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なぜ今「哲学」が必要なのか。 『今を生きるための「哲学的思考」』現代社会を生き抜くためのヒント

Yu Usuki

2014/11/17(最終更新日:2014/11/17)


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by Soul Pusher

 「哲学」と聞くと、学術的な堅苦しさや古めかしいイメージが湧く方も多いのではないでしょうか?

 社会に出て働くようになると、哲学のような学問を振り返ることもあまりないと思いますが実は、現代社会でも「哲学」が役に立つことがあるのだそう。今回は『今を生きるための「哲学的思考」』という本の中から哲学的思考の方法や現代のデジタル社会との関わり方をご紹介します。

哲学的思考とはクリティカルシンキング(批判的思考)のこと

 「哲学的思考」は、ビジネスパーソンにとってわかりやすい言葉に言い換えると「クリティカルシンキング(批判的思考)」のこと。物事を深く考えるために、「そもそも、それは何か?」と批判的に疑って考える方法です。

 私たちが普段常識だと思っていることは、意外に本質を知らずに常識だと思っていることが多く、常識の土台となる部分を疑って考えることが重要だと著者は述べています。

哲学的に現代のデジタル社会を考える

 哲学の歴史は、古代ギリシャから始まっているように非常に古い学問です。そのような学問を現代のデジタル化された社会に応用すると、どのような考え方になるのでしょうか。

現代社会で「私」のあり方が変化している

 著者によると、デジタル化された現代社会において「私」のあり方が大きく変化しているそうです。

 デジタル化以前の時代では、家族や学校、会社など、個人と社会と密接な関係で繋がっていました。しかし、デジタル化社会では「私」はそれぞれ異なった関心を持ち、同じ場所にいても全く異なる場所に生きているような状態になっています。

 著者はTwitterを例に、大企業の社長に対して一般ユーザーが当たり前のように意見ができることを挙げています。現代では、いままでの上下関係の仕組みや、コミュニティと個人の関係性に意味がなくなってきているということです。

 そのため、インターネットと現実といった2つの「私」の境界線はどこにあるのか、どちらが正確な「私」なのかを改めて考える必要があります。

知識の価値が変化している

 インターネットの登場以前「知識」は、知っていることに価値がありました。しかし、Googleで検索すれば誰でも知識が得られる時代では知っていることが当たり前になり、「知識」の価値が大きく揺らぐことに。そもそも、その情報は何(もしくは、誰)が発端の情報なのかという部分が、コピー&ペーストを簡単に出来るようになったことでうやむやにさせています。

 「この知識は誰のものか」もしくは、「誰のものでもいいのか」こういった知識の価値の揺らぎが、文化そのものを腐敗させてしまう可能性があるのではないかと著者は示唆しています。


 今回ご紹介した『今を生きるための「哲学的思考」』という本は、デジタル社会という日常を当たり前に過ごすのではなく、「そもそも、デジタル社会で得られたものは? 失ったものは?」という点を哲学的思考で改めて考えるきっかけになるでしょう。気になった方はぜひ読んでみてください。


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