あなたは自分の生まれた故郷に、愛着を持っているだろうか。若者の都会への流出は食い止められず、高齢者ばかりが残る地方過疎化は進む一方。しかしそんな中、「将来は自分の生まれた町に貢献したい」という夢の実現に向け取り組んでいる人もいる。
今回インタビューした三原拓也さんも、その一人。島根県が地元の三原さんは、将来島根県における雇用問題の解決を夢見ているそうだ。そんな彼は現在、「ソーシャルラウンジAJITO」というバーを経営している。なぜ、地元の活性化を夢見る彼が選んだ職業が「バーの店長」なのか? そのワケを聞いてみた。
――三原さんは将来、地元である島根県の雇用問題を解決したい、という夢を持っているそうですね。その夢を抱くようになったきっかけは何だったのでしょう?
上京した時は「島根なんか帰るか!」ってずっと思っていたんですけど、就活開始と同時くらいに、島根のことを少しずつ考えるようになりました。「島根県っていいところだな」っていうのを思い出して。
その頃に、帰省して地元の人達と話す中で「やっぱり将来は島根で何かしたいな」という気持ちが芽生えました。突然、と言うよりはなるべくしてなったと思っているので、きっかけというのがないんです。何か問題があったからそう思ったわけではなく、一度地元を離れてみて自然と思った。そんな感じですかね。
――それでも、地元での就職をしなかったのはなぜでしょうか?
就職と同時に島根に帰ってしまったら、めちゃくちゃ後悔すると思ったんです。例えば東京で「起業した」とか、そういう功績を残せたなら堂々と地元に帰れたけど、その時点では何もなかった。だから、もう少し東京で生活して、色々と学んでからそれを持ち帰ろうと思いました。
――
では、現在経営されているAJITOというバーを知ったきっかけは?
就職活動に嫌気がさした時期に、友人の誘いで行ったのが初めてですね。そこにいる大人達は自分が好きなことをして稼いでいる人、本当に楽しそうに仕事しているサラリーマン、お金はないけど夢を持って頑張っている人などで、皆キラキラして見えたんです。就活で出会った、取り繕った笑顔の社会人より、はるかに魅力的に映りました。
そういう人を見ていて、「まず彼らのような人達を見て、それから就職しよう」と考えたんです。元々「独立したい」という野望はあったんですが、彼らの姿を頭に焼き付けて、「将来独立したい」と思えるような状態になってから就職しよう、と。それからは、頻繁にAJITOに通うようになりましたね。
――そこからAJITOの店長になりたいという考えに至るようになったのはなぜですか?
このバーに初めて来た時、「島根にこういう店があればな……」と思ったんです。これだけ色んな職種の人が集まってきて、学生もそういう社会人と触れ合うことができる。こういう場があれば、もっと就活は良くなるんじゃないかと考えました。
東京であれば、まだ学生と大人が触れ合う場所もある。でも、島根には少ないし、あったとしても認知されていない。地元に帰っても友人からは「島根つまんない」って聞きますが、個人的には「島根が面白くないんじゃなくて、あなたが楽しもうとしていないからでしょ」と思ってしまう。僕も地元に長くいたら言ってしまうと思いますが(笑)。こういう環境を少しでも変えられたらと考えるようになりました。
――「地元の雇用問題を解決したい」という夢と、「バーの店長」という仕事は一見すると繋がらないように思えます。将来の夢の実現のために今の仕事はどう役立っていると感じていますか?
「島根に雇用を生みたいのに、何でバーテンダーしているの?」ってよく聞かれますが、自分の中ではバーテンダーをしている感覚は全くありません。このお店のコンセプトは「出会いを通じて世界を変える」。集まった人同士の色んな考え方とか価値観とかに触れ合ってもらう場所なんですよね。
そういう人たちと触れ合う中で、僕は色んな価値観を知るようになった。これが、将来にも生きてくると思うようになりました。あとは、お客さんと接する中で人とスムーズに話せるようになったことかな。これって島根県でもし雇用を生むにしても、営業や人と会話するときに一番大事だと思うんですよ。そういった意味で、間違いなく役に立つだろうと。(続く)
三原拓也(みはら・たくや)さん プロフィール
1991年生まれ。大学入学と同時に故郷の島根県を離れ、2013年よりソーシャルラウンジAJITO店長に就任。バーの経営をする傍ら、「島根県人会」等の地元民同士の交流を深めるイベントを開催。2014年11月には社団法人の協力を受け、Uターン・Iターン希望者、地方活性化に興味がある方向けの島根県内ツアーを企画・実施。現在はAJITOの経営と並行して、IT関連会社で営業の仕事にも従事している。
U-NOTEをフォローしておすすめ記事を購読しよう