高校や大学などにおいて、人の頭がいいか悪いかということは「試験」を通じて測られてきた。しかし、試験とは学校を卒業して以来無縁だ、という人も少なくないだろう。それもそのはず、大抵の場合、社会に出ると「試験」という存在は消えてしまうからである。
代わりに人の良し悪しの判断材料となるのが「コミュニケーション」なのだ。『頭がいい人、悪い人の話し方』では、「頭が悪い人」の例を反面教師として、どういう話し方がダメなのか、どんな話をしたら「バカっぽい」のかについて述べられている。今回はその中でも特に印象的な3つの「失敗例」を紹介する。
難解な言葉で「煙に巻く」
昼の休憩時間や宴会の席において、自分の後輩に対し、専門用語を交えた難しい談義をしてはいないだろうか。そして自分が話している専門用語を、相手が知っていて「当然である」かのようなスタンスになってはいないだろうか。
自分の知識を披露するということは悪いことではない。むしろ、自分が博識であるとアピールをすることで、同期の中で頭一つ抜きん出た存在となることができることもある。しかし、難解な言葉を使って談義したところで、相手にその内容は伝わっていないことが多いし、「この人は本当に言葉の意味を理解しているのだろうか」と疑念を抱かれる可能性も孕んでいる。知識を披露する時は、難解な言葉ではなく、内容の深さで勝負をしよう。
「正論ばかり」を突きつける
人間は「弱い」。恐らくほぼ全ての人が心の奥底では理解していることである。しかし、その実態を直視しようとせず、あくまで理性的に「正論」を突きつける人がいる。もちろん、突きつけられた人も「正論」が一番正しいということを頭では理解している。しかし、心の奥底で渦巻く、その人に対する抵抗感は計り知れない。
「正論」を突きつけることは、もちろん悪いことではないが、人間の「弱い部分」を理解したうえでの「譲歩」もある程度は大事なのではないだろうか。
「バカでいい」と居直る
「どうせ俺はできない」や「私はバカだから」といった具合に、自分の能力を卑下して目の前のことを避ける人がいる。現代社会は時に厳しい要求をしてきたり、成果を認めてくれなかったりするからだ。
しかし、果たして本当に「できない」のだろうか。「できない」と口にすることで自分の限界を周囲に示し、甘えようとしてはいないだろうか。自分のことを「バカ」と卑下する前に、自分を「バカ」から脱却させる努力をするべきなのだ。
今回挙げた例は、少し極端なものばかりであったが、そのほかにも多くの「悪い例」が本書にはまとめられている。もし、自分の話し方が他人を不快にさせていないか気になるのであれば、一度本書を読んで照らし合わせてみるのもありだろう。
U-NOTEをフォローしておすすめ記事を購読しよう