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表面的理解とはもうサヨナラ! 物事を本質的に捉える「53の思考法」――『本質を見抜く「考え方」』

Yasutaka Nagataki

2015/06/04(最終更新日:2015/06/04)


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表面的理解とはもうサヨナラ! 物事を本質的に捉える「53の思考法」――『本質を見抜く「考え方」』 1番目の画像
出典:scientificzen.blogspot.com
 物事には必ず本質が存在している。しかし、それを見抜くことは非常に難しい。だいたい、もっともらしいことを言っている人ほどその本質を見抜けていなかったりするものだ。それだけに、自分の頭で本当に本質を見抜ける人というのは、会社で重宝される存在である。

 本書『本質を見抜く「考え方」』では、物事の「本質」というものをどのようにして捉えるか、具体的に53の考え方に基づいて述べられている。いくつかご紹介する。

「自分」をはっきりさせる

自分を映す鏡が歪んでいたら、ほかのものが映ったときの歪みに気がつかない。すべてのものの見方・考え方は、正しい自画像を出発点にして始まる。

出典:中西輝政(2011)『本質を見抜く「考え方」』
 よく「自分はどうせダメだ」と悲観的に自分を捉える人がいる。しかし、その人たちの多くは、実際に「ダメ」ではないものだ。卑屈になることで予防線を張ろうとしているのだろう。

 しかしこの行為こそ、物事を見る上での「鏡」を歪ませてしまっていることに他ならない。自らを否定するという行為が、そのまま物事への思考にも反映されてしまっている、と著者は説く。自分を卑下することから入るのではなく、自分の身の回りにある事実をありありと見つめる、すなわち「歴史観」のようなものを持って自らをフラットに捉えるべきなのだ。

結論を「焦らない」

 よく、「この時間までにこの議題のアウトプットを出さなければ」というような、時間の制約がかけられることがある。時間に追われてアウトプットを出さなければならないのは、企業の抱えている期限などの関係上ある程度仕方のないことだろう。だが、結論を焦るあまり、本質まで見抜くことが出来ずに小手先の考えをアウトプットしても意味がない。

 そのため、熟考すべき課題だと感じた場合は、しっかりと様々な側面から思案を巡らせてみる必要がある。まずは課題を、熟考すべきか否かに分け、熟考すべき課題は焦らずに熟考すると決めるべきである。

漠然とした課題は「具体的に」する

 「世界がもし100人の村だったら」という本はご存知だろうか。世界の人を100人規模に縮小させ、その中の何人がどのような生活をしている、という内容を挿絵と共に淡々と述べたものである。

 このように、漠然とした課題やデータが存在して、どう手を付けたらいいかわからないとき、自分が理解できるような縮尺に落とし込むべきなのだ。テレビでよく見る「東京ドーム○個分」が自分にとって分かりづらいのであれば、自分にわかりやすい単位で考え直す、といった具合である。


 物事の本質を考えようと思っていても、何を以て本質と呼ぶのかがわからない。そう思っている人は、本書をチェックして「本質」の本質を考えてみては。



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