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伝説的キャピタリスト・村口和孝氏は、こんな若者になら、金を出す! 「貧乏で無名・誠実・根性」

hotaka

2015/05/28(最終更新日:2015/05/28)


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伝説的キャピタリスト・村口和孝氏は、こんな若者になら、金を出す! 「貧乏で無名・誠実・根性」 1番目の画像

 東京の地から世界を変えるスタートアップを輩出することを目的としたピッチコンテスト「TOKYO START UP GATE WAY」が2014年11月に開催された。

 このイベントでは、予選を勝ち抜いたファイナリストがピッチを行ったほか、審査員や現役の起業家によるパネルディスカッションが行われた。ここでは、ピッチコンテストの審査員を務める3名の投資家・経営者が語った、パネルディスカッションの内容をお伝えしていく。

登壇者

日本テクノロジーベンチャーパートナーズ ジェネラルパートナー 村口和孝氏
株式会社イデアインターナショナル Founder 橋本雅治氏
認定特定非営利活動法人フローレンス 代表理事 駒崎弘樹氏

モデレーター

ジャーナリスト・淑徳大学教授(元日経ウーマン編集長)野村浩子氏

見出し一覧

・なぜ起業したのか、起業に至るまでの経緯
・起業家は「無名」であることが重要?
・IPOしてみたけれど、自分には向いていなかった
・IPOすることのメリットは「人材の採用」

なぜ起業したのか、起業に至るまでの経緯

野村
浩子
:まず、起業のきっかけをお三方にお伺いしたいと思います。それでは、日本の独立系ベンチャーキャピタルの草分け的存在でもある、村口さんからお願いします。

村口
和孝
:私は大学を1984年に卒業し、14年間組織人として組織の中で「出世」を夢見ながら人事異動を繰り返してきました。そんな中、シリコンバレーに行き、向こうの人たちと話したことで、VC(ベンチャーキャピタル)も一人一人が独立しているなと思ったんです。

 そこが日本とは大きく違っており、また日本もシリコンバレーのようにしていかないと「独立する環境が整ってこないのではないか……」と思ったので、まずは自分自身が独立をしようと。

 拓銀(北海道拓殖銀行)が倒産した翌年、今でいうマザーズのような新興市場の平均株価が地べたを這っていた、最も不況とも言える時に独立し、自分のファンドを作りました。

野村
浩子
:1997〜1998年あたりというのは、価値観が本当に大きく変わりましたよね。まさか、山一証券が倒産するとは誰も思わなかった。当時、『日経ウーマン』の編集を行っていたのですが、仕事観がガラリと変わったというのを肌で感じました。

村口
和孝
:おっしゃる通りですね。

橋本雅治:起業したかったのではなく、仕方なく起業した

野村
浩子
:ありがとうございます。それでは次に橋本さん、お願いします。橋本さんは、皆さんご存知の「Idea Frames」というオシャレなインテリア雑貨の企画やデザイン、販売をしている株式会社イデアインターナショナルの創業者です。

橋本
雅治
:私の起業のきっかけというのは、他の起業家に比べると消極的な形になります。最初、キャノン販売という会社で営業をやっていたのですが、27歳の時に父親の会社が倒産し、2億5000万円の連帯保証人にさせられました。

 そのため、28歳で会社の経営者になったのですが、ほとんど倒産状態にあったので、民事再生法を利用して裁判を何回かやりながら、借金を圧縮、相殺して何とかサラリーマンに戻ることができました。

 サラリーマンとして前の会社に戻った時、資金繰りや経営者の苦労などから解放されたということで、一生にサラリーマンのままでいようと思っていたのですが、出世し、31歳で役員になったんです。

 そうしたら、今度はその会社で副社長と銀行が結託して創業社長を追い出すというクーデターが起き、銀行側から「次期社長の片腕としてやってほしい」と言われたのですが、人間性が尊敬できなかったので会社を辞めました。それで仕方なく、起業したという感じですね。

 当時は、「大手メーカーのものづくりが面白くない。もっとこういうものが作りたい」という思いがあったので、その思いに賭けて勝負をしたのが34歳。普通の起業家とは違う形での起業だったと思います。

野村
浩子
:すごく具体的なお話、ありがとうございます。本当、一生分くらいの色々なご経験をされてきたと思うので、その辺りの話は後ほど詳しくお伺いしたいと思います。次に駒崎さん、お願いします。

 駒崎さんは、病児保育をされているNPO法人の代表を務めており、よく社会起業家の草分け的存在として紹介されるのですが、個人的には駒崎さんによって社会起業家の認知度が一気に高まったと思っています。

日本の社会のあり方に違和感を覚え、一歩踏み出した

駒崎
弘樹
:ありがとうございます。僕はもともと、大学3〜4年の頃にITベンチャーの経営者をしていまして、いわゆる学生ベンチャーの社長だったんですね。それ自体はすごく楽しかったのですが、あるきっかけを基にフリーターになり、NPO法人「フローレンス」を立ち上げ、10年ほど経ちます。

 きっかけは、僕の母がベビーシッターをしていたことにあります。ある日、母のお気に入りの双子のママが突然、「今日で最後にしてほしい」ということを言い出したんです。

 母は「自分がミスしてしまい、何か嫌な思いをさせてしまったのかな……」と思って最後にする理由を聞いてみたら、「いえいえ、あなたはこの子供たちの親代わりになってくれて心から感謝しているんです。そうではなく、私が会社をクビになってしまったのでベビーシッターを頼む必要がなくなった」と言われたそうです。

 さらに、その理由を聞いてみたところ「実はこの前、この子供たちが熱を出しました。私が行かせている保育園は37.5°以上の熱があると預けられないんです。だから、私が会社を休んで看病していたのですが、双子なのでわりと長い間会社を休まざるを得なかったんですね。そうしたら、会社に激怒され解雇されてしまったんです」と言ったそうなんですね。

 その話を母から聞いて、非常に不思議な気持ちになりました。と言うのも、子供が熱を出すのは当たり前のことですし、看病してあげるのは親として当然のこと。「当たり前のことをして職を失う、そんな社会でいいのか」という思いが込み上げてきまして、「子供を預けられる仕組みを作ればいいじゃないか」と思い、子供もいないながら保育の世界に入っていったのが起業のきっかけです。

野村
浩子
:今でこそ、二児の父親ですが、当時は「20代で独身の駒崎さんが、なぜ病児保育?」と思いましたね。ただ、そこも新鮮であり、「なるほどな」と思ったところです。

村口和孝:起業家は「無名」であることが重要?

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野村
浩子
:今日は時間があまり無いということなので、駆け足で行きたいなと思うのですが、次は「どんな起業家が必要とされるか?」というのを、それぞれの立場からお伺いしたいです。まずは村口さんからお願いしたいのですが、村口さんは投資家の視点から起業家をどう見極めているのか、投資したいと思う起業家を話していただけないでしょうか?

 また、DeNAの創業者である南場智子さんの場合はどうだったのか、そういったことも差し支えない範囲でお話いただけないかと思います。

村口
和孝
:どこを見ているのか。私も30年くらい投資家をやっているので、自分でもどこを見ているのか分からないのですが、よく考えると今でも事業機会っていうのは山のようにあるんですね。需要と供給が一致していない、まだ全然手がつけられていない市場っていうのは至るところにあります。

 また、それを実現させるための経営資源もいっぱいある。技術者や営業マン、仕事をしたい人はたくさんいるんです。つまり、起業家っていうのは事業機会と経営資源をきちんとマッチさせる人のことだと思います。

 そういった観点を踏まえて、振り返ってみると起業家に一番必要なのは「誠実さ」っていうんですかね。よく、「起業家は悪くないといけない」「素早さがないといけない」と言う人がいるのですが、その前に商品を作り、出荷しなければいけない訳ですから、誠実に取引ができる、困難をものともせず乗り越えていく根性が必要。あとは、無名でなければいけないってことですかね。

野村
浩子
:無名でなければいけない?

村口
和孝
:あまり有名な人だと起業家としては、なかなか難しいなと思います。全くの無名で全くお金を持っていない。とにかく貧乏で無名、また誠実で行動力があり、根性がある。そういう若い人とだったら、一緒にやりたいなと思いますね。

野村
浩子
:事業の成長性やそれまでに培った経験値っていうのはどうなんでしょうか? 例えば、何回も名前を出して恐縮ですが、DeNA・南場智子さんが99年頃にDeNAを立ち上げた頃、最初に手掛けていた事業はネットオークションだった。

村口
和孝
:「ビッターズ」ですね。

野村
浩子
:携帯市場に進出せず、ネットオークションを手掛けていた。そのことに関しては、事業の将来性が素晴らしいというよりは、南場さんなら何かやってくれるのではないか。そんな思いがあったのでしょうか?

DeNA・南場智子さんは「根性」などの人間性が素晴らしかった

村口
和孝
:そうですね。ネットオークションというのは、HTMLからXLLへ、携帯からiモードへ、iモードからスマホへと時代が変化していく中で、エンジニアリングさえしっかりしていて、南場さんがしっかり経営し、春田さんが支えていければ、変化する時代の中でも波に乗っていけると思いました。あとは、おっしゃる通り、南場さんの根性などが素晴らしいなと思いましたね。

野村
浩子
:ありがとうございます。橋本さんは、大変失礼ながら起業したかったのではなく、やむなく起業したという面もあると思うのですが、確か1995年に起業し、2008年にはIPOされているんですよね。やむなくの起業からIPOというのが、すごくジャンプしているように見えるのですが、そこへ至ったのはどのような経緯なんでしょうか?

IPOしてみたけれど、自分には向いていなかった

橋本
雅治
最近気づいたんですけど、多分ドMで逆境好きなんですよね。苦労しているんですけれど、よく考えると自分から逆境を選んでいるなっていう部分があります。起業した時もそうだったんですけれど、前の会社からつぶしをかけられましたね。生産地の方では「橋本雅治って悪いやつがいるから、絶対取引をしてはならない」と。

 そういった締め付けを喰らったのですが、逆にそういう締め付けを喰らうと、ものすごいやる気が出てくるんですよ。そういう逆境の中でやってきて、最近も「アイアンマン・ジャパン」というトライアスロンの大会に挑戦とか色々なことをするんですけど、やっぱり自分はドMだと思いますね。

 IPOに関しては、「IPOの起業家ネットワーク」っていう起業家団体が当時あって、そこが行っている「起業家大学」というのを受講したんです。その時に、実際にIPOされている経営者から講義を受けたら、それまでIPOしている経営者はスーパーマンのような存在っていう認識があったんですけど、自分とあまり変わらないなと思いました。

 「彼が出来るんだったら、自分も出来るじゃないか」と、単純に思いましたね。そこからIPOまでやってみようということで、突き進んでいきました。IPOに関しては、目指すべきか、目指さないでいるべきかっていう議論がよく起こるんですけど、それはやってから考えようと。

 あとは、起業家として事業を立ち上げたからには、IPOというハードルを越えてみようという気持ちもあったので、走り続けていたらIPO出来たという形ですね。

野村
浩子
:IPOしてみて、どうでしたか?

橋本
雅治
:自分には向かなかったですね。

野村
浩子
:どういうところが向かなかったですか?

橋本
雅治
:自分は感性あるものづくりというのをやってきて、大手メーカーが出来ないようなエモーショナルな部分に訴えかけるというコンセプトのもと、商品を作ってきました。IPOまでは、とにかくデザイン性を大事にして、お客様にサプライズを与えるという自分のやりたいと思ったことをやってきたので、失敗も結構ありました。

 失敗も成功もある中で、成功が多かったからこそIPOまで辿り着いたわけなんですけど、ただIPOするとコンプライアンスやリスクなどにとにかく気を配らなければいけない。ほとんど手足を縛られた状態で、やりたいことはほぼ出来ない。そんな状況だったので、超リスクテイカーでドMな自分みたいな人間には上場企業の社長は向いていなかったと思いました。

3年で世界トップの男性下着ブランドを作る

橋本
雅治
:それもあって今年の9月末に社長を退任し、今はフリーな立場になったので自由な気持ちになっています。これから、また新しい事業に挑戦しようと考えていて、現段階で挑戦しようと思っているのは男性下着の専門メーカー。これは3年でトップブランドにしようと思っています。

 男性下着に挑戦する理由ですが、女性用の下着はみんな一生懸命開発するのですが、男性下着はあまり開発されておらず、競合がいない。女性下着のトップブランドと聞かれれば「トリンプ」などが挙がると思いますが、「男性下着のトップブランドはどこ?」と聞かれても、結局ないんですよね。

 なので、男性下着という競合のいない市場で、まだ履いたことのないような男性下着を来年以降開発して皆さんに履いてもらい、3年で世界トップブランドに育てるということを公約しています。

野村
浩子
:なるほど、面白いですね。まず、男性が下着にこだわるという文化を作っていく必要がありそうですね。

橋本
雅治
:男性は下着にこだわるんですよ。ただ、男性下着がないだけの話なんです。

野村
浩子
:失礼しました(笑)。

橋本
雅治
:ないだけの話なんですよ。こだわりたいのに、無いっていう。

野村
浩子
:すみません、男心が分からず(笑)。そうしますと、IPOに関しては向き、不向きがあるということですね。橋本さんは、独創的な雑貨などを企画、開発、販売していく中でかなり縛られるのがツラかったということだと思うのですが、とは言え「IPOしてよかった」と思う部分もありましたよね?

橋本雅治の語るIPOすることのメリットは「人材の採用」

伝説的キャピタリスト・村口和孝氏は、こんな若者になら、金を出す! 「貧乏で無名・誠実・根性」 3番目の画像
(IPOのメリットを語るイデアインターナショナル・橋本雅治氏)

橋本
雅治
:IPOして良かったのは、良い人材が集まりやすくなったということですね。うちの会社なんかは、特に技術力云々ではなく、人そのものに力を入れてきていたので、良い人材が集まったのは非常に良かったと思います。

 あと、認知されるようになりましたね。店舗を新しく出店する時も、かなり有利に働いたり、業界内で認められて事業がしやすくなったりというのはありました。自分は、どちらかというとゼロからイチを作ってみたいと思う人間なので、上場してからというのはなかなか向かなかった。上場が向かなかったのではなく、僕が上場に向かなかった。

野村
浩子
:IPOを目指す、多くの人にとってヒントとなるようなお話をありがとうございます。(続く)

次の記事:「世界を変える100人の社会起業家」フローレンス駒崎弘樹氏の明かす、『島耕作』世代との戦い方(5月29日(金)8:00 公開予定)

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