうほど、大きすぎる永遠のテーマだ。
本書『すべてはモテるためである 』を読めば、「モテる」にはどうすればいいのか、「モテる」とはどういうことなのかが分かる。だが、本書を読み終わったあとには、モテたいという感情はなくなってしまっているかもしれない。本書は、「モテる」ことを深く考えていかなければ読み進められない構造になっているからだ。
慶應義塾幼稚舎からの根っからの慶應ボーイから、慶應義塾大学文学部を中退、AV男優を経てAV監督になった経歴の著者・二村ヒトシが紹介する、モテるためにしなければいけないことをいくつか紹介していこう。
「バカ」と「臆病」から卒業しなければモテない
二村は、モテる人とモテない人は明確に分けられると主張する。
モテる人とは、モテる才能のある「バカ」と「かしこい人」である。モテない人とは、なんでモテないのか自力で考えられない才能のない「バカ」と、考えられるけど実行できない臆病な「暗い人」、もしくはその両方である。
「この本を読むような機会のある人間」がモテるためには、「かしこい人」になる必要があり、考える癖をつけてバカを卒業し、臆病になる。そして、訓練を積んで臆病を卒業する。最後には、恋愛しながらモテる自分の見せ方を修得する。というステップを踏まなくてはならない、と述べている。このステップを踏むことによって、はじめてモテるようになれるという。
「バカ」の卒業資格は好きなものにハマる
二村は、モテない「バカ」の傾向として、自分の頭で「モテたい」という自分の願望を深く考える前に、自分は「モテない」「非リア充」だとカテゴライズして、思考に蓋をしてしまう人が多いと指摘する。まず、その蓋を取り払って、なぜモテたいのかについて真剣に考えることから「モテる」ことは始まる。二村は、いくつもの質問を本書の中で読者に投げかける。
モテることについて深く考えた後に、二村はさらなる課題を読者に与える。それは、ハマれるものを見つけること。なぜなら、ハマれるほどの好きなものがあれば余裕をもって人と接することができ、つい偉ぶってしまうことや失礼な態度をとることをせずにすむからだ。そして、ハマれるほどの好きなものを見つけるには、自分のことについて深く考えなければいけない。二村は、ハマれるものを本書の中で【あなたが、一人っきりでいても淋しくない場所】と言い換えている。
自分のことを深く考え、ハマれるものを見つけ、ハマれるものから【あなたの居場所】を見つけることでバカの卒業資格が得られる。
「臆病」の卒業資格は自分の中の女を知ること、ごきげんな人になること
「臆病」になってしまうのは、自分のことを守る意識と女性の気持ちが理解できていないからと二村は指摘する。
ごきげんな人になる
まず、「臆病」な自分を卒業するには、自分がモテない理由は、自分が「かなり頭が悪いせいである」ことだと自覚することが重要だ。
自分の「頭が悪い」ことを自覚することが出来れば、自分を守ることをやめることが出来る。次のモテるための応用として、自分を守ることをやめ、ごきげんな人になることを二村は勧める。リスクを気にしないで、女性に積極的に話しかけるごきげんな人になることが出来れば、「臆病」だったころよりはモテることが出来るだろう。
自分の中の女を知る
二村は、男の心の中には自分が理想とするような「女」像があると指摘する。この「自分の中の女」が「どういう女なのか」知ることで、女心がわかるようになる。自分が「好きだ」と思った女性に対して、素直に「彼女の身になって考える」ことが出来るようになることでモテることに近づく。こうして「自分の中の女」を通して相手の気持ちを理解できるようになれば、相手への配慮が出来るようになり、自分よりも相手を尊重し、「臆病」から抜け出せるようになることが出来るのだ。
「バカ」と「臆病」の卒業の仕方を紹介したが、これは本書のほんの一部に過ぎない。本書には実践編といって、キャバクラでどのように女性と話せば「臆病」を抜け出せるかなど、より具体的なモテる方法が載っている。自分がなぜモテないかをより深く知りたい人には勧めたい一冊だ。
U-NOTEをフォローしておすすめ記事を購読しよう